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読書ノート 「神秘哲学 ギリシアの部」 井筒俊彦

割引あり

序 文
第一部 ギリシア神秘哲学
第一章 ソクラテス以前の神秘哲学
 (1)ディオニュソス神
 (2)クセノファネス Xenophanēs
 (3)ヘラクレイトス Hērakleitos
 (4)パルメニデス Parmenidēs
第二章 プラトンの神秘哲学
 (1)序
 (2)洞窟の譬喩
 (3)弁証法の道
 (4)イデア観照
 (5)愛(エロース)の道
 (6)死の道
第三章 アリストテレスの神秘哲学
 (1)アリストテレスの神秘主義
 (2)イデア的神秘主義の否定
 (3)アリストテレスの神
 (4)能動的知性
第四章 プロティノスの神秘哲学
 (1)プロティノスの位置
 (2)プロティノスの存在論体系
 (3)一 者
 (4)「流出」
 (5)神への思慕

〔附録〕ギリシアの自然神秘主義――希臘哲学の誕生
 覚書
 第一章 自然神秘主義の主体
 第二章 自然神秘主義的体験――絶対否定的肯定
 第三章 オリュンポスの春翳
 第四章 知性の黎明
 第五章 虚妄の神々
 第六章 新しき世紀――個人的我の自覚
 第七章 生の悲愁――抒情詩的世界観
 第八章 ディオニュソスの狂乱
 第九章 ピンダロスの世界――国民伝統と新思想
 第十章 二つの霊魂観
 第十一章 新しき神を求めて――形而上学への道
 第十二章 輪廻転生より純粋持続へ

解説……………納富信留

 ここでは特にプロティノスの項について注視してノートを取る。
 と書いたが、全部一から読む。

第一部 ギリシア神秘哲学


第一章 ソクラテス以前の神秘哲学

(1)ディオニュソス神

  • ディオニュソス神…山深きアジアの蛮神。狂乱をもって悪疫のごとく村から村、都市から都市に伝播し、美しい天地を血腥き冷気に満たす。

  • 紀元前6世紀頃、実際にそうした侵略があったのだろう。それによりギリシアの調和は乱れ、精神的文化的危機がギリシアに訪れる。為政者は恐れ、民衆は熱狂的にこれを迎えた。

  • ディオニュソスの大いなる魅力は「永遠の命」。祭礼のイニシエーションによって民衆は神に触れ、永遠の命に触れ、空前絶後の至福を体験した。西欧的人間は、はじめてエクスタシス(霊魂の肉体脱出)及びエントゥシアスモス(神の充満)を体験し、神秘主義の洗礼を受けることになる。

  • 密教宗教は神秘主義的体験に関する限り、典礼主義を主張する点については、神秘主義的生活と教会的秘蹟典礼生活との絶対同一を主張するカトリック教会内の一派と立場を等しくする。すべての信徒は例外なく神秘家なのである。しかしながら、主張の如何に関わらず、秘蹟的宗教生活においては、一般の信徒には全然覗き見る事も出来ぬ極めて異常な体験をする一群の人々がいることもまた否定すべからざる歴史的事実である。

  • アリストテレス「(密教宗教の典礼効果について)入信者たちは何かを知的に学ぶのではなくて、情緒的に震撼させられるのである」

  • 秘跡、秘蹟=サクラメント、一種の照明体験が生ずる。

  • ギリシアにおける神秘主義潮流の最古層とでもいうべきこの第一波は、流行以前に、すでに早くもイオニアの沿海植民地域に有力な哲学思想(ミレトス学派の自然学)を誕生させていた。

  • ミレトス学派は悲惨な運命のもと、短命で終わる。汎生命的世界観と質量的自然考察が結びついた自然神秘主義であったミレトス学派は、やがて分離し、後者は西洋自然科学として歴史的にも輝かしい展開を遂げるが、前者は詩人で預言者であったクセノファネスに受け継がれていく。


【ディオニュソス 参考文献】
〇『世界大百科事典 19』  平凡社 2007年 
p.25 【ディオニュシア祭】の項あり。
「古代ギリシアの祭典。祭神はディオニュソスで、古い陽気でエロティックな農民の祭りであったが、悲劇や喜劇の競演が催されるようになったため、文化史上重要な役割を果たした。アテナイには、この名で呼ばれる祭典が三つあった。

