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社会で必要とされる基本的な能力

「仕事」って言われると何か堅苦しくて難しそうに聞こえるが、実際やっていることは、話す、聞く、書く、読む、のいずれかである。
どんな仕事であれ、必要となる基本的なことはそう変わらない。
故に、社会に出て仕事をする上で、必要とされる能力は読解力と要約力だと思う。
スキルとか資格とか小難しいことではなく。
もう少し言えば、以下のような感じ。

  • 必要な情報を理解して答えを探す能力

  • 調べたことをまとめる能力

  • 説明書(日本語)を読んで理解する能力

  • 自分が理解したことを他人に説明できる能力

能力などと大それた書き方をしているが、普通に日常生活を送っていれば誰もが実践していることである。例えば、家電を買おうとすれば、どういう家電が必要か、予算はどのくらいか、メーカーやデザインにどのようなこだわりがあるか、どうやって探すか、ネットで買うのか店舗で買うのか、など必要な情報は一通り自分で調べ、買った後は説明書を読んで使い方を学び、必要に応じて買ったものについて誰かに説明する。社会で要求されている能力も、これら日常的な能力の強化版みたいなものだと思う。

何故この能力が必要とされるのか。
仕事に就いてから初めて知ることは山ほどあり、そのたびに自分で調べて勉強することになる。○○について調べてまとめて欲しいと直接仕事として頼まれることもある。どんな仕事でも調べるという行為なしに遂行することは難しい。また、調べたことや自分の仕事については自分で説明できなければならない。上司は全知全能ではなく、ましてや社員一人一人の全行動を把握しているわけではないので仕事の進捗報告や成果報告は自分から行う必要がある。調べること、そしてそれを説明することは最低限必要とされる能力であり、これが上手くできる人は信用も得やすく、次の仕事に繋げることができる。基本的であり必須の能力だと言える。

わざわざ声を大にして「必要とされる能力」とまで言うのは、これが仕事となると案外難しいからだ。どこまで深く調べるかは個人によって変わるし、業務経験の差によっても変わってくる。経験豊富な人ほど情報の取捨選択精度に磨きがかかってくる。一方で、入社してすぐだと、この塩梅がなかなか掴めずに苦労する。自分が重要だと思って細かく調べたことが、実は業務上そこまで重要ではなかったり、逆に他の部分については調べ方が甘いと思われたりする。仕事で必要とされる能力、と大それた扱いになってしまうのは、何となくでやっていたことが実は意外と難しいことだったと気づいただけのことである。

日常的に使う能力なのに、何故仕事になると難しく感じるのか。日常においては手順を意識せず感覚的に実践するだけで何の問題もないが、仕事においてはそう無責任にいかないからである。プライベートであれば特にルールは無く、何を考慮するかも自分で決められる。つまり、普段は特に責任なく、失敗しても問題ない状況でこれらの能力を無意識的に使っている。一方で仕事の場合、実施者には責任があり、失敗すれば何かしらの被害を被ることになる。そうすると普段は意識していなかった細部にも目を配らなければならず、感覚的ではなく理論的に実施していかなければうまくいかないことが分かってくる。何気なくやっていることを手順化するのは案外難しい。少しの確認漏れが大きな失敗に繋がることもあり、誰でも一度は苦い経験をしたことがあるだろう。しかし、やること自体は調べてまとめるというだけなので、できて当然という空気が暗黙のうちに醸成されている。というよりは、調べて説明するというのは当然の業務過ぎて手順化されていないと言った方が正しいのかもしれない。また、調べる対象によっても手段や量は変化することが予想されるため画一的なマニュアルは作成されにくい。これらのことも、仕事になると案外難しいと感じる要因になり得るだろう。

また、難しいと感じる一因に、高校までの教育が関係あると思う。学校で学んで培ってきたことは、与えられた問いに対して解答する能力であり、疑問が明確で、かつ正当が一つに絞られるような問題の解決能力である。これ自体は非常に重要な能力であるが、調べて説明するという要約能力そのものではない。むしろ要約能力のためのツール的な意味合いが大きい。そして、「答えが決まっている一つの問題」を解決する能力だけでは仕事はこなせない。というのも社会に出て仕事をする上で、答えが一つに絞られて疑問が明確になっているような問題は少ないからだ。もちろん職種による違いはあると思われるが、大抵は曖昧な疑問点から解決策を模索することになり、結局はっきりした解決はできず、いくつかの選択肢から状況に応じて最善のものを選ぶしかない。調べる過程や説明に必要な一つ一つの要素に関しては、自分で明確な問いを設定して問題解決能力を駆使することになるが、決して問題解決能力だけで全ての仕事が完璧に片付くわけではない。問題解決能力を駆使して進めていけるように適切な問題を自分で設定することが必要になる。このあたりを勘違いしてしまうと、大学で勉強したのに社会で通用しない人間だと思い込んでしまう。使うべきタイミングや方向が違うだけで、学校で学んできたことを活かせる箇所は多く存在する。ただし、それ単独で仕事が完結すると思ってしまうと通用しないということである。国語、算数、理科、社会、それぞれで培われる能力があり、それらの上に要約力(理解&説明力)があるイメージ。仕様書や説明書を読解する国語能力、費用の算出や統計的な見地から見解を示す数学的能力、科学的に正しいか客観的な判断を可能にする科学的思考力、法律や社会のルールに則ってどうであるかを議論し、過去の実績・歴史と照らし合わせて総合的に判断する社会科能力など、それぞれの能力を社会に出てから仕事で使う場面は多く存在する。学校で培ってきたことを総合して一つの物事にあらゆる面から理解できるようになることは重要である。ただ、義務教育で教わることはもともと問題と正答があってそれ通りに答えるという個々の訓練であり、その個々の訓練を総合して理解と説明を実施する要約能力を培うことはほとんどない。学校で行う発表会的なものも結局フォーマットやトピックがある程度決まっていて、生徒が本当に頭を使って自由に説明していると言えるのかは甚だ疑問である。何かを調べて発表するというのは小学生でもやるかもしれないが、本人たちにとって重要でないことであれば活発化しない。特に興味のないことについては調べる気にもならない。そもそも自分が興味ないことや好きでもないことを要約して説明するだけの忍耐を生徒は持ち合わせていない。しかし、社会に出れば自分の興味の有無に関わらず何かを調べなければならない事態は訪れる。自分のやりたいことをやるために、興味のないことも調べなければならなくなるのはよくあること。だから、自分の興味のあるものからで良いので、何かについて説明できて、ある程度質問にも答えられるようになる、という訓練はどこかで経験しておくべきかもしれない。まずはゲームでも漫画でもいいから何か自分の好きなことを、全く知らない誰かに伝わるように説明する練習みたいなことから始めるべきだと思う。それを繰り返す中で、どうやれば伝わりやすいかを肌で感じ取る経験が必要である。なかなか学校ではそのようなことができないものと思われるが、この訓練が社会に出てから役にたつはずである。学校では習わないこの「調べて説明する能力」は社会に出てからは非常に重要である。

