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あなたの娘の自信は、社会が奪ったといっても過言ではない。

「お前は優秀なのに、自信がなさすぎる」

私の父が今の私によく言う言葉だ。知識を覚えるような勉強は全然できなくて、受験戦争にたえうる身体もないのだけれど、地頭の良さというか一を聞いて十を知るみたいな理解力を父なりに表わした結果がこうなのだと思う。

幼い頃は決して自信のない子供ではなかった。何でもやりたいことをやらせてもらったように思っているし、自分から進んで前に立ちたがる目立ちたがりの子供だった。女子校に入って、周りの優秀さに驚くことはあったけれど、それでも何か自分の特技を見つけようともがいていた。レールの上を歩く抵抗感がすざまじかった私はそこで、レールを自分で引いてくるという行動に出て、受験戦争を降りた。そのことに悔いはない。

その頃の父との関係は最悪で、罵声と暴力をどうDVとして訴えられるかを毎日検討していた。母ごと家を追い出されたこともある。詳しく書くと感情が混じってしまうから、これぐらいにしておくが、公的機関は全然使えなくて、絶望した。何年か家には戻らなかった。

ただ父のことは全てが悪い人ではなくて、性別に囚われない多様な選択を与えてくれる人だとも思っている。真の能力評価というか、よくもわるくもジェンダー観点が欠落している。私が男性であったとしたらアドバイスは正しいものであったと思うし、きっと頭の良さだけでなく、それなりの権力も地位も手にしていたことと今でも思う。良い子でありたいと思う気持ちは男性に生まれたかった気持ちを加速させた。単純な能力至上主義であれば幾分か期待に応えられたろう。一方、物静かで言葉が嫌いな弟はその個性が生きるよう大学院まで行って勉強をする方向に進んだ。その人の個としての能力を見出して伸ばす能力にかけては素晴らしいものがある。それは否定しない。

この点は数年かけて分かったことだ。私が変わっているのは、嫌だと思ったところで切り離して終わりなのではなくて、原因追求と解明に時間を費やすところである。昔のような父個人に対する憎しみは大分薄れ、その背景にある考え方や社会に身を向けられるようになった。今実家でのほほんとご飯を食べることが出来ているのはその環境を成立させようとした各人の努力によるものと思っている。まあ私の専攻は文学であり、社会学やジェンダーではないのだが、何度か機会を作って勉強していくうちに「家族とは」「父親の役割」とかそういうことを理解し始めた。

私の父はいわゆる経営コンサルタントという仕事をしている。多分その言葉が社会に浸透する前から、独自の道を歩んできている。今でこそフリーランスなんて言葉も浸透しているが、そういう言葉のなかったところを歩んできた人だと思う。

ある時食卓で「女性の方が優秀」という話になった。医大の入学者の男女比操作とかそんな話がされたころだったかもしれない。父は平然と会社の採用現場でも決定権のある偉い人たちがとりあえず男性で。と指定してくるから本当は女性の方が優秀でも下駄をはかせるしかない状況があるとこぼしていた。女性の方が優秀なのに、あいつらは分かっていないんだよなと語る父はいじめの傍観者が加害者的側面を持つようなそんな立ち位置の人に思えた。

勿論生きていくための仕事だから、色々なことを勝手に思うのは自由だが、私に共有する必要性はまるでない。

この時に胸に走った痛みを私は今やっと理解しているのだが、そうして女性を採用をしなかったことがまわりまわって今あなたの娘の自信のなさにつながっているということを彼は知った方がいい。私は能力のない振り、素直に受け入れる振りがないと仕事が回ってこない現実を知った。

自分の能力と学歴も性別もあっていない私が仕事を得るために出来ることと言えば、常に凡庸さを纏うことだけなのだ。高卒の女性という書類を覆すほどのパワーは私にはない。あなたが能ある鷹として爪を隠してきたように、私は爪を失うしか生きていく術がない。自信を持っている女には善意もハゲタカも山ほどやってくる。リスク回避をせざるを得ない私の生きづらさが少しでも伝わったらいい。

今の世が女性が一人で生きていくのに苦しすぎる社会であることが、少しづつ広まっている。色んな側面が明らかになっている。真に理解されることがあったなら、世の中は変わるかもしれない。

こんな世の中でもどんな世の中でも私は私のやりたいようにやるし、私の意志に変わりはない。

「もっと気楽に生きられたらいいね」

そう私の学友たちはいう。実にその通りだと思う。

あえて主語を大きくくくるが、私より優秀であった彼女たちの多くはその鋭い目を自分のことだけに使うことが出来ている。適切に世を見る目線を残しながら、結婚や出産という女性としての自分の幸せを手に入れることに成功している。思い描いた出世コースではないかもしれないが、それでも平均よりは有意な地位にいると思う。勿論仕事に邁進している人もいるかと思うが、個人的な付き合いの中ではいないので語ることが出来ない。彼女たちの生き方に対して、妬みが生じるとかではない。単純に優秀だからどちらも手に入れる最短ルートが見つかるのだとそう理解している。

折り合いのつけられない不器用で泥臭い私は多分一生泥臭いのだけれど、ちょっと彼女たちのように格好をつけてみたくなったりもする。そうするとたちまち「憧れ」や「ロールモデル」という像を押し付けられて息苦しくなって、どこかに消えてしまうというからくりもある。私には覚悟がない。

学生時代、こんなに優秀だった人たちが何故世間に名を残さないのかすごく疑問だった。「女性初のなんとか」みたいなやつもっといてもいいと思った。でもそれはたちまち分かった。名を残す価値のない社会があって、自分の幸せが他にあるなら誰だってそちらをとるだろう。子供を持ちたいとかそういう思いがある人にとっては生殖の都合タイムリミットがある問題から取り掛かるのは実に当然のことだ。

私は私のことを見透かされるのが怖いという全く別次元で、見方によっては相関する問題を抱えているので、私のことを棚上げしてこれからのことを言う。

自分一人が頑張ったからと言ってどうにかなるわけでもない問題を「先駆者」として駆け抜けるにはそれ相応の体力がいる。多分頭脳はその次でいい。不器用なぐらいできっといい。

私は私でなんとかやったとしても、到底ひっくり返すほどの力はない。同時に、後に生きていく人が現状を知らないまま理想だけに骨をうずめるようなことがあってはならないと思う。「自分」のことだけを考える人生もあると明示したうえで、やっぱり誰かの心に届いてほしいと思っている。だから私は人を育てる教育に携わろうと思った。幾度も幾度も自分の生き方を表明して、不安と悩みを切り裂きながら今を生きている。



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