 第1に、古くからアッティカの村々で祝われていたものがあり、巨大な男根(ファロス)を掲げ持っての行列、無礼講的な儀式などが行われた。
 第2は、これらの村々の祭りの一つ、エレウテライEleutherai村のものが僭主ペイシストラトスによりアテナイ市内へ移され、アクロポリス南東麓に神殿も建てられた。これは<大ディオニュシア>と呼ばれ、毎年エラフェボリオン月(3月末ころ)5日間にわたって盛大に祝われ、前6世紀後半から悲劇、前5世紀初頭から喜劇の競演が始められ、劇場も整備されていった。
 第3に、<レナイアLēnaia>とも呼ばれるディオニュシアがあり、ガメリオン月の12日(1月末ころ)に市内で祝われ、喜劇や悲劇が上演された。

やがて他の多くの都市へも、劇の競演を伴うディオニュシア祭が普及してゆく。」と記載あり。 
 
p.26 【ディオニュソス】の項あり。神話上の祭儀について記載あり。 
「(前略)人間にブドウの栽培を教えつつ、みずからの神性を認めさせてその祭儀を広める時が来た。
彼はまず小アジアを征服、ここで獲得したおもに女性からなる熱狂的な信者たち
(バッカイBakchai<バッコスの信女>、
マイナデスMainades<狂乱の女>などと呼ばれる)、
またいつも彼につき従うサテュロスやシレノスSilēnosなどの山野の精を引き連れて、次はギリシアへと歩を進めた。
(中略)松明やテュルソスthyrsos(蔦を巻き、先端に松笠をつけた杖)を振りまわしつつ山野を乱舞し、陶酔の極に達するや、野獣を引き裂いてくらうなどの狂態を示すに及んだ(後略)。」と記載あり。 
 
〇『哲学事典』 平凡社 1979年 
p.959 【ディオニュソス】の項あり。
「(前略)祭りは陶酔せる信女らが山野の夜を松明をふりかざし、テュルソス(つたをまきつけ松かさ形の頭部をもつ長い杖)をふるって、乱舞しつつかけめぐる「オルギア」がとくにこの神のものになっている。(後略)」と記載あり。

〇『ギリシア神話』 豊田和二/監修 ナツメ社 吉田敦彦/著 PHP研究所 2006年 
p.104 「第6章若き神々の物語 ディオニュソス信仰の始まり」の項目に
「元来、ディオニュソスの祭儀は、秘儀として夜中に執り行われた。信者の多くは女性が占め、彼女たちは酒を飲んで歌い踊り、陶酔の表情で狂喜乱舞し、ときには獣を八つ裂きにしたり、生肉を食べたともいわれる。その異様な姿から、彼女たちはマイナス(狂った女)と呼ばれた。」と記載あり。 
 
p.107 「古代ギリシアの秘儀」の項目に
「ディオニュソスの秘儀 内容
●忘我的な狂騒をともない、荒れ狂って山野を駆け回り、獣を八つ裂きにして血のしたたる生肉を食らったともいわれる 
●信者の多くは女性で、彼女たちはマイナス(狂女)と呼ばれた
●前7・8世紀頃にギリシアに移入。庶民の間で広まり、徐々に支配者階級へも広まっていった」と記載あり。 
   
〇『図説ギリシア神話 <神々の世界>篇』 松島道也/著 河出書房新社 2001年
p.104-105 「15 ディオニュソス ディオニュソス祭り」の項目に
「ディオニュソスは木蔦の頭飾りをつけ、
片手に大型の酒杯カンタロスを、
片手に葡萄の蔓をもち、
マイナスたちは木蔦や樫や樅の葉の頭飾りを着け、
半裸の身に豹や鹿の毛皮をまとい、
片手にテュルソスの杖、
片手には生け捕りにした蛇や兎を握り、
陶酔忘我のなかで乱舞している。
シレノスやサテュロスやパンたちは裸身の肩に毛皮を掛け、粗野な身振りでマイナスと戯れたり、アウロス笛やシュリンクス笛を吹き鳴らしている。」と記載あり。
 
