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求められる場所に行くキャリアを追究するとジョブホッパーになる件

 私には尊敬する先輩がおり、その方も最近はジョブホップしている。ジョブホップという表現が適切であるとは思わない。なぜなら一般的に考えてハイキャリアの部類に入る方であると理解しているので。

 自分自身はいつまで立ってもペーペーに毛が生えたものだと自覚しており、日々精進せなあかんな、と思っているがその先輩からすると「おまえも求められたところに行くんだよ、これからも。人生まだまだ長いんだから」的な言葉をいただいた。(と前にも書いた気がする)

 これはある種、一つの生き方でもあると思うので、この世の中が許すのであれば、それは素晴らしい指針であるように思う。
 「働かないおじさん」問題が叫ばれることもある昨今、その中で「求められて活躍するおじさん」もたくさんおり、そういった方が制約なく働けることは個人的には希望があると言える。
 ただ、現実的にあまりそういう風にならないのは、転職する、し続けるということがリスクであると同時に「求められるところに移動し続けるとジョブホッパーが簡単に生産されてしまう問題」が出てくるからだ。ちなみに社会はジョブホッパーに対して受容的では無い。

 なので、「〇〇さん、私は貴方ほど結果にコミットする能力が高いこともなく、リーダーシップもなく、ハイキャリアで求められたところに行く能力は、無いんですよ」と言う感じで自分のしたいことと、それを求めていることをマッチさせることに勤めた転職活動に終始し、今がある。

 ただ、ハイキャリアの方やハイキャリアを目指す方は欧米のようにそこまで転職歴を気にすることがない時代が来ているのかもしれないな、とか思った。
 20年以上サラリーマンをして思う。組織の中ではトップが非常に重要な役割を持つ。「いつの時代も上に立つ人は大事だ」と、尊敬する私の元上司が教えてくれた。本当にその通りで、自分よりも上に立つ全ての人が組織において重要になってくると言っても過言ではない。
 うまく運営ができていない組織においてトップ層の変更は効果が出やすい起爆剤のようなものにはなるので、経営を何かしら改革したい場合にはよほど外部から能力のある人を取得するのが一つの手法でもある(安直だが)。

 ハイキャリアの人は上記のような感じで欧米的に呼ばれて「行きます」と言って職が決まることが多々あるようだ。しかし、下々のものはあまりそんなことはないので呼ばれたからと言って「行きます」と簡単には考えない方がいいとは思う。
 似ているが、エージェントに登録すると様々な案内が来て自分があたかも「求められている人」のように錯覚してしまうが、実際は面接まで行くことは稀だし、面接で話してもホイホイと決まる訳でもない。

 求められているところに応じるよりも(そもそもハイキャリアの人しか求められないが)求めるところに向かう方が、幸せの人生を掴める可能性が増えるという考え方もできる気がする。どちらの選択肢も可能であれば、それに越したことは無い。

良い、キャリアビジョンを。

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