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業界を変えるためにできることを真面目に考えた。

「保育業界を良くしたい」という言葉を発した時に、ある先生から「みんなそう思ってやってるよ」と言われたことがあります。「変えてやろう」とは思っていなくても「より良くしていきたい」そう思ってやっているはずだよ、と。

たしかに失礼なことを言ってしまった。「悪くしよう」とはみんな思っていないだろうし、より良いものにしたいというのもその通りだろう。では、なぜ良くなっていかないのか。なぜ、それぞれがそれぞれの立場で「より良いかたち」を求めて頑張っているのに、分断が起きて時に足を引っ張り合ってしまうのか。

「思想の違い、価値観の違い」で済ましていいのか。それでは前に進みません。それぞれの立場を知って、自分はどこを目指していくのかを明確にしてみると解決の道筋が見えてきた気がするので記しておこうと思います。


そもそも保育業界の課題って?という方のために簡潔に(ちゃんと書くと長くなるので)

・保育内容(子どもの主体性と人権擁護)
2016年児童福祉法改正により、子どもは[保護の対象]から[権利の主体]となり「ひとりの人間」として尊重されなければならないとされた。また、それに伴い2018年にはより子どもの主体と人権を尊重した保育ができるように保育所保育指針(厚生労働省発行)が改定。→にも関わらず、未だにその内容にそぐわない保育が行われている現場が多くある。
・業務内容の煩雑さ
無駄に重複する書類や手書き文化など(一例)
・職員の処遇や労働環境
サービス残業持ち帰り仕事、低所得など(一例)


など、挙げたらきりがないのですが、ポイントは「みんながしんどい」ということ。精神的にも体力的にも、子どもも保育士も「しんどい」現状をどの立場からどのように変革していくのか。誰と手を取り合っていくのか。


自分は今どの立場から保育業界を見ているのか。
そして、どの立場でやっていきたいか。


目指すところを明確にするために目標を「子どもたちみんなが理想と言われる保育・教育を受けられるようにする」とします。ここで「理想はそれぞれで違うだろう」という声が聞こえてきそうなので先に述べておくと、「保育者の理想の保育をできるように」ではなく「子どもたちが理想と言われる保育を受けられるように」としたように、理想はある程度同じものであるべきだと思っています。それが、児童福祉法であり保育指針・運営指針・教育要領であります。


「みんなが」それを享受できるようにどうすればいいのか。というところがキーとなってきます。


それぞれの立ち位置と役割

まず、現場の状況を簡潔に可視化しました。
(全ての人がこれに当てはまるという意味の図解ではなく、俯瞰して把握するためのものです。また、特定の立場で優劣があるわけではなくそれぞれの立場でそれぞれの役割があるものだと思っています。)

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A-1.保育の現場で働く多くの保育士たちがこの位置にいると思います。組織全体の変革よりも、目の前の子ども達の毎日を優先する立場です。優劣をつけないと言ったけれど、やはり、何よりもなくてはならない存在です。


A-2.そんな中でモヤモヤする人たちがいます。「学校で習ったことと違うような」「研修で学んだことと違うような」と違和感を感じながら、時に愚痴として表出されることはありますが同時に「自分が変なのかも」と思ってしまいその違和感に蓋をしてしまうことがあります。

A-3.その抱いた違和感を言語化し問題を定義します。


「現場が声を上げて変えていく」それが最善だと僕は思っていました。理論で武装して、行動していけばいいと。現場が変われば周りも変わると。


僕は目上の人間であろうと気にせず意見をするようにしています。

それが最善であると判断すればいちいち無駄な許可は取らずに改善していき、新しいものも取り入れていきます。法人の利己的な判断や旧態依然とした体質についてもはっきりと批判して、チームの仲間たちと働きやすい環境を作っていきました。それと同時に、スタッフみんなが子どもの最善の利益と保護者支援という同じ目的のために行動できるように環境を整えていきました。先輩や上司の顔色ではなく、目の前の子どもたちのために自分で判断し行動できるチームに育っていきました。もちろん課題は多くあるけれど、その課題にもひとつひとつ向き合い前向きに解決していける「進化し続けるチーム」になっていると思っています。