〇『酒の神ディオニュソス』 楠見千鶴子/[著] 講談社 2003年
p.74-75「秘儀-熱狂と解放」の項目に
「深山は、ディオニュソスの秘儀にとって欠かせない舞台だった。(中略)獣の毛皮を着て踊り狂うこと、身をとろかす笛の調べの甘さに酔いしれること、酒を呷ること、相手かまわず交わること、生きながら獣を八つ裂きにすること・・・・・・。」と記載あり。
 
〇『ディオニュソスからアポロンへ』 フリッツ‐ヨーアヒム・フォン・リンテレン/[著] 以文社 1988年
p.79「第二章 ディオニュソスを供として 二 ディオニュソス的姿勢とクラーゲス (a)ディオニュソス的なできごとの共同遂行」の項目に
「時代と現存在の不安から解放しようとするディオニュソス祭の熱狂的な笛音楽と、その音楽につきものの踊りとによって、こうした馬鹿さわぎはさらに増大し、享楽的なものになっていくだろう。」と記載あり。
 
〇『ラルース ギリシア・ローマ神話大事典』 ジャン=クロード・ベルフィオール/著 大修館書店 2020年
p.42「アグリオニア祭」の項に、
「ディオニュソスを祝う年1回の祭典。デバイやアルゴスだけでなく、3年ごとにオルコメノス(ボイオティア)でも3月、4月の夜に開催された。(後略)」と記載あり。
p.67「アテナイ」の項に、
「テセウス以前のアッティカとアテナイ」の項目あり。「(前略)いにしえのディオニュシア祭(アンテステリア祭)には、リムナイに座すディオニュソスのためにおごそかな儀式が行われた。(後略)」と記載あり。
p.141「アンテステリア祭」の項目に、
「このディオニュシア祭は最も長い歴史を有し、イオニア全土で行われるものである(後略)」と記載あり。
p.394「サテュロス」の項目に、
「(前略)古代アテナイでは、大ディオニュシア祭の折、3人の著作者を競わせる競技会が行われた。著作者はそれぞれ、同一の神話について構成される、一続きとなった3作の劇を発表する。(後略)」と記載あり。

p.411「祝祭と競技会」の項に、「ギリシアの祝祭と競技会の項目あり。「(前略)祝祭は特定の日に執り行われる。大小の規模で年に数回行われること(小ディオニュシア祭、大ディオニュシア祭)や、数年に1度の頻度で行われること(オリンピック競技会)もある。(後略)」と記載あり。
 
〇『世界神話大事典』 イヴ・ボンヌフォワ/編 大修館書店 2001年
p.416「ディオニュソス」の項目に、「Ⅰ.都市の異邦人」の項あり。
「(前略)より綿密な分析が、この神は、アパトゥリア祭(フラトリアという氏族集合体の祭)やアンテステリア祭(新酒と死者たちのための祭)のような古い祭に現れていて、いくつかの政治・宗教的システムの中で、1つの中心的地位を占めていた可能性のあることを証明する気運が出てきた。(後略)」と記載あり。

〇『世界大百科事典 19』 改訂新版 平凡社 2007年
〇『哲学事典』 平凡社 1979年 
〇『ギリシア神話』 豊田和二/監修 ナツメ社 吉田敦彦/著 PHP研究所 2006年
〇『図説ギリシア神話 <神々の世界>篇』 松島道也/著 河出書房新社 2001年
〇『酒の神ディオニュソス』 楠見千鶴子/[著] 講談社 2003年
〇『ディオニュソスからアポロンへ』 フリッツ‐ヨーアヒム・フォン・リンテレン/[著] 以文社 1988年


(2)クセノファネス Xenophanēs

  • コロフォンの詩人クセノファネス

  • 強烈鮮明な宇宙体験によって超越的「自然」から翻って独特な存在論を形成した。

  • 彼を転機にイオニアの存在論は急速に形而上学への道をたどり始める。

  • ミレトス派…宇宙的根元的「一者」の探求を始めたが、未熟。

  • クセノファネスは感性的世界の魅力を知りすぎていた。究極的絶対者の実在性とともに、感性的経験世界の実在性をも彼の詩魂は直感していた。

  • 人里離れた洞穴に滴り落ちる山清水を、沼沢の蛙を桜桃の樹を彼は歌う。鮮黄なる蜂蜜の甘さと無花果の甘き果汁の味とを比較することも彼は忘れない。彼の描き出す華やかな饗宴の席には、花瓶に盛られた色様々なる草花が妍を競い、かぐわしく立ちのぼる香煙のけむる中、盃にあふれる名酒が、清らかなる冷水が、褐色のパンとチーズと蜂蜜が人々の心を官能の快楽に誘う。

