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人の真似はしない。誰にも憧れない。そんな彼女の話。

「ねえ、ましろちゃん。人の真似をするのって、私は嫌い。女の子ってみんなお揃いにしようとか言うけど、私は嫌なの。そういうの」

駅ビルの中に入っている文房具売り場で、カラフルな消しゴムとかシャープペンシルとかキラキラのペンを見ながら彼女はそう言った。多分、十二かそこらの時。電車に乗って出かけた先で、何気なく彼女は口にした。ワクワクと文房具を買いに行ったことは間違いないのに、結局その日買ったものは忘れた。

私の周囲の人間はどうしてこうにも我が強いのかと思い起こしながら、笑みすらこぼれる。彼女が「お揃い」を嫌ったのは付き合いのあった七、八年の間ずっとだったから、このフレーズはよく覚えている。

女子中学生って、生き物はわりと本能的にお揃いが好きで、群れたりする。

でも誰かとお揃いを持ちかけられるたびに、私の脳裏には彼女が蘇って違うなあという気持ちにさせられた。

だから女子中学生の間にお揃いにしたのは、私のほぼ一部のような対となる存在の彼女とは別の友人と部活動の道具の色をそろえたぐらいだ。あと初めてデートした時のディズニーのカバン。この話はまあ色々込み入っているからこれぐらいにする。

「お揃い」を嫌う彼女は「憧憬」も嫌いだった。

〇〇さんみたいになりたいとかいう感じの憧憬。女子校文化にありがちな憧憬を、一度も起こしたことがないのが彼女だった。先輩のカーディガンの色かっこいいから真似しようみたいなことがない。ロールモデル的存在を自分の中に立てるのは嫌だという感じだろうか。誰かみたいになってたまるかというような思いが根底にある人とは彼女のようなことを言うのだ。すぐにああいう風になりたいこういう風になりたいと思いを巡らせる私とはそういう意味で対のような存在だった。

高校に入ってすぐ、彼女は誰よりも先に髪を赤茶に染めた。茶髪人口が増えるタイミングで、我先に被らない色にしてくるのが彼女らしいと思った。ちなみに私は黒髪を貫くことが自分らしい派の野暮ったい人だった。

「考えても無駄なものは無駄だから、やめよう」とか「ましろちゃんはすぐぐちゃぐちゃ考えるの、よくない」とか正面切っていってくるタイプの人だった。大雑把で、切り替えがめちゃくちゃ早い。傷ついたこともあったけれど、助かったこともあったから彼女とは1対1のコミュニケーションを良くした。

唯一好きな女優さんがいて、それも結局七、八年は変わらなかったはずだ。話題についていくために見るテレビを変えるとかそういうことを一切していなかった。私の目からは迎合しない人に見えた。その分フットワークの軽さで譲れないものを守るというか、そんな感じ。

人は信じられないから、私は私の手で稼ぐ。と言ったようなことをずっと言っていて、数年前に会った時には大きな会社で出世し始めていたから、なんていうか有言実行みたいなところもある。

今どうしているかな?なんて思うこともあるが、やっぱりそれは又聞きを期待しようと思う。


グミを食べながら書いています。書くことを続けるためのグミ代に使わせていただきます。