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#0086【武田信玄(日本、16世紀中盤)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。
今日は、武田信玄です。武田信玄といえばライバル上杉謙信とともに「戦国最強」の一人に数えられる武将です。

実際、信長が激賞した徳川家康が率いる三河兵(愛知県東部)を三方が原の戦いで粉砕します。
尾籠な話ですが、この戦いに敗北して逃げ帰る途中で家康は恐怖のあまり脱糞します。

これは、信玄の巧みな誘導に若い家康がハマってしまって大敗を喫したものでしたが、この失敗を忘れないために逃げ帰った家康はすぐさま絵師に自分の肖像画を描かせました。

これは、家康の「しかめ面」像として現存しています。実際に見るとかなりゲッソリした表情をしており、タヌキの面影はありません。

それほど強かった信玄も若い頃は合戦で失敗をしています。信玄は甲斐(山梨県)出身ですが、信濃(長野県)へ進出を企てました。

そこで村上義清という武将と対決し、二度大敗しています。

力技にだけ頼る若者であった信玄は相手の反発心による力の機微が読み切れず、勝てる状況から逆襲されてしまうことがありました。

こういった経験を活かして、硬軟両面の戦略家として成長し謀略を用いて相手の結束を崩し、内部崩壊させて最終的に村上義清を追い出します。

信濃国を得た信玄の前に、越後(新潟県)の上杉謙信が立ちふさがりました。川中島は長野県北部にあり、亡命してきた村上義清の領土奪回という大義名分を掲げて、信玄と謙信は幾度となくこの地で戦いますが、結局は引き分けに終わります。

但し、戦略目的は川中島の「防衛(信玄)」と「奪回(謙信)」と考えれば、引き分けという形で防衛に成功した信玄の勝利と言えます。

信玄は自分の国に攻め込まれたことがなく、拠点は城ではなく「躑躅が崎館(つつじがさき やかた)」でした。信玄が残した歌に
「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり」
があります。

領国経営にも意を注ぎ、戦国最強の戦略家として名を馳せましたが、冒頭の三方が原の戦いで家康を撃滅した後、信長との対決を前に病死してしまいました。天下に届かずに人生を終えます。

最後に信玄のエピソードで有名な手紙をご紹介します。

「あの人とは一緒に寝たことはありません。私が深い仲になりたいのは、あなたです。それなのに、かえって疑われてしまってはどうしたらいいのでしょうか。」

浮気を疑われた信玄が出したラブレターです。
「あの人」は弥七郎
「あなた」は春日源助
そう、男性です。

戦国時代は、男性同士が愛し合うことは一般的なことでした。同時に女性も愛していますので、LGBTの「B:バイセクシャル」が多かったです。

文献上「G:ゲイ」、「T:トランスジェンダー」も多く残っています。「L:レズビアン」も筆者が知らないだけで残っていると思います。

常識は時代によって変わります。

LGBTに対する差別がなかった時代が、過去にあったことを踏まえられると、現代の問題も少し解決に向かうのかもしれません。

以上、本日の歴史小話でした!

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発行人:李東潤(りとんゆん)
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https://note.mu/1minute_history/m/m814f305c3ae2
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