逆に日常でこれを上手くできる人は仕事でもある程度上手くやれるかもしれない。例えば、友達同士で旅行をする時に価格や口コミ等の各種情報を組み合わせて最適な旅行をプランニングができて、急に○○にも寄ってみたいとか○○が食べてみたいと言われても、集めた情報を駆使して臨機応変に対応できるような人とか。そういった要領の良い人は、その能力を仕事にも活かしているかもしれない。調べる上で肝心なことが何であるかを理解し、情報の集め方が上手く、決断力もある人は仕事においてもその能力を発揮できるだろう。かといって日常でそういうことが下手な人は仕事も全くできないのかというと、そうとは限らない。もちろん最初は苦労するかもしれないが、訓練次第でどうとでもなるし、何より経験によって上達する可能性があり、何度もこなして慣れることは可能である。おそらく最初からできる人は、頭の中に自分なりのプロトコールや方程式が存在していて、スイスイと進められるのだろう。それはすなわち、上手くできる人の手法やコツを具体的に手順化して模倣することができれば誰でもある程度は再現可能だということでもある。上手い人のを参考にして、経験を積み、自分なりの手順をちゃんと書き出せるようにしておけばよい。学校の勉強でも、最初からすぐに理解できた人と、猛勉強して時間をかけて理解する人がいたように、苦労に差はあれど、ある程度はできるようになるものである。相応の努力が必要というだけで。

業務として頼まれた場合のこの能力について考えてみる。この能力は、言い換えると、誰かにとっての特定分野の検索エンジンになってあげる能力みたいなものである。「調べて欲しい」という依頼の意図を理解すると具体的にどういうことをしなければならないかが分かってくる。わざわざ人に「調べて欲しい」と言っているのは、ググってすぐに答えが出ないからである。答えが一義的に決まるようなことならググった方が早い。おそらく得たいのは「答え」ではなく「理解」であり、その理解に必要だった情報をまとめて欲しい、ということである。情報収集と、ある程度の理解を自分の代わりに時間を費やしてやってもらいたい、と言っているのである。何か選択を必要とする課題があり、その判断材料が欲しいということである。また、調べて活字から情報を得るよりも音声として会話から情報を取得する方が圧倒的に早く、詳しい人から教えてもらう方が必要な情報を質問によって効率よく取得できるメリットがある。よって、調査を依頼された側は、○○についてこれはどういうこと?って聞かれたら端的に説明でき、これはこっちの方がいい?と聞かれたら意見が言えるになることが求められる。生き字引とまではいかなくとも詳しい人になる必要がある。全てに詳しくなるのは難しいが、ある特定の物事だけを、何も知らない普通の人よりは理解している状態になるのはそこまで難しいことではない。そして、働いていればそういう人間になることを要求される場面は多く、また、それができる人間ほど重宝されるようになる。コツとしては、○○について調べて欲しいという仕事を振られた際にできるだけ○○オタクになるつもりで挑むことである。本人がその立ち位置を望む望まないに関わらず、とにかくやってみてくれることを上司は望んでいる。たとえ本人が不本意であったとしても、仕事自体は前進するし、そこで培ったことは決して無駄にならない。教えてもらうことよりも自分で調べたことの方が印象に残るし、自分で調べて知識を修め、それを誰かに役立てる経験をすると、責任感が生まれ、自信もついてくる。また、これについては自分が詳しいんだという自負ができる。慣れてきたら、何故それに詳しくなる必要があったのか、どう役立つかも考えるようになり、広く全体を見渡せるようになれば、また情報を探す視野が広がる。そして過去の失敗から必要な情報は何だったのかを再検討して次に活かすことができれば、よりブラッシュアップしていける。人生、何が役に立つかは予測できないこともあり、とにかくやってみるというのは大事である。何かに詳しいと言うのは一つの武器であり財産である。

自分もまた、経験から気づいたことを言語化し、まとめて、noteで説明することで要約能力や説明能力を養っているのかもしれない。

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