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1日1分歴史小話(無料メルマガ)

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#鎌倉時代

#0204【得意満面の悲願達成(後醍醐天皇と鎌倉幕府の滅亡、日本史通史)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。 月初の日本史通史シリーズ。最初の武士による武士のための政治機構、鎌倉幕府が滅んでしまいます。 (前回:No.203【燃え広がる倒幕の火(後醍醐天皇と楠木正成)】) 1331年に元弘の乱が起きますが、首謀者である後醍醐天皇は虜囚の身となり、1332年には隠岐の島に流されます。 しかし、鎌倉幕府に対する不満は既に日本全国に充満しており、一度ついた倒幕の火が消えることはありませんでした。 悪党、不満を持つ御家人、寺社勢力が各地

#0203【燃え広がる倒幕の火(後醍醐天皇と楠木正成、 日本史通史 )】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。 月初の日本史通史シリーズです。 鎌倉幕府を倒すことに執念を燃やす後醍醐天皇に、幕府側も堪忍袋の緒が切れました。後醍醐天皇を退位させる方向に動き始めます。 (前回:No.202【我こそが真の王者なり(後醍醐天皇と朱子学、日本史通史)】) この動きを察知した後醍醐天皇は、逆に再度の倒幕計画を立てます。この動きに危険を感じた側近が幕府側に密告をします。 失敗する確率が高いとみて、後醍醐天皇の処遇を少しでも良くしようとしての判断

#0202【我こそが真の王者なり(後醍醐天皇と朱子学、日本史通史)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。 今週は月初の日本史通史シリーズです。 前回4月には、 No.187【無い袖は振れないけれど(御家人の没落と徳政令)】 No.188【犬も食わぬは骨肉の争い(分裂する天皇家) 】 No.189【鬼の居ぬ間に新興勢力(悪党の登場と日本経済史)】を取り上げました。 元寇という未曽有の国難を鎌倉幕府は退けることに成功しました。しかし、相手から賠償金や領土を奪ったわけではなく、日本のために戦った武士に報いる手段を鎌倉幕府は持っていませ

#0189【鬼の居ぬ間に新興勢力(悪党の登場と日本経済史、日本史通史)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。 月初の日本史通史シリーズですが、前回までで鎌倉幕府と京都朝廷のどちらも疲弊或いは対立している組織だということを確認しました。 (前回:No.188【犬も食わぬは骨肉の争い(分裂する天皇家 、日本史通史) 】) 一方で庶民たちの暮らしはどうだったのでしょうか。 御家人(鎌倉幕府に仕える武士)や京都の天皇家や公家たちといった体制側に属さない人々がいました。 彼らのことを悪党・海賊といいます。 単に道徳的な意味合いでの「悪

#0188【犬も食わぬは骨肉の争い(分裂する天皇家 、日本史通史) 】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。 さて、前回は困窮していく御家人、鎌倉幕府の武士たちを見ていきました。 (前回:No.187【無い袖は振れないけれど(御家人の没落と徳政令、日本史通史)】) 今回は鎌倉幕府に承久の変以降押され気味の京都朝廷の状況にフォーカスを当てたいと思います。 1221年の承久の変で後鳥羽上皇は倒幕を計画しますが、失敗。鎌倉幕府は後鳥羽の兄にあたる守貞親王の息子を天皇とします。 後堀川天皇といいますが、彼の系統は息子の四条天皇の代で途絶

#0176【元寇、文永の役(日本史通史シリーズ)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。 今週は日本史通史シリーズです。 モンゴルが日本に襲来する前に激動の中国大陸について前回概括しました。 今回は【No.163:北条時頼と得宗体制】の続きからモンゴル襲来前の鎌倉幕府内の状況を確認します。 鎌倉幕府は北条氏が主導する体制を5代執権北条時頼の時に確立します。 時頼は、1256年に執権の地位を父の従兄弟である北条長時に譲りますが、実権は握り続けました。 しかし、その時頼が1263年に36歳の若さで世を去ります。

#0175【モンゴルの台頭と日宋貿易(日本史通史シリーズ)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。 今週は月初の日本史通史シリーズです。 前回の日本史通史は【No.165 貴族と武士の土地争い】を取り扱いました。 日本国内の土地の権利争いを取り上げた内容となっていましたが、ここで日本列島から目を大きく大陸に向けたいと思います。 日本は古来から朝鮮半島、中国大陸と公式・非公式に交流を持っていました。 中国が唐という国家で安定していた時代には、日本から遣唐使が派遣されて公式な交流を続けていましたが、894年に菅原道真の提案

#0165【貴族と武士の土地争い(日本史通史シリーズ)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。 今週は月初の日本史通史シリーズです。 前回、鎌倉新仏教を取り上げました。新しい思想が生まれた背景には、権力の中枢が京都の貴族たちから鎌倉を中心とした武士たちに移行していたことが挙げられます。 当時の日本の富の源泉は、開墾された土地(荘園)という生産設備から生まれる農作物です。これらを元に経済が成り立っていました。 武士たちの悲願は、貴族たちにしか認められていなかった土地の私有、「所有権」の確保だったことは過去のメルマガで述

#0164【鎌倉新仏教の興隆(日本史通史シリーズ)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。 今週は月初の日本史通史シリーズです。 鎌倉に幕府が出来ましたが、日本史においてこの意味は非常に大きいです。権力の中心が京都の貴族たちから、鎌倉の武士たちへと移行したためです。 この権力の移行に伴い、社会変革が起きるとともに新しい思想が求められるようになり、ダイレクトに影響をうけたものが仏教でした。仏教は過去にも、日本に公式に伝わったとき、奈良時代、平安時代と、時代の節目節目で大きな変容を遂げています。 鎌倉時代に鎌倉新仏教

#0163【北条時頼と得宗体制(日本史通史シリーズ)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。 今週は月初の日本史通史シリーズです。 前回:No.144【北条泰時と御成敗式目】 (1月第一週目は今年の大河ドラマにちなんだ特集を行いました。昨年12月以来の配信です。) さて、源頼朝が1192年に征夷大将軍となり、名目ともに成立した鎌倉幕府ですが、源氏将軍は三代で滅んでしまいました。 それ以降、幕府の実権は有力武士である「御家人(ごけにん)」たちによって動かされていきますが、その中で最も勢力が強かったのが頼朝の妻北条政子