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囲碁を憎み、愛した人生(30代男性)

皆さんこんにちは。
今回は囲碁に全人生をかけた男性のストーリーを一部ご紹介します。
特殊な環境で青春時代を過ごす人が何に悩み、どう乗り越えたのか。
人生の岐路に立っている方や進路に悩んでいる方など、ご参考になれば幸いです。


私のライフラインチャートは山あり谷ありである。
そんな私の人生から今回は「囲碁に出会う」から「音楽に出会う 作詞作曲」までについて少し書いてみたいと思う。

囲碁に出会う

私は小学6年生の冬に「ヒカルの碁」という漫画に出会った。主人公の進藤ヒカルに憧れて、彼は碁盤の中にどのような世界を見ているのだろうという興味が私に囲碁を覚えさせた。街には碁会所といって囲碁を打てる場所があって、お年寄りが日々囲碁を嗜んでいる。そんなお年寄り達に囲碁を教えてもらった。囲碁にのめり込むまでは早く、それまで取り組んでいた吹奏楽、野球、サッカーなど全てを辞めて夢中になった。1日中囲碁のことを考えていて、今日のこの手はあっちに打った方が良かったか、いやこっちに打ったらどうなっていたかなどといったことを頭の中にある碁盤の中で寝る寸前まで永遠と繰り返しているのである。

私にはどうやら才能があったみたいで、半年で二段、1年半経つ頃にはこども大会で全国優勝を果たしていた。次第に囲碁のプロ棋士になりたいと思い始めた私は、院生というプロ棋士養成機関に入所した。

そして、中学三年生の秋にプロ試験を受けた。これが私の囲碁人生の初めての挫折となった。

プロ棋士試験の高い壁

囲碁のプロ棋士になるためには、プロ志願者による総当たりリーグ戦で1位ないしは2位にならなければならない。その年や時代によってプロ棋士になることができる人数は多少前後するものの、年間で3~5人程度しかプロ棋士にはなれないのである。またプロ試験は関東で2~3名、関西1名、中部1名(それぞれの地区でプロ試験のリーグ戦がある)などといった形で定員が決まっており、受験はどこかの地区一つしか選択できず年に1度のチャンスしかないため、非常に狭き門である。私はその狭き門を突破するためにプロ試験を受けたが、散々な結果で終わった。化け物みたいな人たちと凌ぎを削る中で途方もないプロの壁を肌で感じ、私は囲碁を辞めた。

私の中学時代は囲碁一色であった。私の青春は全て囲碁に奪われた。もっと学生らしい生活をしよう、青春を取り戻そう、そう決めて高校に進学したはずだった。

…高校1年の夏休み、久々に囲碁を打たないかということで中学時代に一緒にプロ棋士を目指していた友人から囲碁旅行に誘われた。あのプロ試験以来、碁石を持たなくなった私であったがたまには囲碁を打ってみるかということでこの誘いに乗った。これがまた安易であり、転機の始まりだった。その囲碁旅行はプロ棋士も数名参加していたのだが、彼らと一緒に囲碁を打つ中でやっぱりプロ棋士になりたいと思ってしまったのである。そんな私の残された道は決まっていた。やらずに後悔するよりもやって後悔である。私は囲碁旅行から家に帰るなり開口一番、「俺、プロ棋士目指すわ、高校辞めるわ」と言い放った。今思えば、よく親は許してくれたと思う。私は高校を中退した。但し、1年間という条件を付けた。

再挑戦

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