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1日1分歴史小話(無料メルマガ)

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2018年6月の記事一覧

#0225【風は蕭々として(荊軻、史記の世界)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。 今週は中国史記の世界から刺客列伝に登場する五人を紹介しています。 前回の最後に取り上げた聶政の事件から220余年が経ちました。時代は国力を増大化させた秦の下、急速に中華統一への流れが加速していきます。 (前回:No.224【ただ恩義に報いるのみ(曹沫、専諸、聶政)】) 燕(現北京近郊)の国の太子(王様の後継ぎ)は、秦王政と同年代であり幼馴染でもありました。中華統一へと邁進している秦の勢いに恐れをなした燕は、自国の太子を

#0224【ただ恩義に報いるのみ(曹沫、専諸、聶政、史記の世界)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。 今週は中国史記の世界から刺客列伝の五人を紹介。今日は、前回紹介した予譲の時代よりも前の人物を二人、後の人物を一人取り上げます。 (前回:No.223【士は己を知る者のために死す(予譲)】) まず、曹沫(そうばつ)ですが、この人物は以前No.145で取り上げた【管仲(BC7世紀前半)】と同時代であり、魯(ろ)の国(現中国中央部に位置)の将軍でした。 No.145URL https://note.mu/1minute_hi

#0223【士は己を知る者のために死す(予譲、史記の世界)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。 中国最初の正史と言われている史記には、刺客列伝という五人の「刺客」を集めた箇所があります。今日は、予譲(よじょう、生年不詳ー没年BC453年)という人物を取り上げます。 予譲は、智伯(ちはく)という人物に仕えていました。その前に二人に仕えましたが、うだつが上がらない状態でした。一方、智伯は予譲を尊敬して遇していました。 智伯は優秀な人物で、自分の勢力を拡げようと戦乱の中国(始皇帝の統一より約250年前)において知略をめぐら

#0222【徳川家康の恋愛モットー(家康の妻・愛妾たち)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。 今週は戦国の女性特集ですが、最後は徳川家康が愛した女性たちを紹介します。 徳川家康は、75年の生涯において正妻を2人、側室を20人弱、抱えました。 子どもは男子だけでも7人の女性との間に11人生まれました。有名どころを挙げます。 長男、松平信康(織田信長の娘と結婚、切腹死) 三男、徳川秀忠(二代将軍) 十一男、徳川頼房(水戸徳川家の祖、水戸黄門のお父さん) 家康は、女性の出自にこだわらず、後家好みだったと言われています。戦

#0221【三者三様、怒涛波乱の人生(浅井三姉妹)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。 今週は戦国の女性特集です。 浅井三姉妹ときいて、ぱっとイメージが湧く方はどれだけいるでしょうか。 浅井長政という滋賀県北部を領していた武将と、織田信長の妹お市の方の間に生まれたのが、浅井三姉妹です。 父が信長に逆らい、生まれ育った小谷城が落城し実父は切腹して果てました。信長の姪である浅井三姉妹は母お市の方と一緒に信長の庇護下に入ります。 本能寺の変が起きると、それまで再婚を拒否していた母は、信長の重臣である柴田勝家と再婚

#0220【戦国女性の意地(高台院(おね)と芳春院(お松))】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。 今週は戦国時代の女性特集です。 一回目は、豊臣秀吉の正妻、高台院(おね)と前田利家の正妻、芳春院(お松)を取り上げます。 この二組の夫婦は、織田信長の配下にいたときからの付き合いです。同僚だった秀吉と利家だけでなく、妻同士も非常に仲が良かったと伝わっています。 前田利家は武闘派として、豊臣秀吉は知略派として、織田信長政権において出世をしていきます。やがて秀吉は中国地方の方面軍司令官となり、利家は北陸地方の方面軍司令官補佐と

#0219【保革交代政治が前進を産む(大英帝国の絶頂、イギリス)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。ナポレオン戦争も勝ち抜いたイギリスは、着実にその地位を伸張させます。 (前回:No.218【新旧両大陸に挟まれて(大英帝国の動揺)】) そして1837年に即位したヴィクトリア女王の治世下において、大英帝国は絶頂期を迎えます。 彼女の時代に、イギリスはインドを完全に植民地化(1877年)。さらに中国の清王朝にアヘン戦争(1840年~1842年)で勝利、香港割譲。南アフリカではダイヤモンドの権益を手に入れるなど、破格の拡張期を迎