なんか急に武勇伝を語り出してどうしたんだろう…。と思われたでしょうか。理想通りに改革したように見える武勇伝をわざわざ語っているのは、この話が失敗談だということ。学びは失敗の中にこそあるものです。


実際に僕のいる放課後児童クラブは保育内容も職場環境も良くなっていきました。けれど、結果的には法人の中で浮く存在となり反乱分子と見なされて上層部から毛嫌いされることとなります。


はっきり言うと「現場が声をあげて変えていく」という方法は間違っていました。理由は大きく分けて二つあります。

一つ目は、シンプルに「嫌われるから」です。

上記のように法人の上層部や上司に嫌われるだけなら納得できますが、不思議なことに同じ辛い思いをしているはずの保育士たちからも批判されてしまいます。法人の方針に従え、勝手なことをするな、とバッシングを浴びます。本当は同じ思いで仲間のはずなのに、自分が抱えているしんどさから解放されようとすることが許せないのか、自分と同じしんどさを抱え続ける存在がいることに安心したいのか非難の対象になります。ただ生意気に見えるのかもしれません。とにかく嫌われてパワハラまがいの嫌がらせもされます。やっぱり嫌われるのは辛いですから、別の方法を見つけたいです。

二つ目の理由は少しあとにお伝えします。
とにかく、傷つくのでみんなで声を上げて変えていこう!というのは推奨しないようにしています。


B-6-7.ここで、直接問題提起せずに外側に働きかける方法があります。署名運動やデモなどがそのいい例です。(今回は脱線を避けるため労働組合やストライキについてはあえて触れていませんがそれも含まれるかもしれません)

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情報社会となった現代では、ブログやSNSを駆使して社会運動が生まれやすくなっているように感じます。誰も見向きもしなかった世界の端っこにいる一庶民の声を何万人に届けることができ、賛同者をワンクリックで集めることができます。


この流れは、保育業界でいうと「日本死ねブログ」が印象に残っています。保育現場の声ではないですがSNSでの発言が世論という形になって実際に制度が変わっていった例です。現在でもSNSを中心に現代社会の問題に切り込むインフルエンサーや多くの“批判”が注目を集めてマスメディアに取り上げられているのがそういうことだと思います。

正直なところ、僕はこの立ち位置の方たちが苦手でした。批判的な言葉でマイナスに向いているようにしか感じませんでした。けれど、最近捉え方が変わって、「良くない保育」のせいでしんどい思いをしてきた人の思いを救う(供養する)役割としても働いているように思えるようになりました。「あの時しんどい思いをしていた自分は間違っていなかったんだ」という救いになるからこそ共感されるのでしょう。

しかしながら、時には人格攻撃や暴力的な言動になってしまったり、ただ批判をしたいだけの人が(賛同者という形ではなく)集まったりする側面があることは気をつけておかなければならないと感じています。


そして、「F-8.制度改革」までたどり着いても、この場合の改革というのはハード面、つまり枠組みだけになってしまうことがあるんですよね。子ども子育て支援新制度が制定されて保育指針が改定されたからといって現場の保育の質が良くなったのかといえばそうとは言えない(もちろん改善されているところもあります)。働き方改革といっても、勤務時間が変わっただけで働き方の内容まで改善できていない…ということが起こる。中身のないものになりかねない。制度が変わっても園長や施設長の裁量でどうとでもなってしまう。まさに、はじめにあげた問題点と同じです。


ほかの立場を見ていきましょう。

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C-9.環境を変える
志高く保育業界に入ってきた人たちほど、理想と現実とのギャップに幻滅してやめていきます。制度や園が変わればより良い保育ができると思っているA、Bの人たちを同調性の高い人たち捉えるとすると、Cは自分を主体に行動する人として見られると思います。

D-10.同じく主体的に問題解決を進める立場として実践で理想を実現しようとします。周りの協力がない場合も、問題解決に向かい理想の保育に近づこうと取り組みます。しかしながら、「あのクラスだけ」「あの先生だから」という個人の能力に委ねられてしまうことがあります。方法論を編み出してアドバイスしても、助けになるどころか追い詰めてしまったり敬遠されることにもなります。実際に目の前の子ども(人)にとっては良いことです。全員が問題解決意識を持って取り組んでいくことが理想だと言われることがあります。もちろん一理あると思いますが全員が人目を憚らずにエネルギッシュに保育のことだけ考えて仕事できるかと言ったら現実的ではありません。


