嵐の日に出会った親戚の佐藤、彼女と彼の甘い夜と、後日談。『かわいい恋をする昭和の乙女たち』

　　　　　１
 
　郁乃(いくの)はパン屋コッペで働いている。台風が風も強くなって、店主から店を閉めるように電話が入り、二人の後輩を返してから、店を出た。
(もっと早く閉店を決めて欲しいけれど)　と思うが、店主はワンマンで従業員の扱いも雑な類の昭和時代の経営者だ。
　この時期に台風がくるのは慣れても居る。まだ風は耐えられる強さだが、雨は歓迎したくない。
　それが降り出した。大粒の雨が風に誘われて横殴りで襲い掛かる。子供受けのする派手な柄のパン屋のブラウスはぐっしょり濡れて下着を透けさせる。
「タクシーを呼ぼう。来てくれるかな」
　呟き街角の公衆電話へ駆け込む。受話器を外す彼女だが、ドアを叩く音がして開けようとする雨合羽の人物。
(台風より怖い奴が来た)と必死でドアを引き寄せる。向かい風で、シャワーみたいに彼女の顔を洗う雨、化粧してなくてよかった、などと考えている場合じゃない。
　相手は背中から強い風を受けて腰が定まらない。雨合羽の頭の部分を外して叫ぶ。
「俺がアパートまで送ってあげるよ」
「タクシーを呼びます、帰って」
　強く言ったつもりだが、震える声になる。雨に濡れた男が必至な顔をしている。ちょっとでも風向きが変わったりすると、ドアは男の手で簡単に開くだろう。相手の必死な表情に負けないように、睨む。瞳に滲む雨は気にしていられない。
「俺が何か悪いことをするとでも思っているのか」
　つま先をドアの隙間に差し込み叫ぶ男。それを右足で蹴飛ばしながら郁乃も返す。
「うん、思っている。何よ、あんたは」
　身の危険を感じて、抵抗できるだけはしようと構える。風で雨が口に入るが、唇を尖らせて吐き出す。相手は少し考える風にする。
　雷が低くうなりだして、稲妻が辺りを照らす。この男の車がすぐ近くに見えた。
「おじさんにも、すぐばれるだろう」
　雷が鳴り、途中しか聞こえない。
「どこの変態おじさんよ」
「だから。つまり郁乃姉貴のお父さん」
「へっ」想像しない答えに言葉を探せない。
　ちょっとやり取りをして分かった。彼は親戚の子。台風で大丈夫かと郁乃の父から、近くに住む彼へ電話があったらしい。
「それで迎えにきてくれたと」
　ドアから手を離すと雨合羽の男は開いたドアの前で安心したのか笑顔になる。
(あれっ、さとるくん)
　親戚の佐藤聡だ。そういえば、男にしては高い声に聞き覚えもあった。
　状況は分った。少なくともこの狭い場所よりは彼の車へ緊急避難したほうが良い。風と雨の中、泳ぐように歩き車内へ入った。

　彼の車にあったタオルで顔や腕を拭くけれど、ぐっしょりの布で覆われた身体を男の前で拭けるわけがない。
「俺のアパートはすぐそこだから、シャワーを浴びると良い」
「そうだねー。ねえ、なにもしないでよ」
　従姉弟とはいえ、年に２回ぐらい会う男の部屋へ入るのは抵抗がある。また、ひょいひょい付いていく女とも思われたくない。
「ちぇっ、残念。いく姉貴がその気にならないと無理だろ」
　正直な従弟だ。それより、雨に濡れて寒気もする。早くシャワーを浴びるのを優先させてしまった。

