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半年ぶりにセルフネグレクトを経て社会復帰をした 〜障害者だけど結局一般枠で働くことにした理由〜

こんばんは。

契約開始は昨日からだったのですが、契約日に契約日以前から予定を入れていたものがあり、本日から本格出社しました。

一言、

「疲れるけど、やっぱりオフィスでコミュニケーションを取りながら働くのは安心する」

これに尽きます。

でも、この社会復帰にあたって様々な壁がありました。そして結局一般枠(実質オープン)で働くことにしました。

その経緯と理由を今から話します。

これから障害者雇用で働こうか一般枠(オープンorクローズ)で働こうか悩んでいる人は是非読んで下さい。

前職の話: 躁の勢いで障害を隠して一般枠で入社→結果現場無視の評価で喧嘩して辞めた

前職は2020年3月〜2020年6月末までという非常に短い期間だった。さらに6月中は丸々休職していたので、実質働いていたのは5月末までである。

なぜ、転職をしようと思ったのか。正直躁になった勢い、というのが大きかった。

というのも、実は3月から派遣で別の仕事(Pythonエンジニア)が決まっていたのだが、契約更新が1ヶ月単位であるため、継続的に働けることを証明できる正社員で働かなければいけなかった。

その時に「よし!だったらデータサイエンティストで再起を図ろう!」っていう感じで躁になった勢いで、「データサイエンティスト」「面接1回のみ」「急募」で探した。その時見つけたのが前職だった。

「面接1回のみ」「急募」も条件として加えたのは、転職活動しようって決めたのが2月10日らへんで、3月まであと2週間ちょっとしかなかったためだ。とにかく焦っていた。

面接も「病気なんてないです!」って嘘ついて(本当は手帳発行中なのに)、焦っているのを全面に出して内定をもらった。ただ、その時に「お前にあげる給料は他の社員より高いんだから覚悟しておけよ」的なことを言われた。

この時「またか…」と思った。というのも、自分は新卒時からずっと実力に合っていないのでは、というくらい給与をもらっていたからだ。(フワッというと日本人の平均年収を少し上回るくらい) ただ、お金がある程度ないとヤバい状況だったので、そのまま条件を飲んだ。

そして、本来ならやらなければならない研修の過程をすっ飛ばしていきなり客先である名古屋まで出張し、1週間ほど炎上案件にぶち込まれた。だけど、火消しに見事成功し、顧客や常駐先の社長・副社長直々に感謝を述べられた。そのため、常駐先の居心地はよかった。だけど、派遣元である本社が現場無視なことしか言ってこなかった。

まずは、とにかく勉強しろと言われた。しかも現場の業務に関係のないことである。本来ならそれらもすべきなのもわかるが、私は父親の態度が嫌で少しでもストレスを減らすため実家から出たかったので、土日は1日12時間くらい副業をしていた上、実家から片道2時間ほどかけて通勤をしていた。そのため、勉強会の参加も断っており、「勉強してないんだろ?」って半ギレで言われたので、逆ギレしてその時の事情を話した。そしたら怒られた。「なんでこんなに給料払ってるのに副業なんてするの?親は援助してくれないの?」って。親はクソ貧乏だしなんだったら私より月給もらっていないので援助できるわけない。でもわかってくれなかった。貯金もその前の会社の給与が非常に低くお小遣い程度しか貰えてなく、その前の前は休職をしていてそもそも賃金0だったので、すっからかんだった。なので、働くしかなかった。

あとその時病気のことも話したが、それも怒られた。お前嘘つきだって!でも、正直に言ったら絶対採用しないだろうなって空気を感じていたからだ。第一あの時の自分は焦っていた。早く内定が欲しくてしょうがなかった。完全な言い訳だが。

その後も勉強しろしろうるさくて、やっと都内に引っ越した後、どうせ業務に関係ないことなら好きな勉強やろうって思って統計検定2級の勉強をした。それを報告したら怒られた。それこそ関係ないって。「はあ?データサイエンティストとしては重要なことじゃん!意味わからん!」って思った。だから、もう勉強はせずに虚偽の勉強の報告を本社には続けてた。

ただ、日報では仕事内容はちゃんと書こうと思って書いた。基本的に顧客のプロジェクトのフローに合わせて作業を任されていたため、時にはデータサイエンティストがあまりやらない、SEがやるようなテストをやることもあった。それを報告したら社長から電話がかかってきて、「お前の日報見たけど、やってることデータサイエンティストじゃないじゃん!じゃあお前にこの給料あげる意味ないよね?」って言われたのでムカついて反論し、勢いで「休職1ヶ月して辞めてやる!」って言ってしまった。

