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「7305日間」---毎日欠かさず書き続けて、わかったこと。

 気がついたら、丸20年が経っていた。

 2003年7月13日からだから、このサイトによると、今日も含めて7305日になるようだった。

 それだけの長さが過ぎたとは、とても思えない。


2009年7月13日

 しばらく忘れていたことも、過去の自分の書いたことで、思い出したりする。

今日で、原稿をとにかく毎日書こう。最低でも10年は続けようと決めてから、丸6年がたった。最初は、まだ病院と戦おうと思って、弁護士と話したり、その病院関係者と話しているような時だった。そして、母が死んだ時が、こういう事を続けるには途切れそうな時だったけど、母のかんおけを見ながら、短い時間でも原稿を書くことはとにかく毎日続けた。今、そんな事を書いても、本当に自己満足に過ぎないのだろうけど、でも続ける事で、確かに不安の量が減っている気がする。というより、何しろ、とにかく書く事だけは続けよう、という気持ちが、ただの前向きとは違うものを自分の中に作っている気はする。妙な安定、とは違うけれど、秘かな、もちろん自己満足と言われたら全く否定が出来ないけど、でも、自信といっていいものが少しだけど育っている気もする。

 これが、2009年7月13日に、自分の書いた文章だ。

 こういうときに、それが本当かどうかを証明するのは難しいというか、不可能だとは思うのだけど、この時から、さらに丸14年が経って、やはり、ずっと毎日、何かしらの文章は書き続けてきた。

 途中で、原因不明の強いめまいで入院したり、介護をしていた義母も亡くなったり、介護が終わってから初めてインフルエンザにかかって高熱を経験した時も、何かしらのノートに、ある程度の分量の文章は書き続けた。

 以前、ライターをしていたから、どうしても400字詰め原稿を基準にしてしまうのだけど、だいたいは1日、原稿用紙4枚分を目安に書いた。

 2020年の3月にnoteを始めてからは、自然ともっと、1日あたりの文章量は長くなった。そして、気がついたら、20年が経っていた。

吉本隆明

 1999年から、介護を始め、その翌年に、病院関係者に心理的に追い込まれたことも一因となって、心臓発作(心房細動)を起こした。過労死のパターンです、もう少しでも無理すると死にますよ、と循環器の専門医に言われた。

 だから、仕事も辞めて、介護に専念をしていた。だけど、病院の対応には納得がいかなくて、裁判を起こそうともしたが、誰かが亡くなっていれば別ですが、今のままだと負ける確率がとても高い、と弁護士に言われ、あきらめた。

 それが、2003年の頃だった。

 ただ、母親と、義母(妻の母親)の介護だけを、妻と一緒に続けていた日々で、先が見えないのではなく、ほんの少し先も見ないようにしていた。そうでないと、無職で介護だけをしている、中年と言われる人間の未来は、あまりにも暗くて、怖くなるからだった。

 そんな頃に、本で読んだのか、それこそ「ほぼ日」で見たのか、忘れてしまったけれど、こうした言葉を知った。

「ほぼ日」の読者には、もう、
あまりに有名な内容なのだろうけれど、
あえてもう一度、ここに記すと、こういうこと。
「どんな仕事でも、10年間、毎日休まずに続けたら、
 必ずいっちょまえになれる」
作家になりたいなら作家に、靴屋になりたいなら靴屋に、
という具合に、それでめしを食っていけるようになれる。
休んではいけない。

とにかく毎日、作家であるなら、机に向かって、
数文字でもいいから書くことが重要である、と。
実際に、これを実行して、
つまり10年間、休まずに毎日続けて、
いっちょまえになれないようだったら、
「おれの首をやるよ」というところまで、続いた。

(「ほぼ日」より)

 この言葉の元になったインタビューは、2003年頃だったはずだから、もしかしたら、私も、それを読んだのかもしれない。

 吉本隆明という人は、私よりも上の世代の人のカリスマで、だから、それだけすごいと思われている人の凄さを知りたくて、『共同幻想論』を買って読んで、自分の理解力の不足とはいえ、ほぼ全くわからなかった。

 だから、なんとなく敬遠する気持ちさえあったのだけど、この「10年、毎日」という言葉には、身体を通した説得力を感じ、「首をやるよ」とまで言っているわけだし、何も見えない2003年に、とにかく毎日書こうと思った。誰にも告げずに、ただ自分だけで決めた。

 7月13日に決めたのは、2000年のその日に、心臓発作を起こして、これ以上、無理すると死にますよと言われ、介護に専念するのを決めた日付けだったから、という理由もあったようだ。(すでに、その頃の自分の気持ちは、ほぼ覚えていない)

 それから、10年とにかく毎日書き続けた。

 だけど、2013年に、丸10年経っても、書くことに関しては、何にも変わらなかった。

 そして、「首をやるよ」という言葉で、励まされた吉本隆明は、その前年の2012年に亡くなっていた。

20年、毎日、書き続けて、わかったこと

 それでも、10年、書き続けてきたので、それからも書き続けようと思った。

 その途中で、義母も亡くなり介護も突然終わったり、インフルエンザに初めてかかったり、そのあたりが、中断しそうな時だったけれど、それでも、葬儀の合間や、高熱の中でも何か書いていた(これは本当に自己満足な行ないだと思うが)。

 そして、気がついたら(つい、さっきまで忘れそうになっていた)、丸20年が経っていた。

 人に対して、それが本当なのかどうかの客観的な証明もできないけれど、とにかく毎日欠かさず、何があっても文章を書き続けて、丸20年が経ちました、とは自信を持っていえる。

 そして、わかったのが、それだけ書き続けても、特に何かが起こるわけではない、ということだった。

 才能や運という大事な要素が揃わなければ、その継続は、本当の意味では力を持たない。

 そのことがわかったのだけど、少しだけ変わったとしたら、こうして、何かを書くことが苦痛ではなくなってきたし、何かを書くときに、書くことがない、という悩みを、ほぼ持たなくなったことだ。

 だから、とにかく、これからも可能な限り、毎日書こうと思う。

 そのためには、こうして、誰かが読んでくれると思える場所で書くのは、プラスなのは間違いない。noteを始めるまでの約17年間は、時々、まとまった原稿を、公募している賞などに送って、何の評価もされないことはあったものの、あとは、ただ自分で書いていただけだったから、やはり、note以降は、少し広い場所で書いているような気持ちになれている。

 明日からも、変わらず、可能な限り、毎日書き続けます。

 よろしくお願いします。




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