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54歳になった「ナウシカ」のクリスマス前は。

小さな頃、サンタクロースを信じていた。

保育園でも幼稚園でもクリスマスを祝うけどサンタクロースの話をすると怒る子もいた。

幼稚園のほとんどのみんなは サンタクロースはいない! だってうちにはプレゼント来ない! もらえない! そう言っていた。
 顔を真っ赤にしながら 「どうして! あんたなんかにプレゼントが来ていてうちに来ないのか! 嘘つくな! バカ」と罵られたこともある。

クマのぬいぐるみを抱いて。ベッドで横になり、眠ったふりをしていた。

  絶対今年こそ起きていてサンタさんに挨拶してありがとうを言おう! 寝てるふりをして、と。トナカイもありがとうって言ってあげよう、と。

毎年、朝早く起きるクリスマスの朝には枕元には何かしらプレゼントが、大抵は本だったがある年にリボンがかけてある重たい包みが置かれてあった。

   あー、また眠っちゃった。

リボンをほどいて包装紙を開いて。それは絵本だったり、図鑑だったり、辞典だったり。一度だけ、本以外のものが置かれていて、やっぱりサンタさんはいるんだ! とはしゃいだのを覚えている。

プレゼントの「メグミちゃんおけしょうセット」はテレビのコマーシャルを見ていて  いーな、欲しいな。欲しいな、と繰り返し言っていたからサンタさんがそれを聞いてくれたんだ! と嬉しかった。

小学4年になり、クリスマス時期でもないのに母から 本当はパパがサンタさんなのだ、パパが買ってきたものをママは隠すのだ、
と冷淡な表情で私に言ったのをあまりにびっくりしたのと、うすうすそれはわかっていたのに夢を破壊されて、悲しくて私はうなだれた。
母の冷たい顔と声が私には怖かった。

今年からないからね、とまで付け加えてからコップに日本酒を注いでいた光景が目に焼き付いている。私は黙ってピアノに向かっていた。

サンタクロースはいない! いるわけない! いるもんか! おまえなんかに!  
・・・幼稚園の記憶と母の態度が重なり、がっかりしたのだ。

優しいときとそうでないときとの温度差が激しい母はよく台所で意味のわからないことをつぶやいたり、ハレルヤハレルヤと泣いていたりした断片的な記憶を私に残して。

知らなければ良かった事実、忘れてしまったはずの記憶を思い出させて私を苦しめ、泣かせ、クリスマス当日の深夜にうちの中での事故が元で亡くなってしまった。

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  < ボーダー。 
        境界性人格障害。>


私が精神科医にそう告げられたあたりから母は頻繁に私の診察についてくるようになっていた。

  うっとおしい。なぜ来るの?

診察室にまで母は入って来る。私は運転免許もクルマもあったが母はどちらもない。

  またついてきた・・・。

私は母になんにも言わなかったが、これでは医師に話ができないではないか、とイライラしていたりした。

とある診察日にやはり母は診察室までついてきた。
私は  気分が滅入る、眠れない  が始まりでその病院に行くようになっただけなのに。

その日。医師は私の横にいる母に向かって毅然として言った。

 お母さん? あなた、ゆーちゃんを虐待していましたね! いじめましたね? 違いますか。

はい。虐待しました。可愛くなかった。しました、虐待。

ギョッとして隣の母の顔を見たら平然としていて医師に昔、私にした酷いことを涼しい顔をして話しているではないか。

ここには  内容は全て  書けない。
書くことができない。

私が  「ボーダー」になった理由は母からの虐待である、と医師は私と母に告げた。

ママ。あれ、ほんとに私にしたことなの?