　　　　２

　郁乃がシャワーを浴びている間に、夕食を佐藤は作るとはりきっている。男物のシャツを着替えに、と渡されて気の利く従弟だと褒めることも忘れなかった。ただ、下着は残念ながらない。無防備と彼女は思いながら浴室へ入る。
　彼女そのままの、胸元のソフトボールを水飛沫が弾く。郁乃は谷間の林へ指を進めて、絡む雨の生ぬるい後を洗い流す。やはり、応接間の前は清潔にしたい。
(そうだよ。あの、さとるくんかー)
　今年が成人式で親に預けて、ご祝儀もあげた。ここ何年かは会えずにいたが、小学生のころは、小さなかわいい子、として面倒見ていたなーと思いだす。
　顔も体格も大人になったが、声はあまり変わらないと気づく。台風の中では考え及ばなかった。
　胸元のソフトボールを持ち上げ、下の方へシャワーを当てて洗う。心くつろぐシャワータイムを満喫したい。
　やがてクシャミが聞こえた。佐藤がドアを開けてくる。
「こらっ、ノックしなさい」
　そういう問題でもないが、なにか予想はしている。四つ下の好奇心旺盛な男の子だから、覗くぐらいはすると思っていた。　
「俺も気持ち悪くて。まだ終わらない、いく姉貴」
　すでにトランクスだけの姿。無邪気に笑うところは憎めないが、興味本位の相手に身体を見せるわけにいかない。
「もう、済んだから。ちゃんと待っていて」
　急いでバスタオルで身体を拭くけれど、気になる。
「君もこのバスタオルを使うのか」
「一枚しかないし。いいでしょ、あとだから」
　いつも会ってる弟姉みたいに言う。そんなに親しくもない従姉弟だけれど、急に親しくなった気もする。彼女はシャワー室で言い合ってることもないと、ため息をついた。
　シャツを被るように着ると座敷室へ。片付いているというより、小さなちゃぶ台とテレビ、奥にベッドの六畳一間。持ち物は多くないらしい。それでも、ベッドの下に積み上げられた雑誌の表紙が気になる。
(なになに、女の口説き方。ほかには、女の悦ばせ方)
　脚を組み眺めると、いくつもそういう雑誌が積まれている。こりゃあ、危ないわな、身の危険も感じる郁乃。だけれど、成り行きでということもあるかも、と頑なに婚前交渉を否定はしない。
「あれっ、ばれたか」
　急に声がして振り向くと佐藤が立っている。蛍光灯の逆光では表情が読み取れないが、筋肉のついた体形だけがシルエットに浮かぶ。
「そうか、男だもんね。経験はあるの」
　しまった挑発した、と思ったが、内緒の秘め事でなら彼を受け入れたい思いもでてきてしまった。
「俺も紳士だからさ」彼女の前に腰を下ろして言う。
「嫌がることはしないよ。約束する」彼の言葉が、ちょっと気取ってるのはわかる彼女。
「かわいい子が見つかると良いね。今日はここで泊るしかないみたいだけど、何もしないでよ」
　台風の風が唸り、雨は、ますます強くなり部屋のドアを叩く。
「何もしないから。指切りしよう」
　どこかで見たテクニックを試すつもりらしい。絡ませる右手の小指、どうしても顔が近づく。
「キスしたいけど、無理ならいいよ」
　彼の左手が彼女の右手首を掴む。ちょっと危ない、と郁乃は腰を浮かせる。
「安心して、何もしないから、押さえてていいよ」
　彼は彼女の右手を口元へもっていかせる。指切りしたまま自分で口元を隠す状況。それで、指切りを離す彼が彼女の小指をしゃぶる。
「やだっ」郁乃は目の前に見える彼の顔と、ちゅっちゅっと吸う音にキスの疑似体験をしてしまう。
「自分で食べてみて」
　佐藤は郁乃の口へ彼女の小指を押し込む。その根元を彼の柔らかい鞭が舐める。郁乃は荒い息遣いで自分の小指を柔らかい鞭で押しだそうとするが、唇がちゅっちゅっと性への序曲を奏でる。
「あと、なんだっけ」
　手順を忘れた彼に、郁乃も現実に戻る。佐藤の腰を左腕で強く抱きしめると、くいっ、横に避ける。あれっ、と離れる頬にチュッと一回触れると、彼が恥ずかしそうにした。
「プレイボーイの真似はしなくていいの。次を忘れてるじゃん」
「俺はパンチ派だから」
　当時流行りの週刊誌のことだと思ってる彼。そうじゃない、と言いたい彼女も、ここは苦笑いで済ます。少なくとも、なんだっけ、は(ああいう場面でいうものじゃない)正直すぎるのも困ったものだ。
「さっ。食事しよ」
　風と雨はまだ激しく外で暴れている。食事して早く寝たほうが良いだろう。

　どうしても佐藤と一緒に遊んだ小学生のころの話になる。幼な馴染みと会っている気持ちにもなるが、もっと親しい親戚だから、弟姉そのもの。恋愛感情なんて起きない状況になった。