  • クセノファネスの神は「全」と一義的に対峙拮抗する純形而上的「一」ではなくして、「一」と「全」とが超越・非超越の絶対対立関係にありながら矛盾的一致において相合する「一・即・全」なのである。

  • アリストテレス「(クセノファネスは)悠邈(とてつもなく遠い)たる穹窿(弓形に見える天空)をうちみやり、この「一」こそ真の神であると説いた」と記している。

  • キケロ「(クセノファネスの説によれば)一はすなわち全であり、不変不動にて、これこそまさしく神であって、不生永恒、しかしてその体は球状をなす」

  • 脱自…エクスタシス、文字通り、「外に立ち出ること」、自我の消滅を意味する。

  • 神充…エントゥシアスモス、自我意識消滅の肯定的積極的側面。

  • 神秘主義的体験における相対的自我の消滅は、ただちに超感性的生命原理としての絶対我の霊性開顕の機縁となる。

  • 「神に充溢」=「一」

  • 深玄微妙なる風光

  • 「全体が視て、全体が覚知して、かつ全体が聴く」

  • 「なんら労するところなく、精神の覚知によってすべてを支配する」

  • クセノファネスの神は、超越即内在、隠れた神である。

  • そして、それは誰にも理解されないと彼は嘆いていた。

  • 「神々について、また僕が云うところの真意を的確に理解してくれる人は一人もおらず、きっと将来にも現れないだろう。偶然、完璧な真理を言い当てたとしても、その彼は自らそのことに気づかないだろうな。みんなが持っているのはただ相対的に与えられた知見のみだ」

  • クセノファネスの「一」と「全」の神は、確固たる体験の事実だが、この思想的展開は極めて複雑な問題を孕んでいる。クセノファネス以後プロティノスに至るギリシア形而上学は、その全知性の能力を挙げてこの問題と闘うことになる。

 

(3)ヘラクレイトス Hērakleitos

  • 万物の流動性を説いた最初のギリシア哲学者。

  • 「万物は流転する」

  • しかしこれは彼の独創的思想ではなかった。むしろこの思想は、当時のイオニア地方の全体の気分であった。

  • 紀元前6世紀のギリシア諸国の民衆が、あれほどディオニュソス神の到来を歓迎し、翕然として密儀宗教に趨ったのも、彼らにとって生者必滅があまりにもなまなましき現実であり、万物無常があまりにも切実なる実存的事実であったからではないか。

  • 叙事詩から抒情詩、生の儚さ

  • 「どこまでいっても、いかなる道を通っても、霊魂の限界は見いだせないだろう。それほどまでにそれは深い」

  • 内面の人。究極的実在を、クセノファネス・パルメニデスに至るエレア派が「自然の彼岸」として把握していたのに対し、ヘラクレイトスは「霊魂(プシュケー)の彼岸」として捉えていた。

  • 彼の説く「絶対同一」は、存在の最下部に現成する諸物の矛盾的動的帰一なのであった。「(全一者が)異なりつつしかも自己同一であるということを、世人は理解しない。それは弓や竪琴に見られるごとき矛盾的調和である」

  • 「清澄絶塵の形而上的浄域」に「寥廓として顕現」してくるこの動即静の根元的一者こそ、「ロゴス」であり「神」であった。

  • 後世、西洋の形而上学は、かかる「純粋持続」としての絶対者を「純粋現実態」「純粋活動」と呼んで形而上学の頂点に据えた。これは、動と静の矛盾的帰一。異質性が等質性に飛転する驚愕の事態。神は動即静の尖端であり、純粋流動の場所である。

 

(4)パルメニデス Parmenidēs

  • クセノファネスとヘラクレイトスの帰結は「一者即一切者」。

  • パルメニデスはヘラクレイトスを「両頭の怪物(即ちあらゆるものに対して反対の道の成立可能を説く愚か者)として罵倒嘲笑、激しく批判した。しかしながら、自らは意識していないが、ヘラクレイトスと正反対の道をとりながら、結局ヘラクレイトスと同じ神秘主義的覚知体験という境地にいる。

