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私がいつも泣いてしまうお芝居がある。

2,3年に1回。クリスマスキャロルを題材にした『スクルージ』というファミリー向けミュージカルを見る。

子供の時のクリスマスの体験を主人公スクルージが振り返り、クリスマスを祝えなくなった自分を見つめなおし幸せの価値観を再構築していく話。命の重さとか善悪の価値観とか子供向けの分かりやすい文脈を大人になってから見ると、その分かりやすく描くために削られたものとか誇張された表現とかそういうものに気を取られることもある。それでも単純に説教臭い話だと感じて終わるのではなくて、時を経て変わっていってしまう人間の恐ろしさみたいなのをむき出しで投げつけられたような気持ちになる。

子供の時に読んだクリスマスキャロルよりも、ずっと惨くて、幸せな世界が広がってるなと思う。子供でない者からみる、子供の極端で純粋な価値観には畏怖すら覚える。

客席にいる私は静かに泣いて、最後は笑って劇場を出る。分かりやすいカタルシスを享受してしまっている。大衆的でなんてセンスのないと嘲る自分のことをこの日だけは封印して、童心を覗き見ることにしている。

芝居の芸術性は客席の満足だけを追求し始めると堕落すると思っている私だが、どこかでこういう分かりやすい大衆向けエンタメが生き続けてくれないと多くの人が芸術に触れられないのだろうなと思う。劇場で見かけない年代の異色な客層は、きっとこの作品の持つ意味が多くの人の心にかつてあったはずのものだからなのだと思ったりもする。

物事を深くとらえすぎずに、ありのまま受け取るということも時には大事だと思いなおして社会に帰ってくる。

「クリスマスは恋人と」みたいな浮かれ文句を「クリスマスの由来知ってます?」みたいに片っ端から殴らなくても、私は私で賛美歌を歌って過ごそうと思う。

読み方の決まった物語なんて、その通りに読みたくはない。それでも時折こうやって、読まれ方の決まった物語たちがおしえてくれることもあると思うのだ。



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