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エッセイ『夏目漱石の本を読めば、そこに答えが全部書いてある』

芥川龍之介は二十三才の時、夏目漱石先生と出会い、作品を認められ、本格的な作家生活に入った。しかし、その翌年には先生は亡くなってしまう。そういう儚いものなんだな。

こないだ書評をやった芥川龍之介の『或阿呆の一生』に夏目漱石のことが三か所書いてある。先生のことを書く時だけ、他の部分と違って穏やかで平和だ。

芥川龍之介が死んでしまうひと月ほど前に書かれた『或阿呆の一生』には、もう作品を書くことができない、彼の命の消えそうなぎりぎりの言葉に満ちている。


それで、一昨日バイトが終わって、家にオレンジと米しか食べ物がないのに気が付いて、スーパーに行くのは死ぬ程嫌いだけど、行って来た。

それで、家に帰るのは嫌だな、と思ったから店屋を何軒か回って来た。別になんの用事もないし、買うものもないのに、出掛けるというのは前はなかった。

最近家に引き籠るのは嫌で、外に出る。激しい孤独感寂寥感がある。子供の時、座敷童に似ていると言われた。部屋の隅っこにじっと静かにいつまでも座っていて、ハッと見るといなくなってる、みたいな。

折角、食べ物を買って来たのに、食欲が全くなくて食べられない。酒は飲んでいる。ドクターには内緒だ。

それで、店屋で下らない小さな無駄遣いをして、帰りに運転しながら、やっぱりAgust Dは天才だな、と思いつつ聴いていたら、突然わっと泣けてきて、こんな暗い道を運転しながら泣くのはヤバいな、と思って、家に帰ったら泣こうと思ったけど、家に帰っても泣けなかった。泣きたい時に泣かないと、それがまた水溜りのように溜まってよくない。


YouTubeで『或阿呆の一生』の書評をやった時、三回、ばたん、というドアが閉まるような、木を叩くような、割と大きな音がして、今までそんなことはなかったし、特に彼の「死」について語っている場所にその音は入っている。

もともと私は統合失調症と双極性障害がお洒落にミックスされているけど、今度の場合は顔出しもしていたし、しっかり録音に残っている。幻聴ではない。

そもそもYouTubeで「死」と言う言葉は使ってはいけないことになっていて、しかし、芥川龍之介を論じるのに「死」という言葉を使わなくてはできないから、もうしょうがないからカットもしないし、「死」という言葉をしっかり使っている。

その為、ここ二か月くらい、ビューが極端に下がっている。以前はあまりビューが少ないと、これはいけませんよ、ということだから直ぐ削除していた。でも、図書館とかに行って、公共のコンピューターで観てみると、これはいけませんよ、という記事にはちゃんとアクセスできるし、内容も観られる。

だから、ここのところ、これはいけませんよ、になってお勧めが全くされないから、ビューが十とかでも、削除しないことにした。私が死んだらきっと、私みたいに本音言いまくりの馬鹿がいました、ということできっと誰かが観てくれる。


夏目漱石は芥川龍之介にとって、大事な大事な先生だったし、私にとっても先生だ。夏目漱石の本を読めば、そこに答えが全部書いてある。

今、夏目漱石を想う芥川龍之介のことを考えていたら、やっと泣けてきた。死の間際に書いた『或阿呆の一生』の中に芥川龍之介が遺した先生への気持ち。

泣きたくても泣けない時、いいネタになるな。

睡眠薬中毒になりながら、死を考えながら、先生のことを想う時だけが、彼の心が落ち着く瞬間だった。


睡眠薬中毒と言えば、一昨日は珍しく朝シフトで、朝といっても九時からなんだけど、普段午前二時に寝ている私だけれども、午後九時にはベッドに入って、午前十二時くらいに、ばっちり目が覚めてしまって、しかし、時々は寝ていたから、凄まじい悪夢を見続けて、しょうがないから起き上がって、その度に頭痛薬と抗不安剤のヤバいのをミックスを飲んで、朝はちゃんと起きたけど、記憶が途切れ途切れになっている。バイト先で、あんまりしないようなミスをしたり、化粧をした記憶もないし、車を運転した記憶もない。朝日を見た記憶はある。信じられない程濃い、真っ赤な雲だった。でもそれは十分くらいで、あとはその赤さはなくなって、普通の朝日になっていた。