     うん、そうよ。あんたにした。

     なぜ、なぜ否定しなかったの?なぜ診察についてくるようになったの?    
   母は黙っていた。

人の脳は優しい。記憶を書き換え、塗り替えてくれていた。自分のされたことをまるで他の子供がそれをされていたようにじっと黙って見ていたような記憶になっていたし、その光景を見ながら  ひどいことをしないで! やめてよ怖いよ! と言えなかった私がいたからだ。

その忌まわしい虐待された記憶は私の脳が塗り替えてくれていたのだ。

それでも母は診察についてきた。私が拒んでもやはり先にクルマに乗って病院に行くのを待っていた。

他にも、私の覚えのない凄惨なことをした、とスラスラ母は医師に喋り、そして医師に言った。

本当はサンタクロースなんかいないのに。バカみたいに喜んでいたから いないって言いました。 と。

この子は絶対私よりも美しくなるから憎らしく思ったりしました。だけど立派なレディにしたくて。厳しくしましたよ?叩いたり殴ったり追い出したりしました。

ああ、母は、なぜ。だからなのか。私が決して  泣くもんか、この人の前で泣くもんか、と目を見開くたびに叩かれていたのは。

顔の上で割られた青い皿。初めて見た自分の鼻血。切れて腫れた唇。父が母を平手で打ち、母を引きずりながら私のところにきて叫んだ。

見てみろ!  おまえはこの子が泣かないのをいいことにこんな、  こんな・・・。

父が泣いていた。  母も泣いていた。

学校をしばらく休まなければならなくなったのを覚えている。

膝を抱えて。マスクをかけて。クリスマス早く来ないかな、トナカイって大きいのかな、と、一年で一番大好きだった日のことを考えて過ごした。クリスマス早くきて、クリスマス、と。

治療はもうすでにキーマンが他界していて困難だとも医師から言われてもいる。

私はただ母に愛して欲しかったのだ。
今でも母が生きていれば私を愛してと母に頼みたい。母に会いたいのだ。クリスマスを一緒に過ごせたら! と。

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それからほんの少し成長して中学生になり、初めて中3で「彼氏」ができて。
またクリスマスは私の中でイベントになったのだった。

大人になるに連れて、クリスマスは自分のためでなくて誰かのために祈り、祝うように変わっていった。

毎年、クリスマスの過ごし方は違うけど。

辛い記憶が蘇る日にもなったけど。

今年は拾い集めた松ぼっくりでリースをこしらえた。

リースは神様の入り口で通り道だと言われている。 
私はこの他にもリースはたくさんこしらえた。同じく松ぼっくりのリースは玄関の中に小さなものを、キッチンにも飾った。庭の花を切らせていただくのはもうやめにしてから久しいが、造花で玄関にポインセチアのアレンジメントをこしらえた。ポインセチアの鉢は高価で普通の民家では次の年に赤い色のポインセチアを、なんてなかなかできない。毎年ポインセチアを買う方もいると思う。

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私にはクリスマスを祝う資格はないに等しいとひがんで泣いたが、やはりクリスマスは祝いたいなと考えをあらためた。

昨年は私も、彼、R氏もクリスマスを無理にはしゃいでいた。 

バタバタクリスマスケーキをドレス姿で買いに行ったりクリスマスのテーブルを悩みながらこしらえたりして。
ツリーを貴女にという彼に ピンクのがいいとか無茶苦茶を言った。

今年のクリスマスの過し方。

静かにしていたい。じっとしていたい。特別なことは特にしないで。

そうだ。パイを作ろう。温かなリンゴのパイを作ろう。

クリスマスケーキの替わりにパイを焼こう。立派なリンゴをたくさんいただいたから。コンポートにもした。これを応用してパイを焼こうと考えている。

リンゴ2個、ひたひたの水、お砂糖、少しの塩、たっぷりのブランデー、レモンとシナモンスティックでコンポートは美味しくできた。レシピはみない。舌の都合や材料の大きさで全て料理もお菓子もこしらえる。

去年は私もR氏も互いに気を遣いすぎていて。
彼は、今年はケーキ、どうするかなぁ。どこのがいいかなぁ、と言っていたけど二人でワンホールのケーキは多すぎるし「お隣」とはもうずっと口をきいていない。敷地内のお父さんとは普通に会話できるが、どうやらお母さんは私を嫌いらしい。やはり程よい距離感はいるのだ。
そして私はお母さんを嫌いにはなれない。合わないかもしれないが、嫌いにはなれず、憎んだりもしてはいない。お母さんはR氏を産んでくれたんだから。