  • パルメニデスの存在論は、冷厳峻烈なるその外面的論理性にもかかわらず、内面的には著しく宗教的敬虔の霊気に満ちている。

  • カタルシス(現世的感性的穢汚の掃蕩)第1段階

  • ミュエーシス(絶慮沈潜)第2段階

  • エポプティア(霊性開顕)第3段階

  • パルメニデスは「一者即一切者」の「一者」にのみ全情熱を専注した。

  • 彼は存在の至高究極領域のみを存在者と認め、すべての下位領域を一挙に非存在とする。これは以降の神学「在りて在るもの」に通づる。

  • パルメニデス的テーゼ「思惟と存在の一致」

  • 絶対者を「存在者」として定立し、更にこの存在のノエマ(意識内対象)的性格を把握して「思惟即存在」を高唱せることは、パルメニデスの功績だが、それは先立つクセノファネスによってすでに直観されていた。


  • 自然神秘主義の一者とは、集合ではなく、あらゆる個物が究極するところに突如として顕現する形而上的「一」である。「一」は人間の意識ではなく、絶対者のみが意識することが出来る。

  • 自然神秘主義の主体は人間での実存でははなく神の実存である。

  • されば自然神秘主義に関しては、神秘的体験を日々することすら既に一種の比喩に過ぎぬ。強いて言うなら体験の主体は神であって人間ではない。人間の相対的意識が捨て去られ、空無に没入するとき、絶対意識が露見する。


  • 「あるひとつの光源から、あらゆる方向に向かって放射される光は、光源より遠ざかるに従って漸進的に弱化し、次第に薄れつつ遂に四周の闇に呑まれ消融するところの一つの円光をなすであろう。日常的人間意識はたとえばかかる光の円である。人間はかかる自己照明によって僅かに自己の周囲を照らしつつ、無限なる宇宙的暗闇のただなかに投げ出されているのである。

  • 「無限に深く無限に広き暗闇の不気味な沈黙の中にあって、危うげに風にはためくこの灯火ただひとつが彼の頼りである。灯を消すなかれ。この灯火が消えるとき、全ては黯惨たる死の闇に消え去るであろう…しかしながら実は人間が自らの照明を有するが故に、かえって周囲は無限の暗闇なのである。自ら小さき光を抱く故に、大いなる光が見えないのである。小さき光を消せ。その時、大いなる光は全宇宙に赫奕と輝き出すであろう。

  • 「霊魂の中核より四方に発出しつつ、いわば意識の全平面にわたって拡散している精神の光を、次第にその光源に向かって収摂し、すべての光力を一点に凝集していくならば、遂に密度の極限に達した光が忽然として、逆に密度の極限における闇に転ずる不思議な瞬間が来る。この時、人間的意識の光は余すところなく湮滅して蹤跡なく、それと共に、今までこの意識を取り囲んでいた宇宙的暗闇は煌了たる光明に転成するのである。人間的意識なき処に顕現し来るこの超意識的意識こそ、「存在」そのものの霊覚にほかならぬ。

  • 「クセノファネスによって『全体が視、覚知し、かつ全体が聴く」と形容された『全一者』も、ヘラクレイトスが『全てを通じて全てを嚮導する叡智』と呼んだ『ロゴス』も、また今やパルメニデスが『思惟と存在の一致』として定立せる『存在自体』も、いずれも存在至高領域の絶対的叡智性を表現せんとするものであった。存在性の絶対根元たる神は、同時に絶対意識としてのみ自己を顕現する超越的覚存でなければならなかった。ギリシア哲学の神は、そもそもその端初から既にかくの如く絶対的叡智者であったことを人間は看取すべきである。

  • 「真なる神は究極的覚存として、人格的実在以外の何者でもありえない。ギリシア形而上学の存在的頂点をなす「神」はしばしば人の誤解する如く、哲学的思惟の論理的要請として存在論体系の尖端に措定された抽象的死物にあらず、また単に盲目的機械的なる自然力を人間化して造り出した想像の産物にもあらず、人間霊魂の秘奥に働きかけてこれと脈々たる人格的関係に入るところの生命の神であった。実存哲学は人間の実存ではなくして、神の実存にその最後の根拠を見出さねばならぬ。神秘哲学はかかる意味における実存哲学である」

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