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両親の離婚からの成り上がり人生(30代男性)

皆さんこんにちは。
今回は父親の会社の倒産や両親の離婚などを経験し、自己肯定感がとても低かった学生時代から2つの大きな転機を経て、社内営業成績No.1を達成した友人の人生を振返っていただいたのでご紹介します。

同じような境遇を抱えているあなたに少しでも参考になると幸いです。

学生時代

父親の会社の経営悪化

東京の板橋区、父・母と兄2人の5人家族の末っ子で生まれた。幼少期は、父が自営業を営んでおり、比較的裕福な暮らしだったと思う。ペットの犬もいたりして、母と犬で散歩をすることが好きな子供だった。心残りは、自営業が忙しかったため家族で旅行ができない事だったかな。

しかし、変化は急に訪れた。
父の会社が急遽傾いてしまった。ストレスを抱えた父は、家族へ暴言や暴力を繰り返す毎日。家族同士の喧嘩も増え、兄は反抗期を迎え、心休まる日は無かったように思える。その時、私は中学生だった。自営業を営んでいたから兄弟は中学から私立に入り、私も大学付属の中学校に入っていた。が、状況は急に暗転してしまった。
通っていた中学の友達は裕福な家庭が多くて、状況を相談しても誰も理解を示してくれなかった。これが、また辛くて、孤独を感じていた。。。

そんな中学・高校時代を過ごした後、何とか大学へ内部進学する事ができた。他の人からしたら恵まれていると思う。
しかし、そこで再度転機が訪れる。引き続いて家庭内の暴力は続いていて、その時には家に帰る事が嫌になっていた。何とかして家に帰らない方法はないのか、極力家にいることは避けたいと思っていた。そんな時に出会ったのはスロットだった。

スロットで生計を立てる

当時はやっていたmixiを使って、スロットでお金を稼いでいる人と出会った。その人は、グループでスロプロチーム(スロットで金を稼ぐチームの事)を組成していた。そのチームは、東大生や早大生といった名門大学のスロプロチームだった。
中学から私立に行ってエスカレーターで大学に入った私は、どちらかといえば学歴コンプレックス。高学歴の人たちと同じチームに入れたことで自尊心を保つことができた。

家庭には居場所がなかったけれども、スロプロチームで一緒に活動することで、自尊心と生きていくための生活資金を稼ぐことができるようになり、パチンコ屋に入りびたる事になってしまった。365日中360日はパチンコ屋にいたと思う。大体、月で30万は大学生で稼いでいたように思う。大学生にしては羽振りが良かった。

しかし、時間は残酷である。そんな怠惰な学生生活を送っていたが、就職活動という意識高い系が勝つゲームに放り出されることになった。

就職活動

学生時代、スロットと麻雀しかしていなかった私にとって、いわゆる「ガクチカ」と呼ばれるものはもっていない。パチンコ屋の特性を掴んで、毎日期待値を追って店選びをしていた。店ごとのデータをとって、期待値の高いスロット台に座っていたなんて言えるものではそんな状況で就職活動が始まるものの、自分ごととして捉えられずやる気が出ない。両親に相談をしてみようと思うが、ほぼ家庭内別居の状態。気が載らない中で両親に相談をしてみるが、自営業を営んでいたから、そもそもサラリーマン経験なんてなかったのだ。

まぁ一人でやるしかないわな・・・・と、心を決めて就職活動に進むが、書類や筆記は通っても、全くといって面接選考が通らない。ましてや、リーマンショックの影響を直接受けた2010卒である。結果、40社ぐらい応募したが全滅をした。

リーマンショックの影響もあって、大学で就職が決まらなかった人のために就職留年用のシステムが構築されていた。学費を半額にして在学させるというものである。その制度を利用して留年をした。スロットで稼いだお金があったし、またスロットができるので留年はそこまで嫌ではなかった。