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全ての人にメリークリスマス!!と叫び、幸せを祈りたい。

この世の全ての人に。
これ以上、私の大切な人が泣くのは、不幸は私が絶対に許さない。

みんなにサンタが来てくれますように、と朝からずっとスラヴァを聴いている。

アヴェ・マリアを聴いている。

現在、目の痛みや眩しさに耐えて、それでも作品を書きたいと無理をしているが、休みながら書いていて noteは 楽しい、 これが私なんだ、と気持ちは落ち着いている。年賀状は手書きですべて書き終わった。

小さな生命も可愛く大切にしたいと空いている水槽にテラリウムをこしらえた。
リビングダイニングに二人でいることが多いから。彼は花よりグリーンが好きみたいだし、猫がいるからうかうか花はおろか鉢も難しいから。置く場所も気をつけるようにしている。
目のために良いから、これは医師からのすすめでもある。

鉢植えはサンセベリアを3鉢植えた。
マイナスイオンで癒やされたいから。

あとは小さなパキラなど活花の代わりに下駄箱においてある。寄植えもこしらえ、エアプランツも置いた。丹精込めた洋蘭、シンビジウムには4つ花芽が、蕾のついた花芽がすくすく育っている。

縫い物もたくさんした。目が眩しいからゆっくりだった。すべてゆっくりだった。

コロナ禍は私たちの生活を変え、楽しみや人との交流や移動を困難にして、そして、コロナの影に隠れて何故だかHIV感染症が増えているらしい。

それはまさしく淘汰なのだろうが。

noteにいたから。note仲間との交流があったから私は楽しく過ごせた気もする一年だった。

街も変わり、人が少ない。なのにイルミネーションや街のクリスマスの飾りは昨年よりも豪華になっている。

サンタさんにお願いが、ある。

私はなんにもいらない。
みんなに笑顔を。 コロナ禍前の平和な時間を。

小さく祈る。つぶやく。

手にしたロザリオに祈る。娘のために。R氏のために。noteの皆さんに、そして私の大切な人たちに幸せが来ますように祈る。

クリスマスまであと一週間。今年も残りが僅かになってしまった。

私はR氏にはすでにプレゼントをもらえた。それは  「言葉」だった。


  「貴女は ナウシカみたいだ。」   


風の谷のナウシカ。好きなアニメだが自分がナウシカみたいだとは思ったことはなかった。オームの幼生を ダメ! 殺さないで!  と幼いナウシカは泣いた。

R氏は  貴女なら同じことをするだろう。小さな弱い命や自然を大切にするから。俺なら知らん顔するけどな、と笑った。

     心の中では少し、私がボーダーだからなのか、とかも思ったが嬉しかった。

   ・・・ナウシカみたいだ。

その一言は私への最高の誉め言葉に聞こえてもう十分この一言がプレゼントだと思えたら、心持ち楽になり、だから痛みに耐えられ、朝からこれを書いている。

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54歳のボーダーの「ナウシカ」は昨日は焼きなす、にんじんのグラッセ、そして肉を焼き、玉ねぎのふろふき、スープカレーをこしらえた。

今夜は鯛のアラで紅白のパエリアを作る。スープカレーの残りと夕飯に。

2階から海が見える。波は穏やかそうだ。風はない。

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あと少しで新しい年がくる。来年はどうなっていくのかは今の私にはわからない。R氏ともどうなって行くのかも、正式な仕事先が決まるかもわからない。

今は祈るだけだから。

私を慰める子守歌が流れる。スラヴァの優しい声がする。

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すべてのみんなにメリークリスマス!
サンタがあなたに来てくれますように。


愛しい皆さん。noteの皆さん。大切な皆さんにサンタクロースがやってきますように。笑顔の詰まった袋を抱えたサンタクロースがあなたのところにやってきますように。そして素晴らしい一年の始まりがやってきますように。

令和3年11月12日
*追記

早いですね。またクリスマスの季節になりました。

街のイルミネーション、大きなツリー、デパートも商店街もクリスマスムードいっぱいです。
今年はFrancfrancでピンク色のオーナメントと小さなピンクのツリーを購入しました。

またオーナメントを増やして飾ったツリーの写真と新しいクリスマスの記事を近々、アップするつもりです。

最後までお読みくださりありがとうございました。🤗

            姫崎ゆー。


        ゆー。

(#第2回THE _NEW_COOL_NOTER 賞 エントリーさせていたただきます。文字数オーバーかもしれません。)

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