一番上のマネージャーに、もう朝は働けませんと言ったら、全然OKと言われた。よかった。その後、スーパーに行って街を彷徨って、Agust Dで泣けてきたんだ。

私の小説『ジェフ』にAgust Dをモデルにした歌手が出てきて、それはラップなんだけど、彼の歌には正気を失う地点があって、そうなると彼はもう戻って来ない。戻って来るつもりはない。

やっぱり天才だわ。この曲が一番騒がしくて好きなんだけど。

この曲を使って私が十五秒の動画を創った。


それでね、今、ジェフのモデルになった殺人犯の公判をYouTubeで何時間も延々と観続けている。十七人殺したから、精神科医も出て来るし、遺族も多い。邪推かも知れないけど、それもよろしくないと思われている。でもそんなこと言ったら、私の携帯もGoogleだし、もう逃げ場はどこにもない。

だからマジで最近は自分の死んだ後のことを考えて創っている。芥川龍之介が亡くなってから発見された『或阿呆の一生』という遺稿について、私は言わなければならないことは全部言った。

ちょっと、夏目漱石先生のことを書いた部分を抜粋しておきますので、何かのお役に立てば幸いです。

     十 先生

 彼は大きいの木の下に先生の本を読んでゐた。▢の木は秋の日の光の中に一枚の葉さへ動さなかつた。どこか遠い空中に硝子の皿を垂れた秤(はかり)が一つ、丁度平衡を保つてゐる。――彼は先生の本を読みながら、かう云ふ光景を感じてゐた。……

『或阿呆の一生』青空文庫

     十一 夜明け

 夜は次第に明けて行つた。彼はいつか或町の角に広い市場を見渡してゐた。市場に群(むらが)つた人々や車はいづれも薔薇(ばら)色に染まり出した。
 彼は一本の巻煙草に火をつけ、静かに市場の中へ進んで行つた。するとか細い黒犬が一匹、いきなり彼に吠えかかつた。が、彼は驚かなかつた。のみならずその犬さへ愛してゐた。
 市場のまん中には篠懸(すずかけ)が一本、四方へ枝をひろげてゐた。彼はその根もとに立ち、枝越しに高い空を見上げた。空には丁度彼の真上に星が一つ輝いてゐた。
 それは彼の二十五の年、――先生に会つた三月目だつた。

青空文庫

     十三 先生の死

 彼は雨上りの風の中に或新らしい停車場のプラツトフオオムを歩いてゐた。空はまだ薄暗かつた。プラツトフオオムの向うには鉄道工夫が三四人、一斉に鶴嘴(つるはし)を上下させながら、何か高い声にうたつてゐた。
 雨上りの風は工夫の唄や彼の感情を吹きちぎつた。彼は巻煙草に火もつけずに歓(よろこ)びに近い苦しみを感じてゐた。「センセイキトク」の電報を外套のポケツトへ押しこんだまま。……
 そこへ向うの松山のかげから午前六時の上り列車が一列、薄い煙を靡(なび)かせながら、うねるやうにこちらへ近づきはじめた。

青空文庫

さっき、先生のことを書いた部分が三か所ある、と適当に言ったのに、ほんとに三か所でしたね。芥川龍之介の天才をよく味わいましょう。いい小説を書きましょう。私もね。


YouTube「百年経っても読まれる小説の書き方」

ダイジェスト
100、芥川龍之介『或阿呆の一生』ダイジェストVol.1 誰も言わない感想と文章の分析。一分。


ダイジェスト

101、夏目漱石先生と芥川龍之介。『或阿呆の一生』ダイジェストVol.2 誰も言わない感想と文章の分析。一分。


本編

245、芥川龍之介『或阿呆の一生』誰も言わない感想と文章の分析。


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