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また、不可思議で不安な夢を見た

夢はほとんど見ない。

幼い頃はよく夢と現実の境界に悩まされて、怖くて仕方なかった。大人になるにつれて、消化しきれないものがある時や体調が悪い時など、何か普通じゃない時に夢を見るようになった。

ちなみに昨日以外で最近見た夢は大きな黒い犬を打ち付ける夢。少し遡ると「昨日見た夢」と私の夢の奇妙なメカニズムが書いてある。

私の中に深い記憶を残した人ほど出てきやすくて、それは期間とかじゃなく、印象的な体験であったかどうかが判断基準らしい。毎日のように顔を合わせていても会社の人が出てくることはあまりない。個として感情を共有していないからなのだろう。

昨日の夢は長かった。長かったのだが、船の下のような木で作られた空間にいたことぐらいしか全然覚えていない。その空間で働いていた。何か仕事を終えて、木の台に寝っ転がると、横にいた人(多分夢の文脈的には同僚)に突然額と鼻を合わせて抱きしめられるというところで現実の私がおかしさを覚えて跳び起きた。相手の顔が微笑んでいたことに一瞬の幸せを感じないことはなかったけれど、起き上がってしまえば寂しさが余計に募りみじめになる。

前提として、私は今風邪をひいて大変人恋しいし、弱り切っているから、なんかそういう夢を見るのは分かるのだ。なんとなく。

問題は人選だ。母とか私の自我を芽生えさせた人(何度も出てきている中高の親友のことをどう表記するか悩んでいるがこれがいいような気がしてきている)なら分かる。辛い時の夢には大体よく出てくる。二人とも優しい顔をしているから姿を思い描きやすいのではないかなと思う。それからその時々でブームがきているキャラクターや役者でもまあ分かる。単純に脳に残っているだけだ。

お前かあ、そうか。と思った人が出てきたのだ。私は私の意志で彼との関係性を深めずにここまで生きてきているというのに、ここ最近見た夢にフル出場してくるというのは私の中で何かが動いているということなのだなと思う。現実の私もこのままでいられるのはあと数年かもしれないことぐらいわかっている。男女の友情なんてモラトリアムはいつ破壊されるか分からない。破壊するのは他者じゃなく向こうかもしれないし、私かもしれない。私は家族同然ぐらいに思っているけれど、向こうがどう思っているかなんか逆立ちしても分からない。

これが平安時代なら、相手が思ってくれている分私の夢に出てくるなんて大声でロマンティックを語れたのに、なかなかどうして今の時代にそれは難しい。それでいて、向こうに女が出来たら六条御息所(源氏物語の葵の巻を参照されたい)みたいに現実の自分と乖離して現れてしまうんじゃないかみたいな斜め上の心配を本気でしている。杞憂であると分かっているのに、向こうに女が出来ることよりも自分が乖離して生霊として呪うかもしれないことを心配している辺り、生粋のエゴイストなのかもしれない。



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