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『本は汚すもの』 教授からの教訓

 皆さんは本を汚して読む派でしょうか、それとも綺麗にする派?
綺麗に保存したほうが『大切に本を扱ってる』と思うかたもいると思います。ですが、『本を汚す』ことも、本への愛情表現の一つなのではないでしょうか。

教授の教訓『自分なりの要約を書き込んで、本を汚せ!!!』

 文章がびっしりと書かれているのが、本ですよね。ですが、大抵の文章は解説九割、主張一割です。シンプルに内容を理解するためには、その『一割』をつかむだけでよいのです。もちろん例外はありますが。
 教授の文章の読み方。『段落ごとに要約をメモする』文章がどれだけあろうと、長かろうと、段落がいくら長かろうと、とにかく『一言で内容をまとめ』ながら文を読んでくと、要点をガッチリとつかむことができます。一段落一内容。
 私も、そのやり方を真似してみました。画像の著書はHenry David Thoreau『WALDEN or life in the woods』(1854)より。

赤枠が一つのまとまりです。その内容をおおまかにまとめたのが青い部分。青枠部分で赤枠の文章の内容をひとことにまとめています。ここだと、赤枠一文めのWhy should we be in such deaperate haste ... ?の部分や、四行めの文などを根拠に青枠のようにまとめました。他の部分は具体的な解説や根拠を淡々と述べているだけなので、あまり注視しすぎないようにしました。やや長いパラグラフですが、ここで言っているのは『今を生きよう』的なものです。

 で、こんな感じの要約がどんどん書き込まれていくために『自然に本が汚れていく』ということです。

本を汚す=自分なりに分かりやすくまとめる

ことに繋がるわけです。だからこそ教授は『本を汚せ』とおっしゃっていたのだと思います。

 では、このように『本を汚す』ことによってどんなメリットがあるのか? 何点か挙げてみたいと思います。

(1) 後で見返したときにわかりやすい

 自分の力で、自分なりにまとめたわけです。なので、いくら文章が複雑であっても後で見返したときに、すぐに内容を思い出せるわけです。
後で見ると 要約→本文 に遡ることになるので、 結論→本論 の流れと同等になります。なので、スンナリ頭に入ってくるわけです。

(2) 書くことによって記憶に残る

 書くという行為の効力はすさまじいです。『メモの力』のすごさについてかかれてる本がたくさんあるように、自分の手を動かすという行為は、記憶力や理解力をパワーアップさせてくれるのです。ただ読むだけでなく自分の解釈を『書く』という行為がプラスされることで、記憶に残るし理解しやすくなるし(1)のように見返したときに楽だしで、一石二鳥どころか一石三鳥なのです。

(3) 読書以外にも応用できる

 難しい文章を単純なものに要約するという力、なにも読書だけに限らず日常生活のいたるところに活用することができます。『読解力』というのは社会生活を送る上では欠かせない能力です。私達人間は日々様々な情報を理解し、コミュニケーションを交わしながら生活しています。そのうえで、要約する力は『相手のニーズ』を理解する力と繋がってきます。相手の話をしっかり聞いて、それをしっかり理解したうえで円滑なコミュニケーションが生まれるのです。なので、要約をする力があればあるほど、人とうまく対話することができるようになるのではないでしょうか。

 文学の教授は『文学は実学』とおっしゃっていました。相手の欲しいもの、必要としてるものを見抜く力こそ『読解力』なのです。読解力がないと、誤った判断を下したり、ニーズ外のことをして空回りしてしまいます。相手のことを深く理解するというのは、文学研究の主たる態度です。相互理解があってこそ人間の社会は成り立つので、文学はまさにその力を養う『実学』なのです。そもそも、『人間に向き合う』というのが人文系の課題なので。

以上に挙げた三点のメリット。これが『本を汚す』ことのメリットだと思います。

 あと、私は本以外にも汚しているものがあります。
それは、『手帳』です。手帳に日々の行動や考え、学んだことなどをびっし書き記してとにかく汚しています。汚れれば汚れるほど、それが自信になり、生きる指針になると感じています。
『手帳を汚す』
これをテーマにした記事も、後程書きましょうかね。

余談はおいといて

 結論

『本を汚す』という行為は、文章の内容を深く理解できるだけでなく、様々なメリットを生む。

 皆さんも、これから読書をするときはこの方法を試してはいかがでしょうか。もちろん、自分で買った本でね!!!

美川

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