辞めてやると言ってしまったのも、最終的には上記のことがトリガーにはなったが、業務外の勉強の強要、コロナで案件がないからクビになるというニュースを貼り付けるLINEでの脅し、他の本社社員はこんなに素晴らしいという見せしめのメール、病気への理解のなさ、本社社員から私への悪口、そして、緊急事態宣言を機にリモートワークになってしまっためコミュニケーションがクローズドになってしまい、ストレスが積もりに積もり爆発した。

このときにコロナで案件でクビになるというニュースが脅しであると同時に会社が潰れることを暗示しているのかと思い煽りの意味も込めて聞いたらめちゃくちゃ怒られた。でもあの書き方だと誤解されるだろって思うのだが…。普通なら案件継続の目処が立っているならそんなこと言うことが意味わからないと思った。少なくとも自分はプロジェクトメンバーにずっといる見込みであったはずだから、そう言われるのが全く意味がわからなかった。他の本社社員は確かにそうかもしれないけど。

もうこの社長、いや会社には何言っても伝わらない。これからは障害者だし障害者雇用で障がいを理解してもらって働くことにしよう。そう決めて休職し、障害者雇用での転職活動をした。

コロナ禍での転職活動: 厳しい状況だったが内定をゲット!だけど入社は3ヶ月先…。更には障害者雇用の実態が見えてしまい…。

とにかく、6月中に内定を決めて、なんとか7月には入社しなければ、という感じだった。

なので、辞めると宣言したその日から、障害者雇用のエージェントを中心に探した。一般枠も障害オープンで就職活動をすることにした。

しかし、コロナ禍である上、2年→11ヶ月→7ヶ月→4ヵ月→4ヶ月の職歴である私は、障害以前の問題だった。職歴に問題がありすぎる。全てきちんとした退職理由があるのだが、尻すぼみ的な職歴を見ては弾かれた。全部で200社ほど履歴書を出したが、書類が通ったのは10社程度だった。

1社目から2社目の転職活動もそれなりにきつかったが、さらに厳しい状況だった。もう自分は世間という枠から完全に外れてしまった存在だと嘆き悲しんだ。

だが、こんな職歴でも私のスキルに惚れ込み、障害者雇用なのに異例の給料で内定をくれた会社があった。

もう嬉しくて飛び込んだ。最初は入社は8月になりそうだけど、って言われて1ヵ月くらいは我慢するかって感じで内定を承諾した。だが、実際はコロナなので入社が10月になります。すみませんが、待っていてください。と言われてしまった。

そして面接官の発言とエージェントの発言で気になる点があった。それは過度に期待されていること。私はぱっと見障害者に見えないから配慮できないかもってこと。そして何より初めての障害者雇用っていうのが引っかかった。多分、障害者雇用の法定雇用率を守るための採用だったのだと思ってしまった。過度な期待をされないための障害者雇用だったのに、これ以上プレッシャーかけないでくれ、そして私を利用しないでくれ、というのが正直な感想だった。

だけど、このチャンス逃したらもうないだろうなと思って、3ヵ月の間の繋ぎの仕事もゆーて見つかるでしょ!という感じだったのでそれで了承してしまった。これがミスだった。

コロナ禍での短期の仕事探し: どこもお断りされた上、職を選ばずに探したら体調崩して自分の存在意義を失った。

10月までの間、とりあえず繋ぎの仕事を見つけなきゃと思い、真っ先に常駐先に3ヵ月だけ雇えませんか?とお願いした。向こうも前向きに考えてくれたがコロナ禍で予算が取れず断念。

なので次はフリーランスや派遣で探した。だが、フリーランスも派遣も原則3ヵ月は難しいと言われこれも断念。いくつか案件はきたものの3ヵ月だけであること、そして通院しなきゃいけないのでそのことを伝えたら、全部NGになった。

もう最終手段だと思いナイトワークで探した。結果すぐ見つかったが、ちょうどコロナが再燃してる頃で仕事したあと運悪くコロナっぽい症状が出始めてしまった。そしてPCR検査も受けた。結果陰性だったが、いずれにしろ2週間は家から出られず、別のナイトワークの仕事も探して決まっていたけどそれも断らざるを得なかった。

自宅待機明けにアルバイトでもいいからって探したけどコロナ禍で落ちてしまった。もうだめだ、食費削って家賃をやっと出せるレベルしか貯金がない…どうしよう。詰んでる…。でも父親のいる実家には絶対に帰りたくない。

こういったことがあり、私の存在意義が分からずどんどん病んでしまった。加えてSNSしか捌け口がなく、そのSNSも批判ばかりでもうメンタルが完全に崩壊した。そしてセルフネグレクトになった。

