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Do-shite馬に乗らないの?!

別にキリンでも良かったかもしれない。
いつも考えるのだ、なぜ馬なんだろう、と。

そしてあのしっとりと汗ばんだ肌とか、脂を含んだ自由なたてがみとか、
強く引けば口角を硬くして絶対に動かないと踏ん張る頑固さとか、
かといって丸く抱えた脹脛がお気に召した時のどこまでも
たまさか天にまで昇ってしまうんじゃないかと思うほどの飛翔感とか、
馬場の角でそこに見えない麦畑があるんじゃないかと思うくらいじっくり踏み締めた晩に、
まるで仲直りしようとでも言うように夢に現れ、
どこまでも続くポプラの並木道を駆けぬけ、
ほらあたしでよかったでしょ、
と半分の目でこちらを見る感じ。

それを思い出すたび、
やはり馬じゃなくちゃダメだと思う。

人が乗れるサイズで、
しかも犬のようにコンパニオンとして
意思疎通のできる生き物。
濡れた瞳とマズルは、大型犬の華子のそれによく似ていて、
犬とかウマとかそういうものを超えて、
同じ動物族だと感じる。
与えられた環境が気に入らなければ
自分を活かせる場所に移動できる生き物族。


別に他の動物でも良かったのかもしれない。
ゾウとか。
実際ゾウを車がわりに使っている人たちもいる。
ゾウは22ヶ月胎内で子供を育てる。
だから言語を喋らないだけで、知能は高く仲間同士の意思伝達方法を持っている。
私たちが知ろうとしないだけで、
彼らには彼らの世界がある。人間には見えないものが見えているのかもしれない。
そして私たちより幸せかもしない。

馬に乗るのは、
単純に楽しいし、
忘れていたことを思い出す。
自然のこと、動物のこと、地球のこと、なぜ自分は人間なのか、
そういう
私が生かされているこの世界のことを
ちゃんと感じる一番手近な背中だから。

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