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ミミさんといずみねえちゃんのお話。

いずみねえちゃん。いずみねえちゃんは私の友人のミミさんの姉さんだ。いずみねえちゃんは私と同じく長女でもある。

(長いおはなしですが最後までお付き合いください)

画像は全く別の漁港なのだが。いずみねえちゃんは港のそばにご両親とご家族と暮らしていたのだった。よく似た風景だから挿絵代わりにさせていただいた。

ねえちゃん、漢字をあてたら姐ちゃんと書くのがふさわしいかもしれない。豪快かつ大胆で優しく、そして妹のミミさんにはめちゃくちゃなことをよくやらかしてはいたが私にはとっても優しかった女性だった。

生まれた故郷を離れてからもう15年くらいか。いずみねえちゃんとは長く会っていなかった。いずみねえちゃんとは私の娘が生まれてすぐからのお付き合いだった。

ミミさんの姉さんくらいにしかあんまりどんな人なのかよく知らなかったが、私が娘を産んですぐに仕事復帰、生まれた娘は父の会社の、父のデスクの横にベビーベッドをおいて寝かせておいて私は子守りをしながら職場復帰したのだった。泣けばオムツを替えて抱っこして、おっぱいを飲ませて、しまいには背中におんぶして仕事をしていたりした。

赤ん坊は泣く。オムツが濡れてもお腹が空いても、どこか不愉快でも泣くのが仕事だ。泣き声がうるさいからという理由で会社を辞めていく社員もいたりしたが、それでも私は自分の生活のために両親の元、父の会社に産後2ヶ月を待たずに復帰せざるを得なかったのだ。まだ首も座らぬ我が子を保育園に預ける余裕は気持ちの問題だけではなく、サラリーマン家庭で所得の問題もあり、認可保育園の保育料があまりに高く、住宅ローンも抱えていたので現実的に無理、経済的に不可能だったのだ。

ミミさんは私の出産直後に父の会社に途中入社してきたのだった。学年は私より一級上で、なんとなく顔は知ってはいたが特に親しくしていた訳ではなかったが。ミミさんは仕事熱心で明るくてすぐに仕事にも慣れてくれたし何より「あーちゃん、あーちゃん」と私の娘をあやしてくれたりしていたし、そんなミミさんを私が大好きになるのは時間は全くかからなかった。

ミミさんには二人、甥がいて、子守りに慣れていたのでそれはそれは私の娘を大切にかわいがってくれていた。

ミミさんのお姉さんの二人のお子さんが彼女の甥だったのでまだ独身だったミミさんがお姉さんの子育てを手伝っていたので赤ちゃんの扱いに慣れていたのだ。

ミミさんは高校を出てからなぜだか「JAC」、いわゆるジャパンアクションクラブのオーディションを受けて合格しながらも、さらになぜだか岐阜県にある企業を選び、一時期、岐阜県にいたのだが大分に帰ってきて父の会社に入社してきたわけだ。

私の実家はエネルギー関係の事業でミミさんのそれまでの職場とは全く畑違いだっただろうにお嫁さんにいく時まで、寿退社までうちに勤務してくれたのだった。

ある時、異常に忙しくて全員がてんてこ舞いで、私の娘、赤ん坊が泣いているのが聞こえてもいたが私を含めて誰も赤ちゃんの様子を見に行くことができなかった時があった。あーん、あーん、うわあーんと泣き声がする。心が痛くてたまらなかった。
その時、ピタリと泣き声が止まった。「?」なぜ泣き止んだのだろう、と振り返ると知らない女性が私の娘をおくるみにくるんで抱いてあやしてくれていた。娘は抱っこされて安心していてすっかり泣き止み指をしゃぶっている。
「あっ!ねえちゃん」ミミさんが言った。娘を抱っこしてくれていた体格のいい女性が、それがいずみねえちゃんだったのだ。
「お腹空いてるのかな?よーしよーしいいこいいこ」とポンポンリズムを取りながら優しく私の娘をあやしてくれている初対面の女性が笑っていた。
「あっ!ゆーちゃん、うちの姉。いずみねえちゃん、な」ミミさんの紹介で私は初めてお辞儀をしてありがとうございます、とお礼を言ってから給湯室で我が子におっぱいを飲ませてオムツを替えた。

いずみねえちゃんはニコニコしていて「やっぱりお腹が空いていたんだよ、女の子は泣き方がかわいいね」と私に言ってからミミさんに何か話してから帰っていった。菩薩様が現れた!と真面目に思った時だった。

いずみねえちゃんは時に二人の息子さんも連れてきていてその二人の男の子たちも「あーちゃん、かわいい、あーちゃん」と遊んでくれたりしたのだ。優しいご家族なんだな、ってイメージだった。

いずみねえちゃんはいつも「ミミいるかな?」って訪ねてきてはよく私に手作りの料理などを分けてくれた。いずみねえちゃんの作る「栗の渋皮煮」は絶品だったし、手先が器用なのかいろいろちょっとしたお料理を持ってきてくれた。