D-11.理想と言われる方針のもと、理想の保育を実践します。モデル園、大学付属の保育園、幼稚園などですね。制度改革の際の大きな参考になる業界のトップランナーとして必要な立場です。また、カリスマ園長などと呼ばれる人たちによって改革されていく園もこの立場でしょう。
しかし、ここにも課題があります。


先述した「現場が声を上げていく」ことが上手くいかない理由のもう一つ。それは、声をあげる人間がいなくなったら改革は終わる。ということなんですよね。当たり前なんですが、大きな問題だと感じました。

この「D.先進的組織(モデル)」に位置する、よくニュースなどで取り上げられる「カリスマ校長」とかがいい例です。もちろんその間に前進することは大きな意義があるし、そこで生まれた実践やノウハウを受け継いでいくことができることは素晴らしいことなんだけれど、そのカリスマ校長がいなければできないってことになってしまうのは危ういなあと。もっと言えばD-10と同じように「あの人だからできるんだ」という言い訳を生んでしまう。研修などでどれだけステキな実践や子どもとの関わり方を学んでも実際に現場に出たらそれどころではない、なんてことは大いにあります。

「その箱」がないとできないということ。「この方針でいきましょう」という安心できる環境があるからこそ理想の保育を追求できます。だからこそ「そこだから出来るんだ」と言われてしまいます。


そして興味深いのが、保育園を運営する企業で全国の保育園を年間で100以上見ている友人から聞いた話です。「トップの理想が高くても現場に行けば行くほどの理想からは離れていく」と。トップが利己的でも理想が高くても、どちらにしても現場は現場次第だという事実。個人の感想なので科学的根拠のある論説ではないですが、認識しておかなければいけない問題だと感じています。すみません、話が逸れました。戻します。


だからこそ、誰かが声をあげる“だけでなく”、ステキな研修を受ける“だけでなく”、本当に保育業界をよくしていくのなら「誰でもできる」にまで進化させることが必要だと感じています。

はじめに提示した通り「子どもたちみんなが理想の保育を受けられるように」そんな保育ができるように何が出来るかを考えると、「理想の保育を行うための方法論を生み出す」だけでは足りないと考えています。今のまま進むのではなくもう一つ新しい役割を見つけていきたいと思っています。

それがEです。

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ここで少し例え話をしたいと思います。

以前、同僚から「たとえば〜…に頼った説明をよくしますよね」と指摘されたのですが、褒め言葉だと思って堂々と話を進めます。


「みんなが理想の保育を受けられる」という目標を、

「みんなが安全に美味しいものが食べられる」と例えてみます。全国のみんなが安全に美味しいものが食べられる。(これに近いミッションを掲げている企業もあると思うのでイメージしやすいかと思います)


そんな時に、色んな方法があります。

まず


【インフラの整備】

1、安全な水

2、安全な食材

3、最低限の調理器具

ーーーこれは、Fの部分。枠組みといっていた部分です。無くてはならないものであり、個人の力ではどうにもできない部分なので国などの大きな力が必要になってきます。逆にいうと国の力でどうにかなる部分ですが、安全な水があって安全な食材があっても調理方法が分からなければ“美味しい”には届きません。(ただし、前提の条件としては必要なものになってきます)保育でいえば、施設の確保や制度、指針の制定などでしょう。


では、“美味しい”ものを食べるにはどうするか


【料亭型】
1、美味しい料理を発明する

2、その美味しい料理を提供する

ーーーこれだと、このお店に行かなければ食べられないので“みんなが”という目的を果たせません。(先に例に出したカリスマ校長の例)


ここで、ふた手に分かれます。


【養成機関型】
1、料理ができる人を増やす

料理人を増やすことを目的に、プロフェッショナルを育てます。料理のノウハウを教え専門知識を身につけます。が、全世界人口に比べてそのプロフェッショナルの人数の比率は低く人員が足りません。加えて育った全員が料理人になるわけではありません。(保育士不足)また、養成機関で習得した理想の知識と現場のギャップに戸惑い力を発揮できなかったり離れていくケースもあります(C)