セルフネグレクトになり、生きる意味がわからなくなってしまった。きた仕事もこなせる気がしなくて断った。内定も結局断った。

そして7月末あたりからセルフネグレクトになった。このまま心臓止まれば楽なのにって何度思ったか分からない。

トイレと最低限の食事以外一切しなかった。

風呂も4週間入らず毛も剃らなかった。身も心も文字通りボロボロだった。

でも自殺する勇気だけはなぜかなかった。今ある薬全部飲んでやろうって思ったけど、服薬自殺未遂を図った父親の姿がフラッシュバックしてできなかった。だからいっそのこと誰かに殺して欲しかった。

結局旧常駐先から仕事の依頼も来ていたけど、それも数日あけて断った。

あと、そもそも玄関から出なかったので内定の書類来ていたのを知らないままいて、メールも気がついたら来ていたが、間に合いそうになかった。もう、過度な期待されているの嫌だし、第一このメンタル状況で働き出したら3日くらいで辞めそうって思った。だから内定も断った。

加えて金が底を尽きて、家賃滞納していた。このため督促状が来てしまい、電話をしてなんとか待ってもらえないか交渉したが、9月の3連休明けには出て行けと言われてしまった。

もうホームレスだ、詰んだ。実家に帰るしかないのか…。その時転機が訪れた。

セルフネグレクトから立ち直れたきっかけ: 祖父の死を経て責任感が芽生えた

実は9月頭に母方の祖父が危篤と伝えられたが、そのあと3週間音沙汰がなかった。

で、3週間後の9月21日、祖父が亡くなり、それに合わせて、祖母の前では元気に振る舞わなきゃと思い実家に帰ることを決意した。祖父には申し訳ないが、この出来事がなければ多分私はホームレスだった。ある意味祖父が最後に孫の私を救い出したのかもしれない。

祖父が亡くなったことで1人になってしまった祖母を支えようと孫である私ができることを探して四十九日まで色んなことを手伝った。主に祖母のサポートをする母親姉妹のサポートをすることにした。

私のおかげで、社労士に払うべき費用が減り、さらにいい仏壇をゲットできた。親族からめちゃくちゃ感謝された。この時にようやく生きていることを実感した。

そして、祖母の家にいる間、久しぶりに自分の気持ちと向き合うことにした。自分は何がやりたいのか。何をしなければいけないのか。真剣に問い詰めた。

しばらくして答えが出た。もう働けない自分があれこれ親に思っててもしょうがない。プライドとか捨てて、こどおばとか言われてもいいから27だけど甘えよう。そして、やはり自分はデータサイエンティストに未練がある。データサイエンティストを育てる就労移行支援事業所というのがあるから一からスキルを積み直す意味で行ってみよう、と。

実家に戻ったあと、家族3人で話し合い、自分の思いをぶちまけた。そしたら意外と父親も怒らずに全部聞いてくれて的確なアドバイスをくれた。

そこで諸々やり忘れていた手続きなどを一気に済ませた。結果、取り忘れていたお金が割と戻ってきて働かなくてもしばらくは実家にいれる程度の収入はありそうだと。だから、これらは資格代や勉強代に回して自分のスキルアップに繋げようと誓った。

就労移行支援事業所への通所: 自分の見たくないところとも向き合わなきゃいけなくてまた心が折れかけた。

就労移行支援事業所へ通所すると決意した私。しかし、実態は試練だらけだった。

まずは経験者だからと過度に期待されていきなり難易度の高いプログラムに加入させられた。正直しんどかった。本当はここ(AI分野)を学ぶべきなのは十分わかっているが、つい1週間くらい前まで寝たきりだった自分がやったこともないAI分野にあたかも分かっている風について行かなきゃいけないのが辛かった。私はあくまでデータアナリストやデータ可視化フローがわかるだけで、AI分野は畑違いだった。そして案の定成果が出なかった。

でも、自分はその通っているところを経て理念に強く共感したため事業立ち上げに協力したかった。だから勉強は一旦白旗あげて、事業立ち上げるために、オンリーワンの技術を磨きたいし、そもそもここへ来た目的は自分のスキルを積み直すためなので学習計画を見直してください、と言って見直してもらった。その結果2週間で4つの資格を取るとかいう資格コレクターになっていた。

あと、プライベートに踏み込まれまくったことだ。実は今まで依頼していた人に金が払えないなら契約切りますと言われしまい、自分の中でアドバイスをもらった手段で処理し切ろうと思っていたが、よりによってその手段を利用したら人格否定されるくらいなじられてしまい、現実から目を背けて、就職決まるまではもういいやって放置していたものがあった。

でも11月頃また旧常駐先から仕事の依頼が来た。だが、このような状況だし一旦断った。このとき病気のこと、施設に通ってることも全部話した。これでもう依頼は来ないだろうと思った。だけど数日後に「どうしてもやってほしいです!体調や通院などにも最大限配慮しますのでどうかよろしくお願いします!」と…。一旦保留した。