そして翌年の4月、再度就職活動が始まった。景気も若干上向き、去年の経験値もあり何とかなるだろうと思っていた矢先、両親の離婚と引っ越しが決まった。
両親の離婚には否定的な姿勢をとっていたので、結構ショックだった。目の前にある就職活動というゲームに対し、さらにやる気が損なわれていった。

4月から始まった就職活動だったけど、10月ぐらいまで何もやらなかったように思う。友達は既に就職していて友達を羨ましいなと思っていたが、パチンコ屋にいれば落ち着いた。
10月ぐらいになってから、こんなではダメだと思って、大学の就職課に行き、適用な求人票を見つけ応募した。たまたま、採用責任者が私の大学OBで、私を不憫に思ったのか内定をもらうことができた。

新卒時代

周囲と比較し劣等感を抱く

友人と1年遅れての社会人生活がスタート。友人は一部上場企業に就職していた。1年遅れて社会人スタートした私は、就職活動を通して自分に対する自信をなくしていた。
久しぶに友達に会うと、羽振りも良くなっていて、きらびやかに見えた。一方私は、誰も知らないような中小企業の社員。同じように学校に行っていた仲間なのに、これだけの差が生まれてしまうのか。

ねたみや嫉妬のようなものを抱えながらの社会人スタートとなった。

社会人になり、初めての出社日になって驚くことがあった。まさかの、同期が0人・・・
おいおい、友達1人も作れねぇのかよ・・・ってマジで思った。

でも、周りの人は新卒が珍しかったのか、かわいがってくれたので、毎週のように飲みにつれていってもらった。この経験で、今では毎日お酒が欠かせない体になってしまった。。。

順調に社会人生活を歩んでいて、合コンや、当時流行っていた街コンなんかも積極的に参加をしていた。時には、街に繰り出してナンパしたり、若さと少しのお金をもっている若者ならではの遊びに明け暮れた。

「このままでいいのか?」

しかし、そういった生活にそこそこ満足していたものの、心の奥底では「これでいいのか?」っていう気持ちがあった。
周囲は立派に見える企業で立派に見える仕事を行っている。ボーナスや月給も自分より多い。ましてや、知名度のある会社で働いているという事に、嫉妬をしている自分がいた。このころから、現状から打破したいと思うようになった。

しかし、新卒入社で失敗した自分が、これから成り上がる事なんてできるのだろうか。やっただけ無駄なんじゃないか。就職活動の失敗と両親の離婚を通して、自己肯定感がなくなっていた私は、何も動くことができなくなってしまっていた。

その時ぐらいから、頻繁に学生時代の先輩に会うようになっていった。何とかして人生を変えたいと思っていたのだと思う。人生経験の豊富な先輩なら、このモヤモヤした想いを解決してくれるはず。そうやってしていた時に人生を変えるものに出会えた。

転機① ロールモデルとの出会い

とある先輩が、青山社中という企業のセミナーに出てみたらどうかと提案してくれた。このセミナーでは、各界の著名なリーダーを読んで少人数セミナーをするというもの。参加に3,000円ほどかかり、その後には飲み会をあるらしい。さすがに、25歳ぐらいの若造で、大人たちの飲み会に行くわけにはいかない。一気飲みとかしてしまいそうだ。
まぁ、飲み会は自由参加だったので参加せず、思い切ってセミナーだけ参加してみた。

今となっても、このセミナーに参加してよかったと思っている。
登壇者は、コペルニクの中村 俊裕CEO。セミナーの内容は、自分のキャリアの変遷や今やっている事の説明と言った、ごくごく当たり前の内容。
この中村さんは、京大卒から国連に就職し、国連での経験からNPOを立ち上げたという猛者と言える経歴である。今までの自分であれば、こんなの金持ちしか無理だろとか、自分とはかけ離れた人だ、と思っていたのだがこの時は違った。
直接お会いできたからか、中村さんの風貌からエネルギッシュな何かが常に発散されていて、そのエネルギーに自分が感化されてしまっていた。セミナーに参加した後の気持ちはこんな感じ。
「おれもあの人みたいになりたい!!」

その次の週から、転職活動を始めた。

転職活動

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