【ファミレス型】
1、作り置きしておく、工場を作る

大量の食材を仕入れて同じ作り方、工場で大量生産してそれぞれの飲食店に提供します。温めるだけで済むので料理人でなくても提供できます。これにより“美味しいもの”を食べられる人は増えましたが、そのお店にしかレシピはありませんので“みんな”が食べられるわけではありません。(先進的保育園を運営する企業法人)

ーーーどちらも、美味しい料理を食べられる人は増えますが「特定の人」に限られてしまいます。ならば、やはり現場レベルで多くの人が「作れる」ことが最善かもしれません。(保育園の方針に関係なく保育士全員が実践できる方法)


【本格お料理教室型】
1、料理できる人を増やす(パート2)

プロに教えてもらう方法。みんなで通います。「今日は麻婆豆腐を作りまーす!まず中華鍋を用意して、火力の強い業務用コンロが必須!テンメンジャンとトウチが味の決め手になりまーす」と作ってみたら「美味しい美味しい!」とテンション上がって帰っても、家に中華鍋も業務用コンロもテンメンジャンも無い。トウチなんてどこに売ってるかもわからない。ということが起きます。資金があったりやる気がある人は買いに行くかもしれないけれどそんな余裕“みんな”にはありません。(キラキラ研修と現場のギャップ)


【3分クッキング型】
2、多くのレシピの開発

本格お料理教室よりも家庭で作りやすいので、比較的“みんな”が食べられるものになります。しかしながら、細かいレシピが決まっているため足りない食材があった場合作れません。(実践の応用、転用の困難さ)

ーーーこの2つは惜しいところまで来ました。


(課題)どんな食材でも作れるもの&どんな道具でも作れるもの↓



【ユニバーサルデザインなレシピ型】
○どんな環境(道具)、どんな食材でも応用の効くレシピ

豆腐がなければナスで、甜麺醤がなければ合わせ味噌で、スチーマーがなければ鍋で、鍋がなければ電子レンジで、その環境に依存することなく実用、応用できるようなユニバーサルデザインレシピの開発。

僕は保育でも、このUDR(ユニバーサルデザインレシピの頭文字。略したことに意味はない。)が鍵になってくると思っています。


保育の現場ではじめの表の(A-1.指示されたことをする)人たちがほとんどです。保育という仕事は、一度として同じ場面はなく常に保育士の「裁量と判断」に委ねられます。しかしながら、その場で臨機応変に考えその子その子に合わせて保育することは難しいのが現状です。それは、その保育士さんの力量のせいではありません。保育に失敗は許されないからです。失敗しないように、その園で行われてきた、または自分が行ってきた成功体験をなぞることになります。


その中で、「ある程度の融通が利く」けれど「具体的な」方法があると、それを基準にして判断し行動できるようになると考えています。


【インスタント型】

・どこの誰が作っても美味しくできる即席料理です。カップ麺、クックドゥ、即席だしなど。冷凍食品も入りますね。最近冷凍パスタにハマっています。あれ、本当に美味しいです。

大きな力とお金が必要になってきます。保育でいうと、ICTやAIの活用といったところでしょうか。大きな力が必要とは言いましたが、発明は実戦からしか生まれないので、誰かがやるのではなく現場からより良いものが生まれると思います。

この話をある方にしたところ、ICTは質を目的としたものではなく収益目的の企業もあり選び方には注意が必要という意見をもらいました。
確かに、園はとりあえず「導入した」という実績が欲しい、企業は売れるものを作りたいという構図だと、「質の高いものをみんなに」からは逆に遠のく気がします。

そんな時に図でいうところのD.先進保育園こそ親和性が高いと考えています。


僕は保育士がそれぞれの能力を活かしながら理想の保育に近づいていくためには、先に挙げたユニバーサルデザインのレシピを生み出していくことが大きな鍵になっていくと思っています。


僕のいるチームは

D-10.改善策を見つけて実践していく→改革・実践
D-11.改善・実践を組織で行う→先進的組織(モデル)

の間くらいにいながら、運営母体からは理解を得られなくてA-3あたりで戦っています)。

その課題(誰でもできる方法の発明)に向けてシフトチェンジしていくというのはなかなか難しいものです。それはなぜかというと理想の保育が一朝一夕で完成するものではなく日々の積み重ねだということと、保育に明確な正解や完成図はなく改善を繰り返していくものであるということ。現場は実践を追求していく場所だということなんですよね。


