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1日1分歴史小話(無料メルマガ)

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2017年10月の記事一覧

#0127【耐えるときに耐えてこその勇気(韓信)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。 今週は古代中国から「前漢時代の高祖劉邦を支えた三英傑」を紹介します。 BC221年に秦の始皇帝によって統一された中国は、始皇帝の死後数年で瓦解し、その天下は項羽と劉邦の二人の間で争われることになります。 BC202年に劉邦が勝利し、彼は皇帝に即位します。 以後、前漢の高祖と呼ばれるようになります。 彼には三人の優秀な部下がおり、彼らのお陰で天下が取れたと考えられております。 項羽は戦場に出ては最強を誇りましたが、若さゆえ

#0126【自由とは何か(ロラン夫人③_フランス革命)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。 前々回の【ロラン夫人①】はこちら 前回の【ロラン夫人②】はこちら 共和制を望む勢力としては、穏健的なジロンド派と急進的で強硬的なジャコバン派がありました。 この二つの勢力は国王だったルイ16世の死刑裁判で激しく対立し、最終的には一票差でジャコバン派の主張する死刑判決が下されました。 民衆の支持もジャコバン派へと傾いていきます。 こういった情勢を背景にやがてジャコバン派が権勢を増していくと、聡明なロラン夫人は自派の敗北

#0125【ジロンド派の女王(ロラン夫人②_フランス革命)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。 前回の【ロラン夫人①】はこちら 1789年にパリで革命が起きると進歩的な姿勢が買われた夫のロランが国会議員に選出されました。 彼女も夫に付き従い、パリへと進出します。 自宅にサロンを開き、議会で活躍している議員たちを自宅に呼んでは、革命について熱く語り合います。表面上は夫が中心ですが実際に差配するのはロラン夫人でした。 そして、ロラン夫人の知性や女性としての魅力にひきつけられて多くの革命家たちがサロンに集うようになりま

#0124【革命のパリへ(ロラン夫人①_フランス革命)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。 今週はフランス革命特集第二弾です。 前回はNo.70~No.72でした。  No.70【フランス革命の勃発】  No.71【ミラボー】  No.72【ラ・ファイエット】 1789年に勃発したフランス革命は、それまで絶対王政を敷いていたフランスにおいて国王や貴族、聖職者たちの権力・権威が落ちていき、ブルジョワジー(当初は中産階級も含む言葉でした)が権力を握っていく市民革命です。 「自由・平等・友愛」この理想に向かって突き進んだ

#0123【心のひだに触れし月(明智光秀)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。 信長を裏切った男たち特集。トリはやはりこの人、明智光秀でしょう。 歴史に詳しくない人でも、明智光秀といえば裏切り者の代名詞のような存在と認識しているのではないかと思います。 天下統一まであと一歩の信長を1582年6月2日(日付は旧暦)に京都本能寺にて攻め滅ぼしました。 信長は、早朝、本能寺が軍勢に囲まれていることに気づくと「何者の手勢か」と問います。 「桔梗の紋所(光秀の家紋)でございます。」との返答をうけ、「是非もなし」

#0122【裏切りの果てに(松永久秀)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。 信長を裏切った男たち特集、第二弾は松永久秀です。 ちょっとマイナーかもしれませんが、戦国時代を象徴するような個性豊かな人物であり、魅力的な人物です。 彼の特徴は二点。 「新しいもの好き」と「裏切り」です。 はじめて城に天守閣を築いたり、毎日健康管理のためにお灸を使ったりしていました。 当時日本に入ってきたばかりのキリスト教についても興味を示し、クリスマスを理由に「こんな日に戦うなんてやめようよ」と敵方に手紙を送るなど何か

#0121【戦国を生き抜いたもの(浅井長政)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。 今週は織田信長を裏切った戦国武将特集です。 最初は、信長の妹で絶世の美女と称される「お市の方」を妻とした浅井長政(あざいながまさ)を取り上げます。 浅井長政は滋賀県北部の大名家であり、琵琶湖の水運をベースに力をつけていきます。拠点としていた小谷城は難攻不落の山城として有名でした。 浅井家は長政の祖父の時代に、福井県にあった強国朝倉家の支援を背景に勢力を伸ばしていきました。 長政の父の代になると家中で内紛が起きてしまい、父

