ジェンダーレスと記号
日本の「性」や「ジェンダー」に関するリテラシーの水準は、この数年で飛躍的に向上した。
その最たる例が、先日炎上した銀座着物屋の広告である。
ハーフの子を産みたい方に。
ナンパしてくる人は減る。
ナンパしてくる人の年収は上がる。
着物を着ると、
扉がすべて自動ドアになる
この広告は着物を着ている女性を冒涜している、と批判が集まっている。
しかし同時に、この広告は「東京コピーライター賞」を獲得し、2016年当時には一定の評価を得ていたのだ。
このことが意味するのは、2016年と2019年という「3年」の間の、人々の性・ジェンダーへの関心の高まりであろう。
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性・ジェンダーをめぐる言説の中でホットなものの一つとして、「ジェンダーレス」というキーワードがある。固定観念に囚われたジェンダー観を廃止し、自由な社会を達成していこうという観念である。
ただ、「ジェンダーレス」とは、「記号」を廃止していくものではない。
「トイレの男女マーク」は、ジェンダー観が反映されている。
男性マークは、青色でズボンを履いている。
女性マークは、赤色でスカートを履いている。
確かに、男性だけがズボンを履くとは限らない。赤は女性だけの色ではない。
その事実を認識しておくことは必要だ。
しかし、この「記号」を廃止してしまうことは、本来の意味で「ジェンダーレス」を達成したことにはならない。
「記号」には意味がある。「トイレの男女マーク」であれば、「身体的な性によって分けられている男女トイレの導線を見分けやすくする」という役割を持つ。
本質的な「ジェンダーレス」の達成とは、「記号」としての性区別を、安易にジェンダー観に落とし込まないようにする意識を誰しもが持つことである。
「あくまでも『記号』として表現されている性」と「個人個人の性」を同一視せず、キチンと区別することである。
その区別の意識を、我々は次世代にも根付かせていかなければならない。
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