で、誰でもできる方法を発明することって、研究に近いと思っています。なんていうんですかね、別の段階というかフェーズって言うんですかね。言ってみれば、現場では「方法論」を追求してるけど、発明は「方法論」を誰にでもできるようにするのではなく、その「方法論を見つける方法」を誰でもできるようにすること。そこを目指しています。

まとめます。
「子どもたちみんなが理想と言われる保育・教育を受けられるようにする」
そのベースには子どもの主体性の尊重、子どもの最善の利益の保障、子どもの育つ力を保すること、など人権に関わることや、発達や心理学など諸々の専門性、児童福祉法・労働基準法等の法の遵守などが在るという前提で、その目的に向かうために何をしていくのか。何ができるのか。どこを目指していけばいいのかという話でをしました。


何度も言っていますが、これは「どの立場が正しい」ということではありません。それぞれの場所でそれぞれの立場の人たちが分断されることなく活躍できればいいと思っています。自分がどこを向いているのかを明確にして、同じ方向に進んでいる人たちと協力していきたいという思いです。

そして「E.誰にでもできる保育」を作っていくためには、「A.現場の保育士の方たち」こそ必要な存在なんじゃないかと思っています。多くの葛藤の中で、子どもたちにより良い保育をするために、どんな環境下であってもできる方法を「実践を通して」作っていけるんじゃないかと思っています。

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蛇口をひねって飲料水が出てくる場所で生きている人には、誰でも井戸を掘る方法も雨水を飲料水に変える方法も必要なく、飲み水がないという人に「蛇口をひねればいいじゃない」ということしかできません。蛇口がないその場所で、美味しい水を飲むために実践している現場の人たちがだからこそ、「より良い理想の保育教育」に近づいていけるんだと思います。

理想の保育ができているなら「なんでやらないんだよ」ではなく、誰にでもできる方法を見つけることに力を注ぎたいです。「環境が悪いんだ」と諦めかけている人はあなたこそが理想の保育を生み出していく一人だと誇ってほしい。手を取り合っていきたいという思いです。今こそ分断をやめて同じ方向を向いてやっていきたいと思っています。

「誰でもできるものに」


どのような形かはわかりません。「そんなものない」「机上の空論」そう言われたら反論できないくらい、今は何もありません。ですが、どういうものかイメージしてもらえるように「誰でもできる(抽象化・応用できる)」を意識して作ったものを少し紹介します。

①環境や材料が違えば作れないような細かいレシピではなく、(転用できる)ユニバーサルデザインのレシピ(代替できる食材や調味料など)
②薄めて使えるような原液を開発(クックドゥ・即席だし)


さまざまなレシピをストックしていく

子どもとの関わりについて、具体性を保ちながらも転用できるように噛み砕き(抽象化し)漫画にしています。


保育の視点について
目に見えた成果にはならないもの
→それが子どもの何に繋がっているか(生産性)を見えるように◎

チェックシートにしてみました。まだ発信しているのは1つですが、いくつか作っていて活用できそうな気がしています。


紹介した二点は漫画ですが、文章でもなんらかのツールでも良いと思っています。


さて、これでこの記事は終わりです。「オチないんかい」ってね。

E-12,13の解説真っ白ですし「何が言いたかってん」って自分で書いてて思っています。はい、なにか新しい知識や技術を修得できるような記事ではないと自覚しています。それでも、この中途半端な段階でも読んでいただきたかったのです。共感してくださった方がいれば、同じ方向を向いてこの空白に埋まるものを一緒に見つけていきたいと思っています。


すでに「より良い保育」のために発信したり研究を深めている方で共感してくださる方がいればご連絡くださると嬉しいです。
これからも、少しずつですが「どんな現場でもできるもの」を作っていくので、現場の保育士さんや子育て中の親御さんは、よかったら実践してみてください。もっと図々しいこというと、やってみてどうだったか、やり方が抽象的すぎてわからないなど、ご意見をいただけると嬉しいです。


子どもも保育士も保護者も、みんながしんどくなくて理想を追求できるように力を合わせられたらいいなと思っています。

どうぞ、よろしくお願いします。

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