それを施設長に言ったら、それどころじゃないでしょって施設長に自分のことを放置していることをバレてしまい、早くなんとかしなさいって言われた。でも他に相談しても金ない奴の相手はできねえと言われ断られ、途方に暮れていた。施設長も知り合いを訪ねて動いてくれたが遠距離だからNGと言われてしまった。もう、これ以上施設にいっても毎回勉強ではなくこのことを問い詰められるならもう行きたくないとなってしまい、状況が落ち着くまで通うのを辞めた。

最終的には自分で全部やり切った人にTwitterの捨て垢で長文の相談内容を送り、その人の配信内で2時間くらい私の相談を全部聞いてアドバイスをくれた。何百人も見にきている配信なのに自分に時間を割いてくれて申し訳なかったと思ったと同時に最後の手段として自分で全部やるってことをすればいいと、生きる希望を持たせてくれた。本当に感謝である。

ようやく見えた希望の光、そして再就職へ

自分で全部やる覚悟も踏まえてとある人を訪ねたら、ようやく引き受けてくれた。これから頑張りましょう。と言ってくれた。

もうホッとした。少し我慢はしなきゃいけないけど、これで就職もできるし、色んなものから解放されるんだと。失うものがなくなった、と。

そしてここまでの間で施設もしばらく休んでいて、色々考えた。事業立ち上げにこだわっていたが、多分立ち上げに協力するメンバーと方向性が違うだろうって気づいた。自分はやはりそこそこ稼いで、自分のネームバリューで仕事したい。だから、発達障害者でも活躍できますと示す方向は同じでも、私は完全にビジネス寄りの考えだったため、のちのち個人事業主での独立、ゆくゆくは1人法人での起業を念頭に入れるようになった。

こう思ったのは父親が言っていた「障害者なんだから稼ぐことを諦めろ」と言われた言葉にある意味反抗するためでもあった。いや障害者だろうと稼ぐんだよ、バカタレ!と。

そのためにはまず自分というネームバリューを上げなければいけない。だから、旧常駐先の依頼引き受けよう、となった。

もうここまで何回も依頼が来ていて、評価もしてくれているから、人生で初めて給料にも納得がいった。自分これだけもらっていいんだって。

しかも、病気のことも知っているから、体調悪ければ在宅ok、通院もあるので週4.5日稼働でokというスペシャル待遇付きだった。その代わり正社員はリスクが伴うのでプロジェクト単位契約の契約社員となった。これが逆に気が楽になった。目標がプロジェクト満期までに延期できるように信頼を獲得するといういい緊張感を保てる状況になったからだ。

でも接し方は障害者だからと腫れ物を扱うような感じではなく、いちビジネスパートナーとして対等に振る舞ってくれる。これもまたよかった。この振る舞い方が一般枠で働こうと思った大きな要因である。

やはり自分のことは正直に伝えるべきだと思った。病気のことしかり、今置かれてる状況しかり。その上で助けてくれる人は助けてくれるんだと。

こういったことを経て、私はオープンの一般枠で働くこととなった。いちビジネスパートナーとして対等に見てくれるなら障害者雇用でもいいかもしれないが、やはりどこかで壁ができてしまうんだろうな、というのを感じた。だからこれでよかった。

しかも、幸いにも色んな人が声をかけてくれて、もしも再度路頭に迷うことになっても数カ所くらい拾ってくれそうなのでそういった意味では保険もある。職歴や障害を気にせずに私をいちビジネスパートナーとして扱ってくれる場所がまだあるからだ。

だが、これに甘んじず、今の業務を中心に色んなことを学ぼうとも決意した。今はつくば市と水戸市の人口予測をしようと考えている。あとは、最終的にはCBASといういわゆるデータサイエンティストのプロジェクトマネージャー的な資格を取得したいと思っている。一応の目標は2021年中に、と考えている。

CBAS参考リンク

まとめ

自分のことを正直に伝えれば必ず助けてくれる人がいるはずです。数ヶ月前の自分のように殻に籠らず、時には叫ぶと誰かが助け舟を出してくれるかもしれません。

あと、一般で頑張ってきた人は一般で頑張れる場所があると思います。正直に障害のことなど伝えてみましょう。

私は障害者雇用を否定するわけではないですが、やはりどこか腫れ物扱いされたり、給料も低いし、法定雇用率を守るためだけに利用されている可能性があります。ここは就活時に面接をしながらよく向き合う必要があります。私は目先の餌に釣られて失敗してしまった感じなので、そこは自分の障害特性ととことん向き合って頑張ってください。

いずれにしろ自分を肯定してくれる職場の方がメンタルは安定すると思います。あとは、どっちにしても自分の障害がどういうものか理解し、いざとなったらヘルプを出せるようにしましょう。

私が社会復帰をして思ったことは以上です。障害者の皆さん、一緒に頑張っていきましょう!




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