　　　　３

　郁乃は近くに従姉弟がいることで妙な安心感もある。また食事にでも誘おうと思っていたが、女性と歩くのがパン屋のショーウインドー越しに見えた。歳は３０，いやまだ２０歳代の服とハンドバック。前を通りすぎて視界から消える、追いかけるわけにもいかない、仕事中だ。
(年上好みか)それは郁乃自身のせいかもしれない。
「焼きもちか。嫉妬ねー」
　呟く郁乃。なんで、と思う。異性として佐藤を意識し始めてる自分に気づいた。昭和の当時は２５歳にもなれば女性の多くは結婚しているし、３０歳まで独身もたまにはいる。結婚はまだか、と平気で言う世間の口。
郁乃も、そろそろ、と期待されている。
「でも、さとるくんかー」
　呟いてから、なんで彼が候補になるのか戸惑う。恋愛と結婚は一緒でもないが、その流れが強いこの時代。
　郁乃も親しい男性はいるが、付き合うほどでもない。その中から結婚相手はでてくるかな、と考えていたが、今は先に解決しなければならない問題がある。嫉妬は尾をひいている。佐藤のことを思い浮かべる日々が続いた。
　そんな日に佐藤と歩いてた女がパンを買いに来た。なんと、外で彼が待機していて、郁乃と目が合うと、笑顔で手を振る。仕事中で返すわけにいかないが、連れらしい女性はいくつかパンを選び二つの袋をいっぱいにして出ていく。
　彼と連れ立って去るのを見て、郁乃も覚悟を決めた。
「奪われてたまるかって」
　この感情は自分でも驚くほどに下半身へ熱を帯びさせた。

　親戚だから彼の誕生日はとっくに覚えていたし、もうすぐその日は来る。準備するのは定番のケーキ。プレゼントは、ちょっと貯金をおろして本革の財布。それで電話をかける。
「もうすぐ誕生だよね。祝ってあげるから、うちにきてよ」
「いく姉貴、ありがとう。楽しみだなー」
　それから饒舌に喋る佐藤に、その日は休みをもらっておくから、と告げて電話をきる。そしてちょっと指が震えた。自分から男性へ仕掛けたことなどない。それでも、佐藤へ対する感情は、初めての恋慕だと気づきだした。

　　　　４

　郁乃の住む４畳半二間の狭い部屋。キッチンで誕生日を祝う。喜ぶ彼に、彼女はできたのか、とか何気に尋ねる。
「もしかして、うちの主任が気になるのか」
　意外と勘が働く彼。一緒の女性は仕事場の主任らしい。いや、別に、と誤魔化す郁乃。いまは、いがいと冷静に考える。ゆっくり彼を奥へと誘い込もう。
「プレゼントも用意してるんだ。ほら」
　畳の上に置かれた包をみせる。かれは、儲けた、などと適切でないことを言いながらも座敷へ入った。
「それで、主任さんとは良い仲なの」これが一番知りたいこと。
「うん、とても。みんなでボーリングへいったり。この前も、従業員へおやつを奢るからとパンを買いにいったんだ」
　若い彼は一番下っ端として、雑用を任されているらしい。
「そうじゃなくてさ。まっいいか。開けてよ」
　プレゼントの中身を早くみて、と急かす。たぶん、あの女性に彼が興味はないと感じた。
「これっ。高いよな。欲しかったんだ」
　不器用に破いた袋から財布を取り出して喜ぶ佐藤。値段のことはいうな、と言いたい。
「気持ちは値段じゃないよ。さとるくんも男前になったね」
「好きな人がいるから、格好よくなりたいんだ」
　否定もしないで宣う彼。それで、女の悦ばせ方、とか読んでるのか。
「それじゃあさー。あのアパートにあった雑誌より実践が大切だよ」
　ここで変な色目なんか使わないほうが良い。彼が破いた袋をたたみながら誤魔化す。
「実践って。やったよ」
　彼の言葉に一瞬だけ手が止まるが平静を装う郁乃。
「そうか。そのうちに、わ、私のことも忘れるね」
　姉貴といって親しく話すこともなくなるだろう。ちょっと寂しい思いの彼女。
「でも、中途半端なんだ」彼も元気なく言う。
「どうした」
　ここで、姉貴として心配もする。
「だって、そうじゃないか。もうちょっとでキスできたのに、頬なんてずるいよ」
　彼女を見つめる彼。お菓子を買ってもらえなくて不満そうな子供の表情。
「あれか、なるほど」

