失ったから、苦しいけれど。

 Twitterでご協力頂いた、その形をイメージした小説を書くというのも、新人賞に向けての作品も、なんとなく書けずにだらだらと過ごしていたら、急転直下、なんと離婚をすることになって、まったく途方に暮れてしまった。

 そのことについては語れるようになどちっとも消化はできていなくて、自分の手帳に「離婚」の文字を書くことすら怖くてできなかった。心配した友人たちが毎夜、長電話で話を聞いてくれて励ましてくれ、いつもは億劫にしか思えなかった仕事にも不自然なほどに精を出し、終わりにする覚悟を決めて、なんとか今はこの足で立っている。

 これから先、私はどう生きればいいのだろう。真っ当に生きてきたはずの私の人生が、ずるりと手から落ちて転がって、想定外の闇の中に消えていってしまったようだ。

 こんな穴をどうしたら埋められるのか、なくなってしまったものをどうしたら葬れるのか。漠然と怖さが伸し掛かる中でも確かに閃いたのが「こういう時にこそ、ひとは物を書こうとするのかもしれない」という予感だった。

 ひとが物を書くのは、どうしたって苦しい行いに違いはないだろうし、同時に、苦しみながらも書くことでしか昇華できない心だってあるのだろう。

 まだペンを握るだけで指先がぞっとする。取り返しのつかないことを、とどめを刺すことをしているような気持ちになる。それでも、失ったものを弔えるように、自分の苦しみをちゃんと自分で引き受けられるように、少しずつでも言葉にできたらいいのにな。

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