ここまで描いたら「いずみねえちゃん=誠に手弱女ぶりがいい女」って思われるかもしれない。しかし、いずみねえちゃんの旦那さん(みっちゃんにーちゃん、と私たちは呼んでいた)とのなれそめはびっくり仰天したものだった。
みっちゃんにーちゃんはいずみねえちゃんの後輩で年下だった。そして、結婚するきっかけはいずみねえちゃんから低い声で

こら、あたしと結婚しろ!わかったか。

の一言だったと聞いている。みっちゃんにーちゃんはあまりの怖さと迫力に「は、はいっ」といずみねえちゃんと結婚したのだそうだ。みっちゃんにーちゃんはおとなしいが見た目こわもて、中身は優しいおとなしい男性だった。
これを聞いてから私たちみんなはギャハハハ!すごいわぁさすがいずみねえちゃんだわ、と笑ったが、いずみねえちゃんは案外尽くすタイプらしく、みっちゃんにーちゃんはミミさんの家で「マスオさん」をやっていたわけだ。いずみねえちゃんは長女でミミさんの下に弟もいて、実写版「サザエさん」みたいだったのだ。土佐犬がいて、闘犬として横綱の犬もいたがいずみねえちゃんは犬の面倒もよくみていたようだ。

いずみねえちゃん=スケールのでかい女   である。

しかし、いずみねえちゃんはみっちゃんにーちゃんとたまにパチンコで夫婦でおお負けしたりしたのでミミさんの経済的援助が必要なこともあったようだ。そして、ガタイがよく見えても持病があり、体が弱くもあった。ミミさんのお父上は「家族は仲良く。きょうだいは助け合いの精神が必要」がモットーだったのでミミさんはたまにぼやいて悔やんだりしてはいたが、そこは優しいミミさんだ。スパッと姉を助けて庇う。

いずみねえちゃんはとにかく優しく面白かった。
当時、まだクルマのオーディオにはまだまだカセットテープが使われていたりもしたので私はよく音楽、特にディスコミュージックやドライブミュージックを編集して自分のオリジナルテープを作り、曲のタイトル、アーティストの他になんと「ゆーのライナーノーツ」を書いていたりもしたので、ある時、アラベスクをうまいことアルバム三枚から編集してテープを作り、ライナーノーツを添えてミミさんにプレゼントしたらそれがバカ受けしたのだった。ミミさんの同級生が大爆笑してくれたライナーノーツには

80年代。時代はディスコからマイカーの中のドライビングミュージックへ。アラベスク。懐かしい方もいるはずだ。疾風のように日本を席巻した女性3人組 アラベスク! (途中、割愛します)
ほら、クルマに乗り込め!!走るんだ。公道を颯爽と楽しく走るんだ。アラベスクは暴走族のためだけの音楽ではない。

さあイグニションにキーを差し込め!回すんだ。アクセル踏んでエンジンを吹かせ!グォンとイグゾーストノイズとともに流れてくる懐かしいアラベスクの名曲の数々。恋にメリーゴーランド、ハローミスターモンキー。そしてローラースター。たくさんのアラベスクの名曲とともにいずみ姐ちゃんの青春が今、甦る!

こんなバカな事ばかり書いていたら仲間内で受けたのをいいことに私のライナーノーツの常連として常にいずみねえちゃんは登場したのだった。カセットテープ編集してはいずみねえちゃんを私のライナーノーツに勝手に登場させてしまったのだった。

そんなバカなライナーノーツを書いていたある日のこと。ミミさんの買ったばかりの新車が消えた。・・・。これは書くのが憚られたが。生活に困窮したいずみねえちゃんはミミさんの許可なくして彼女の車をなんと「質入れ」したのだった。慌てたミミさんが引き取りにいったがタッチの差でその新車は流れてしまったのだ。

ミミさんの号泣。そしてミミさんは当然、姉を責めたが、家族で話し合い、二度と繰り返さないということと、腹を立てていたミミさんがしばらく名義変更に応じなかったらしいってこと。いずみねえちゃんの体調もますます悪くなっていった時期とも重なった。みっちゃんにーちゃんは沈黙を守っていたらしいがそこはミミさんのご家族だ。なんとかかんとか新車は無理だがミミさんはまた新しく車も買い、手堅く貯蓄もコツコツしていたし、体を壊しながらもいずみねえちゃんはヘルパーとして(後に正式に介護福祉士資格を取得した)夜勤もいとわず働いていた。

いずみねえちゃんは私にはこう言っていた。「・・ミミには迷惑かけてきてすまない、っていつも思っているんだよ、これでもね」と。持病はもとは「糖尿病」で痩せたり太ったりを繰り返していたいずみねえちゃんは夜勤にいく前に黒アメとおにぎり二個をいつもコンビニによって買っていた。私がタバコを買いにいくとよく夜勤に向かういずみねえちゃんにコンビニで顔を合わせたのだ。

 食べたくなくてもね、決まった時間に無理をしなきゃ倒れたら大変だから、なぁ、ゆーちゃんもがんばれ!     そう言って笑っていたがいつも顔色が悪くて気にはなっていた。

二人の息子さんもちびっこ相撲からずっと相撲を続けていて礼儀正しくていい子たちだったし、相変わらず「あーちゃん?」ってうちの娘をまるで妹みたいにかわいがってくれていた。

そんな中、とある男性から私の自宅に電話がかかってきた。

ゆーさぁん、俺な、ずっとミミさんのことが、ミミさんのことが好きなんだよぉー!なんとかならないー?なんとかしてー!頼むよぉ!!嫁さんにしたいのっ!!  