　台風のときが実践なら、続きも必要ということだ。蛇ではなくて松茸の生殺しを彼女はした、男は切ないだろう。
「まず、素直に。違うか。ちゃんと好きな気持ちを相手に伝えなければだめよ」
　郁乃はいいながら、先に言えば、と心の奥が囁く。誤解も解けたし、嫉妬は杞憂だった。ここは年上の女性としてリードをするのが恋愛関係につながると考える。
　色々事情があって、と言えずにいる彼の左側へ移る。
「私はさとるくんが好きだよ。今も、大好き」
　目を伏せる。さすがにちゃんと喋れていたか不安な彼女。
「俺も。いくの、さん。欲しいんだ愛してる」
　絶叫するような言葉が迸った。

　　　５
　
　郁乃が彼の背中へ左手を伸ばし引き寄せる。手を離した彼も彼女の腰から抱き上げる。
「キスしたい」
　それに彼女が目を伏せて唇を半ば広げて待つ。乱暴でいて柔らかな指の動きで佐藤は郁乃の首を巻きあげて唇を触れ合う。服の上からソフトボールを手荒く弄り、肩先から服を剥がしにかかる彼。
「ベッドで。ねっ」郁乃が、ちょっと唇を離して囁いた。

　白いシーツの上、彼女そのままで背中から抱きかかかえられる郁乃。まっすぐな背中から大きな頬っぺた。緩く曲げた両脚から爪先へ、それは直線と曲線で描かれた竜宮城。絵にもできない美しさ、文字にしたら嘘になるような妖艶な薫りが漂う。
　彼女は腕を下へやり、林を押さえて隠す。ソフトボールに乗るブルーベリーが彼女と彼の動きに合わせて蠢く。彼は柔らかい鞭でブルーベリーを美味しそうに食べて、右手が林の場所で彼女と重なる。
「退けて。いくねぇ」彼女への呼び方が変わるが、郁乃もちゃんとは名前を呼べないほど欲しがっている。
「さと。やさしく、して」応接間の前から指を退けると彼の背中へ回す。

　すっかり雌と雄になった二人。違うのは女性が先導してゆくところ。彼を仰向けにする彼女。
　ソフトボールが揺れて、松茸を応接間へ招く。つなぎあった手も次の一瞬を待つように動きは止まる。
　スイトピーの蕾へ松茸は到達して潜り込む。郁乃が髪を翻して仰け反り短く呻く。
　大きな動きは必要としない。郁乃は満たされる感覚が全身を疼かせて、くねる腰に合わせて揺れるソフトボール。柔らかくまるい動きに合わせて汗が煌めく。
　彼は絡めた指を外し、彼女の腰を支える。郁乃は繰り返し細かく動くが、ソフトボールへ両手を持っていき、短い息が激しくなる。やがて、口元へ指を持っていく、唇が大きく開いて仰け反った。黒目がどこかへ飛んでったような瞳。
　郁乃の喉が深く吸う音、彼女の身体は柔らかく崩れて彼の胸もとへ。髪が散らばり彼の汗をかいた顔にもかかる。
彼女は頬を彼の胸に当ててしばらく蕩けていた。

　　　　６

　あれから何年経ったのだろうか。正月で親戚が集まる屋敷。佐藤が家長として座敷の上席に座る。郁乃はしばし縁側で孫たちの遊びに興じていた。幼稚園生の女の子が二人。
「私ね、みっちゃんのお嫁さんになる」
「私もね、さっちゃんのお嫁さんになる」
　女同士で結婚も、考えられる時代になったが、親戚でしょ、とはいえない郁乃。どうせ忘れると思いながら、突然に記憶が蘇る。
「ぼくさ、郁ちゃんをお嫁さんにする」
　そういったのは佐藤だ。この似たような場面で思いだした。
　願いが叶ったね、彼に近づいていうと、聡は惚けるのだった。

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　　　　了
従姉弟の甘い戯れ。郁乃の章。隠喩で映像より刺激的な小説