#0120【さらば老将よ、若き旋風(ポエニ戦争・スキピオ)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。 急遽、北アフリカのカルタゴ本国へと呼び戻されたハンニバルは、カルタゴ近郊のザマの地でローマの若き英雄スキピオと戦います。 イタリア半島で猛攻を示したハンニバルも突然の帰国で準備不十分だったことと、若きスキピオに戦術を研究されてしまっていたことが原因で惨敗を喫してしまいました。 再びカルタゴはローマの前に屈することになり、第二次ポエニ戦争も、名将ハンニバルの下であと一歩のところまでローマを追いつめましたが、結果はローマの勝利

#0119【名将の下に勇者が集う(ポエニ戦争・ハンニバル)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。 ポエニ戦争特集第二回は、名将ハンニバルを中心に話を進めます。 第一次ポエニ戦争はローマの勝利で終わりました。賠償金の制裁や貿易の制限などを科せられたカルタゴは、新規植民地経営を通じて再興を試みます。 カルタゴ・ノヴァ(新カルタゴ)と名付けられた都市をスペインに建設し力を蓄えていきました。 この植民地経営の責任者がハンニバルの父でしたが、彼はローマへの復讐の志半ばで死去してしまいます。 ハンニバルは父の遺志を受け継ぎながら

#0118【古代ローマ、半島を出る(ポエニ戦争・ヒエロン二世)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。 今週は紀元前の地中海を舞台にイタリアのローマと北アフリカのカルタゴが覇権を争った「ポエニ戦争」を取り上げます。「ポエニ」とはラテン語でフェニキア人のことを指す言葉です。フェニキア人はカルタゴを拠点に地中海貿易を担った一大勢力でした。 第1回目は、第一次ポエニ戦争の発端となったシチリア島のシラクサを支配していたヒエロン2世を中心に話を進めます。 シラクサ市はシチリア島のイタリア側にあります。 島の反対側にあるメッシーナ市を

#0117【驕れるものは久しからず(平家政権)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。 保元の乱と平治の乱を勝ち抜いた平清盛と平家一族は我が世の春を迎えます。 1159年に起きた平治の乱に勝利した清盛は、1160年に武士で初めての公卿(最高級貴族)の仲間入りを果たします。 その後も順調に出世を重ねて1167年には太政大臣へと昇りつめます。この頃になると平家一門の公卿の数は16人、殿上人(高級貴族)は30余人という大勢力となり、藤原氏ですら清盛の顔色を窺うようになります。 そして、1171年には清盛の娘が高倉

#0116【愛憎の果てに。血で血を争う権力闘争(保元・平治の乱)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。 前回の続きから始めます。 天皇家では、白河上皇の死後に鳥羽上皇が院政を敷きますが、鳥羽は、祖父にあたる白河から押し付けられた女性の子どもを嫌います。 崇徳(すとく)天皇として即位していた彼は、天皇位を自分の弟の近衛(このえ)天皇に譲らされます。鳥羽の意向に逆らえませんでした。 近衛が若くして死ぬと、近衛の兄にあたり、崇徳の弟にあたる後白河が天皇となりました。 生まれた順番:崇徳⇒後白河⇒近衛 天皇即位の順番:崇徳⇒近衛

#0115【この人のためならば。トップが持つべき覚悟とは。(台頭する武士たち)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。 月初の日本史通史シリーズです。前回の同シリーズ「No.105では院政」について取り上げました。 少し時間軸を戻して、台頭する武士たちを今回は取り上げます。 日本全国で開墾に勤しんでいた武士たちは公的な土地私有権を持っておらず、京の有力貴族たちの傘下に収まることで、辛うじてその権利を保持している存在でした。 不安定な権利の下、土地の境界争いなどが絶えず、有力貴族への貢ぎ物やコネが幅を利かせる時代が続きます。 この状態に不満