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20221122 思い込みと自動思考

今日の調子(10段階評価)
身体→4
心→4

今朝は強烈に鬱っぽさが襲ってきてしまい
身体も心も固まってしまっていた。
午前中は寝込み、昼過ぎからやっと動き
こうしてnoteを書いている。

\理解して欲しい、心配して欲しい/
私の中で、かまってちゃんモードが
発動してしまっていた。

同居の夫にではなく、実の姉や兄
両親にである。
両親は今の私の状態を知らない。
10年以上前に患った鬱はすっかりと
治ったものと思っている。
きょうだいには、通院していることは
知らせている。

先週、母と姉と出かけた。
その時、いやその前からモヤモヤしている
気持ちがあった。
姉は私の今の状態を知っている。
調子が悪くなってしまった際に
一番に相談をしたのは姉だった。
その際に、通院をすぐに勧められた。
多少は病気に対しての理解を示して
くれているし、頼りにしている存在の
はずだった。


ところが、通院し始めてから急に
連絡が激減してしまった。
もともと頻繁に連絡をとっていたわけでは
ない。
たまたまかもしれないし、負担に感じたの
かもしれない。
それはわからない。


先週、一緒に外出した時は母が一緒に
いたからかもしれない。
ただ、それ以外での用事のやりとりを
していたときも、一切私の状態には
触れてこない。


気を遣っている可能性も?と考えたり
する。
実際会えば元気そうに見えるだろうし。
でも私は今、話を聴いてほしいマン&
鬱特有の被害妄想が強い状態。


もう少し気にかけてくれても良くないか?
心配じゃないのだろうか?
きっと私のことが面倒になったに
違いない!!


そう思い込んで、勝手に落ち込み
いじけて、無気力になって、自分を
いじめている。


どうせ私なんて。
そう考えてまた、自分を傷つけている。

そんなにいじけるくらいなら
自分で話を聞いて欲しいと言えば
いいのに。
それすらもできずにいる。
ただただ察してほしいという気持ち...


子供じみている。
と、自分でも思う。


いつも、いろいろな場面で登場してくる
「傷つくのが怖い」という感情である。
本当の気持ちを伝えて、拒絶されたら
立ち直れない気がしている。
家族だけに、よりその気持ちが強い。




昨日少し読んだ、認知療法の本に
「自動思考」
という、言葉があった。
これは認知療法の中心的な役割を
果たす考え方らしい。

気持ちが動揺した時に頭の中に
瞬間的に浮かんでいる
考え方やイメージ
はじめての認知療法(大野裕著)より


自分なりの解釈と客観的な「解釈」は
異なる場合があるため、自分の思い込みに
囚われず、立ち止まって現実を見てみる。

空想の中では問題を解決することは
できない。

自分の考えに縛られているとつらいまま
ですが、自分の考えを振り返る余裕を
持てれば、自分の判断が当たっていても
当たっていなくても、次に進んで、気持ちを
楽にすることができます。
その手助けをするのが認知療法です。
はじめての認知療法(大野裕著)より



私の頭の中もこの「自動思考」がとても
働いているのだと思う。 


(私の頭の中の自動思考)
私はみんなに迷惑をかけているから
嫌われているに決まってる。
だから家族にも避けられている。

(客観的な真実や現実)
・家族も自分のことで忙しい、余裕がない。
・辛かったら何か言ってくるだろう。
・見た感じ元気そうで安心している。
・触れないほうが良さそう。
などなど...


事実はわからないままでも、違う方向から
考えてみると、少し気持ちが落ち着く。
というか、自分の思い込みだけで
モヤモヤしていることが大きくて
それに振り回されている。
(書くこと大切...)




午後になり、少し調子が楽になった。
先週の体調の悪さはもしかすると
\理解して欲しい!/
という気持ちを我慢しすぎて疲れた
からなのかもしれない。


家族だけど、理解して
もらえなかったとしても
仕方ないじゃないか。
家族だからこそ距離があることもある。

誰かに理解してもらうことよりも
自分で自分のできること
考えなきゃ。
体調が楽になると、やっと少しだけ
前向きになれる。

とは言え、今日はテレビを点けても
全く頭に入ってこない。
なんとなくYoutubeでちいかわを観た。

心がしんどいなと思う時は
ゆるすぎるアニメなどを観るのが
私の中では一番楽...。


クスッと笑えるものがいい。

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