見出し画像

毒家庭に育ち、すべてを諦めた私のはなし②

つづき

前回記事(毒家庭に育ち、すべてを諦めた私のはなし①|あいだ @365nichi_0812 #note https://note.com/365nichi_0812/n/ndc536c437680)

結局、理由もなにも分からないけど両親は離婚した。
私は、それまでと何も変わらず母の実家で生活しだした。
祖父が父親代わり。
家では父のことはタブーな雰囲気があり、母にも祖父にも父のことは聞いたことがない。
そして、小学3年生の頃から今日まで一度も父とは会っていない。

ただ一度だけ、中学3年生のときに電話をしたことがある。
たまたま、東京の家の電話番号が書かれた紙を見つけた。
『お父さんと話したい』
そう思い、中学校の公衆電話からかけてみた。
東京まで一体いくらで、何分くらい話ができるのか分からなくて、とにかくお小遣いをかき集めた。
コール音がドキドキして
久しぶりに話ができる…約5年ぶりだけど、何話そう…とかとか考えてた気がします。

「もしもし」

電話に出たのは女の人。
頭が真っ白になりながら、『●●さん(父の名前)いますか?』と聞く。
「お待ちください」と言われ、父がそこいることがわかった。
あの人誰だろう…分かってるけど理解できない、なんとも言えない気持ち。
すごいな、嫌なことって本当にしっかり覚えてるもんだ。
「もしもし」父が出た。
『●●(わたし)です。』
しばらく間があって、「久しぶりだね〜」と言われた。

父「何歳になったんだっけ?」

すごくすごくショックだった言葉。
父は私の年齢さえも知らなかったらしい。
私『なんでお父さんは岡山に来ないの??』と聞くと
父「あれ?離婚したんだよ。何年前かなぁ〜」と返答。
さらにショックを受ける。
これでうっすらと予想していた離婚が確信に変わった。

父「お母さん、妹のこと頼むね。」と言われた。
バカ正直だった私は、ショックを受けながらも責任感が湧いて、自分がしっかりしないとという気になる。

父「携帯持ってる?持ってなかったら送るから、それで連絡を取ろう。でも、お父さんの荷物は届かないようにされてるから、●●って名前で送るからちゃんと受け取るんだよ」
と言われ、荷物が届かない仕組みとかよくわからなかったけど、父と繋がれることが何より嬉しく思えて、すっごく楽しみに待った。ずーっと待った。

携帯が届くことなんてなかったけどな。

もしかしたら、バレて阻止されたのかな?とか
まだ送られてないのかな?とか
色々考えたけど、そもそも送る気もなかったんだろうと思う。

割と最近、叔母から父のことを聞く機会があった。
私の父は、口だけは達者で、定職に就いてなかったそう。
母は、何度か家出をしたらしく(言われてみれば、どこかへお泊りしてた気がする)ある時、父は知人と事業を始めるからと借金をしようとしたらしく、それが直接の原因かは分からないけど、まぁ関係悪化したんだろな。
さらっと聞いただけでも、そんなクズだなぁと思った。
その時、携帯を送るって言われたことを思い出して、届かなかったことも腑に落ちた。

ただ、クズはクズでも私の父親。
せめて子どもに対しての説明は親の責任としてあると思う。
そのことは恨み続けるだろうな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?