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ある程度年齢を重ねて来て転職をして来た中で、もう一度「なぜ転職するのか」の本質を探ってみる。

 私は自分を凡人の中の凡人だと思っている。なので、何かしら動いて結果を残していないと、恐らくすぐに凡人以下になり、綱渡りの綱から落下してしまうように思う。
 このような恐怖ではないが、不安と戦っている感覚は若い時にはあまり無かったのかもしれないが、年齢を追うごとに増してくる。

 ただ、それらを解消するかのように転職をしているか、というとそうでもない。転職は決して自分の焦りを解消させる手段にはならない。
 例えば、今の会社でうまくいっていないことが、転職で劇的に改善することは無い。なぜこんなに生き急いでいるのかという自分の答えが転職により見つかることもない。

 何度も転職して、自分が一義的に、本質的に転職に求めているものは何だろうと考える。転職理由はいつもその時々により違う。なので、転職を繰り返してしまうのだと思う。転職を繰り返すことをBadとは思わないが、正直プラスとも思えない。


 人間のステージは変化して当然であり、その時に必要なもの、最も重要なものも変わってくる。仮に体に異変が起こった場合は体の負担が少ない仕事にシフトする、というのは典型的な例だろう。

 上記を例に考えると、転職の本質というのはそもそも「止むに止まれない事情があり、その条件に合ったものに再就職すること」ということになるのかな、と思う。この「止むに止まれない」というのは主観であり、本人の意志やどのぐらい重要と思っているかで変わってくる。なので、客観では判断することは難しい。
 例えば大会社に勤める大会社の同僚が「この会社はもはや未来が無いから」とか言って去っていった場合、少なからず残っている人は「そうかもしれないけど、そうでもないと思う」と100%賛同はしかねるだろう。本人がどのぐらい感じているか、ということと、本人にしか分からない転職をせざるを得ない理由があるのかもしれない。なので、同じ会社に勤めても転職理由や起爆剤は人により変わってくる(当たり前の話なのだが)

 反意的に考えると、そのようなものが無い場合に転職をするのは危険だということか。現代の多くの人の場合「給料が安く上がらない」というのは未来においても逼迫した理由とはなるがそうでなく、且つ休みも普通に取れているのであれば、正直あまり転職する理由にもならない。後は自身の情熱やいわゆる「やりたいこと」に対して、どこまで貪欲になるか、ということか。これは正直「我がまま」とさえ表現してもいいかもしれない。

 自分のしたいことをある程度突き通せる時代になったのだと思うと、それなりに現代のサラリーマン人生というのは常に選択肢に囲まれ幸せであると思うが、やはり移動できる分、他を見つけてしまい幸福感は薄まる。転職を考えることが無い、という状態も最も理想的な状態と言えるかもしれない。

まとめると「転職の本質」は、①危険回避の名目で行う or ②完全主観である自己実現の為に行う、という2択。サラリーマンとして理想的な状態は、「転職を全く考えることなく仕事を含む日常生活を不安なく営めること」であると、現状結論づけてみる。
 うーん、自分は程遠いな。この1年でその理想に少し近づけてみよう。

良い、本質的な転職活動を。

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