#0218【新旧両大陸に挟まれて(大英帝国の動揺、イギリス)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。 七つの海に繰り出していったイギリスにとってライバル関係にあったのはフランスでした。 (前回:No.217【動乱からの独自路線(大英帝国の萌芽)】) インド権益をかけて英仏は大きく対立し、最終的にプラッシーの戦いを経てイギリスがインド権益の独占へと進みます。 北米大陸でも英仏は争いを繰り広げます。 カナダにおいては英仏伯仲。そのため、現代においてもカナダは英連邦構成国でありながら英語と並んでフランス語も公用語という形とな

#0217【動乱からの独自路線(大英帝国の萌芽、イギリス)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。 今週は七つの海を支配し、沈まぬ帝国と化した大英帝国の繁栄に目を向けます。 イギリスは古くは古代ローマの一部であり、ケルト人の国でした。そこにゲルマン民族の大移動で流れてきたアングロサクソン系の国が成り立っていきます。 さらにヴァイキングが北海で暴れまわる11世紀になると、イギリスはデーン人の支配下に入ります。一時的にアングロサクソン系がデーン人を払いのけて王国を打ち立てますが、それも1066年にフランス・ノルマンディー地方の

#0216【理念先行・現実無視の結果(建武新政の崩壊、日本史通史)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。 月初の日本史通史シリーズ。鎌倉幕府崩壊後の後醍醐天皇による後醍醐天皇(とその側近達)のための政治は大きく綻びを見せました。 (前回:No.215【自分勝手は滅びの元(建武新政の綻び)】) 京都が遠い陸奥(東北地方)と鎌倉(関東地方)に将軍府をつくり、後醍醐天皇の息子たちがそれぞれ将軍として赴任していました。 しかし、行き当たりばったりのその場しのぎの政策ばかりを実施する京都の政権に対して各地の不満が頂点に達します。 そん

#0215【自分勝手は滅びの元(建武新政の綻び、日本史通史)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。 月初の日本史通史シリーズです。 意気揚々と天皇中心の政治を志した後醍醐天皇でしたが、彼のやりたかった政治は、厳しい言い方をすれば「天皇中心」の政治というよりも、「自分のワガママを貫きたい」政治と言えると思います。 (前回:No.214【言行不一致が不信感へ(建武新政の不安定な門出)】) 行きあたりばったりの政策、寵臣・寵妃(お気に入り)たちへの過度な恩賞。好き嫌いで物事を決めてしまう点などは、完全に自己コントロールを失った

#0214【言行不一致が不信感へ(建武新政の不安定な門出、日本史通史)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。 今週は月初の通史シリーズです。前回、不屈の傑物である後醍醐天皇の号令によって鎌倉幕府が滅ぼされたところまで叙述しました。 (前回:No.204【得意満面の悲願達成(後醍醐天皇と鎌倉幕府の滅亡)】) 隠岐の島に流された後醍醐天皇でしたが、意気揚々と京の都へと舞い戻ります。 後醍醐天皇は自分が島流しされていた間に鎌倉幕府の手によって擁立された光厳天皇の即位を否定。光厳が署名した詔書や光厳が与えた官位の無効を宣言します。 さら

#0213【終わりは新たな始まり(旧約聖書、ラケルの死とイサクの死)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。今週は旧約聖書の物語です。 神の導きで安住の地を見つけたヤコブ(イスラエル)たちですが、そこからベツレヘムへの旅をしている途中にラケル(ヤコブの二人の正妻の一人。もうひとりはレア。二人は姉妹。ラケルが妹)が産気づきました。 (前回:No.212【ペテンと復讐の嵐(ヤコブの娘に起きた悲劇)】) <>内は旧約聖書からの引用を基に記述。 <ベツレヘムへの道のりにまだかなりの旅程が残っている中、ラケルが産気づきましたが、難産で