へ?なんで自分で言わないの?と返したら一度誘ったら相手にしてくれなかったから、それでも諦めたくない!と言い張る。

面白いので、私は自分は✕がつきそうな危機一髪の家庭環境にありながらその男性(現在、ミミさんのご主人です)に一席もうけてやると約束した。私は自分は男運がないくせに「仲人」が得意でもあって、あとからそれは両親から「あんたはもう、自分はダメなくせにそういうのはうまいわ」と誉められ、そして呆れられたが、もちろん作戦は大成功でうまくいき、そのときはなんとなくだった かもしれなかったがミミさんの気持ちがその男性にどんどん傾いていき、見事にゴールインの運びになったのだった。

もちろんいずみねえちゃんもとっても喜んでくれていたし、あの無口なみっちゃんにーちゃんも披露宴ではニコニコだった。

いずみねえちゃんが披露宴で私にポツリと言った。

ゆーちゃん、ミミのことありがとな、ほんとにありがとう。

いやいやいや、って私は笑ったがあんな真面目ないずみねえちゃんを見たのは初めてだった。

(この披露宴の日は娘の九歳の誕生日だった。披露宴は午後からで、午前中に娘の父親、最初の夫は荷物をまとめて出ていった日でもあるが顔には出せなかった。友人の晴れの舞台のめでたい日に亭主が女のとこにいっちゃったなんて言える訳がないのだ)

ミミさんは現在、介護福祉士として働いている。結婚を境に寿退社してしばらくしてからいずみねえちゃんの「弟子」になったわけだ。

つい数日前。

そんなミミさんと久しぶりに電話で話をした。彼女に会ったのは父の葬儀以来かもしれない、初盆会だったかもしれない。

相変わらずバカな話をしていて私は
「ところでいずみねえちゃん元気~?」となにげに尋ねたらミミさんは少し息を吸い込んでから厳かに言った。
「いずみねえちゃんな、亡くなったんだよ。どんどん悪くなっていって腎臓ダメになって癌にもかかって。透析ももう、なぁ。でも今も苦しんでるよりは、なぁ」。

ショックだった。絶句してしまった。

いずみねえちゃんが死んじゃった!!嘘だ嘘だ。私にがんばれって言ってたじゃないか。渋皮煮、毎年作ってくれていたじゃないか。いつも笑っていたじゃないか?

大ショックだった。ミミさんは私の友人でもあり、姉みたいな人だ。父の葬儀で私の手を握り「あんたのことがうちは心配で心配で・・・」父のことでなく私を思ってくれていたのがありがたくてありがたくて。そのミミさんのお姉さんだから私には偉大なるスケールのでかい姐さんである。

いずみねえちゃんが死んじゃった。

ぽっかり穴が空いたような気持ちになった。
カセットテープのライナーノーツのお約束。いずみねえちゃんのエピソードを入れる。いくつも自分のオリジナルテープにもいずみねえちゃんが登場するライナーノーツを書いた。書きまくっていた。

最初の出会いで私の娘を抱いてあやしてくれて、最後に会った時もにこやかだったいずみねえちゃん。

いずみねえちゃん、早すぎるよ?みっちゃんにーちゃんどうするのよ?いずみねえちゃんに惚れてたよ?いずみねえちゃん、ダメじゃないか、ゆーにがんばれって言ってたじゃないか。

電話をおいてから煙草に火を着けた。

そうだ、いずみねえちゃんのお話を書いておこう。大好きだったよって書こう。不義理をした。弔問どころか亡くなったのも知らなかった。せめてミミさんが読んでくれたら。エッセイでもグダグダでも私はいずみねえちゃんが大好きだったのだからこれは追悼のラブレターでもあるのだ。

ミミさんは承諾してくれた。書いて、いい記事を書いて、って言ってた。

いいのか悪いのかわからないが。

私はいずみねえちゃんが好きだったのだ。もう一度あの上品に仕上げた栗の渋皮煮を食べたいって心から思った。生きた車エビとか持ってきてくれたいずみねえちゃん。あーちゃんあーちゃんって娘をかわいがってくれていたいずみねえちゃん。ミミさんは苦労しただろうけどミミさんはいずみねえちゃんを嫌わなかった。だって、いずみねえちゃんだからだ。偉大なるスケールのでかい女だったからだ。私の中でも忘れられない人だ。ミミさんの姉、いずみねえちゃんもかけがえのないたった一人なんだから。愛しい姉さんなんだから。代わりの人はいないから。

令和元年某日。

いずみねえちゃん 享年59歳
早すぎるその死を心より悼んでミミさんとの友情、そしていずみねえちゃんのお話しを書かせていただきました。心の中で「アラベスク」の名曲がぐるぐるしている夜更けです。ありがとういずみねえちゃん。忘れません。

   ゆー。

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