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親が敷いたレールに向き合った人生(30歳・男性)

1. 学生時代

1) 緑内障と診断される

私は1991年5月1日に名古屋で生まれました。家族は父母と4つ上の姉、4つ下の弟がいます。父は私が3歳のころから祖父から継いだ会社を経営しており、比較的裕福な暮らしをしていました。私が4歳ぐらいのころ、家族でメガネのキクチに行きました。その時、姉が遊び半分で私に視力検査をさせました。姉は私が全く正しく答えられないことに気づき母にそのことを伝え、すぐに眼科で診察を受けました。そこで私は先天性緑内障との診断を受けました。そこから年に何度か眼圧を下げるための手術を受けました。入院中は大人しく良い子だとよく褒められた記憶があります。当時は検査や手術を受けるのは嫌だと思っていましたが、あの時姉が気づいてくれていなかったら、私の人生は今の人生とは全く変わっていたと思います。

2) 姉に影響された中学受験

手術のおかげで緑内障はある程度安定しました。小学生の時は、中学受験をしていた姉に影響され1年生から塾に通っていました。姉は地元で最も偏差値が高い中学校に合格しました。一方、私は5年生になっても姉のように優秀な成績を取れませんでした。常に中間ぐらいの成績で、優秀な姉と比較されとても悔しかったです。
学校は中高一貫の男子校でした。そのため高校受験をせずに上がることができるので、その状況に甘んじて中学校の頃は全く勉強をしませんでした。テスト直前だけ最低限の勉強をし、学校で真ん中ぐらいの成績で満足していました。部活に熱中もせず、だらだらと日々を過ごしました。

3) 初めて本気で臨んだ大学受験

高校2年生になり、周囲の友達が大学受験の話をし始めたので自分も受験や将来について考えました。それまでろくに勉強もしていませんでしたので、あまり大きな目標を立てられませんでした。同時期に高校物理の授業が始まり、物理の勉強は面白いと感じたので、大学も工学系を目指し、将来は技術者になりたいと思いました。本格的に勉強を始めていると成績優秀な友人から声をかけてもらい、彼と同じ塾に通い始めました。それから一層、クラスの友達と協力しながら一生懸命勉強し、何とか地元で一番の大学に合格しました。大学受験は私が人生で初めて物事に一生懸命取り組むことができた経験だと思います。

4) 進路選択と祖父の他界

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