見出し画像

読書感想  『ケアの倫理とエンパワメント』 小川公代  「ケアという思想と行為の復権のために」

 この本のことを知った時を、珍しくはっきりと覚えている。
 
 時々聞いているラジオ番組で、だった。

 「ケア」という言葉は、特に高齢者には発音しにくく、覚えにくいので、家族の介護をしている頃には、抵抗感があった。

 ただ、このラジオ番組の「予告編」を聞いた時に、初めて、「介護」ではなく「ケア」という言葉を使う意味はある、と思えた。それで、勢いで、ラジオにメールを投稿したりもした。

 そして、このラジオ番組で「ケア」をテーマに取り上げる、大きなきっかけになったという本を読んだ。

『ケアの倫理とエンパワメント』 小川公代 

 専門書に近いので、様々な文学作品からの引用が、あまりにも自然にされている上に、それらが膨大なので、読みにくいように感じる部分もある。

   でも、それは、こちらの知識不足や、理解足らずだと思うのだけれど、この著書の目的自体は、かなり明確に伝わってくる。

 本書は、キャロル・ギリガンが初めて提唱し、それを受け継いで、政治学、社会学、倫理学、臨床医学の研究者たちが数十年にわたって擁護してきた「ケアの倫理」について、文学研究者の立場から考察するという試みである。

 そして、その動機についても、はっきりと書かれているし、このことに関しては、元・家族介護者としても、とても興味が持てて、同時に、文学の世界にそれほど詳しくないものの、やはりそうだったのか、といった気持ちにもなった。

 文学研究の領域においても、〈ケア〉という価値は長いこと貶められてきたからだ。

 「介護は誰でもできる」といった発言が公然とされ、それは個人の見方でもあり、正確な考えではないのではないか、といった指摘もできるのだけど、それよりも、そうした発言があった時に、少なくない人たちが、その言葉に賛同したことが、少しショックでもあった。

 だけど、この書籍を読み進めると、「介護」だけでなく、もっと広い分野のことも捉え直していかないと、「介護」も「ケア」も、貶められたままになってしまうのかもしれない、と思えてくる。

ケアの復権

 介護者のことを考えることはしてきたものの、恥ずかしながら、文学の世界で、「ケアの復権」と言えるようなことが、40年前から始まっていたことを知らなかった。

 「ケアの倫理」の重要性を訴えたのが、キャロル・ギリガン(中略)である。彼女は一九八二年に『もうひとつの声』(中略)を発表し、長らく看過されてきた〈ケア〉の復権を主張した。ギリガンの研究は、当時の状況を明るみにし、社会科学の進展を推し進めた。

 そこからの動きというものは、この書籍に詳しく書かれているのだけど、同時に、それ以前の作品についても、「ケアの倫理」の光をあてることによって、その作品の評価をさらに広げるようなこともしている。
 
 例えば、この書籍では「ヴァージニア・ウルフ」の作品も当然のように取り上げられているのだけど、「ケアの倫理」の視点から、これまでとは、もしかしたら、少し違う種類の価値を加えているようにも感じた。

 人種、階級、ジェンダーの序列関係が存在する社会では、特権を持つ者こそケアの倫理を実践すべきである。そうすれば「家庭の天使」だけでなく、「男らしさ」の呪縛からも逃れられるのではないか。ウルフの小説からは、そういう声が聞こえてくる。

 

 そして、「ケアの倫理」の復権は、文学の世界だけにとどまらず、もっと広い射程を持っているのも、わかってくる。

 文学作品のなかに描かれる〈ケア〉こそが、他者を阻害し、犠牲にしてまでも“自立した個”の重要性を掲げる近現代社会が軽視してきた価値ではないかという問いを提示した。

 だから、現実の社会が変化しない限り、「ケアの倫理」が復権するのも難しいことを、同時に指摘している。

 しかし、〈ケア〉を社会全体で引き受けるような国の政策が打ち出されないかぎり、自己犠牲であると分かっていても、育児や介護を担う多くの女性たち(時に男性たち)はケアすることを放棄しないだろう。なぜなら脆弱な存在の子どもや高齢者は、彼女ら(彼ら)のケアの行為なくしては生きてゆけないからだ。そして、特権を持つ強者が社会のマジョリティであるかぎり、公的、私的領域において弱者がケアの担い手とならざるを得ない現状はそう簡単に打開できそうにない。

コロナ禍での「ケアの倫理」

 ただ、その一方で、つい最近始まってしまい、これからも、いつまで続くか分からないコロナ禍の世界では、これまでの近現代社会の論理だけでは、対応が難しくなっていることが明らかになってきている。

 それは、今は、それほど広まっていない思考かもしれないが、だけど、この機会に「ケアの倫理」が復権しないと、おそらくは、今後は乗り切れないのは、この本を読み進めると、理解できてくる。

 政治の舞台で活躍する世界の女性リーダーたちは、コロナ禍の状況でケアの倫理の強さを見せつけている。ドイツのアンゲラ・メルケル首相、ニュージーランドのジャシンダ・アーダーン首相、フィンランドのサンナ・ミレッラ・マリン首相たちは、ケア性に富んだ政策を導入すると共に、思いやりに満ちていながらも力強いメッセージを送り続け、国民を連帯へと導いている。

 その「ケアの倫理」について、具体的な説明もされている。

 ケアの倫理は、抽象的な理念ではなく、目の前の状況を敏感に感じ取る能力、生き物に対する気づかい、真の共感を要する倫理でもある。

 こう描写されると、「ケアの倫理」を重視するシステムを実現させるためには、思った以上の高い能力が必要とされそうだけど、それでも、「ケアの倫理」が中心となり、それが共有される世界は、明らかに今より生きやすそうには、思える。

おすすめしたい人

 今回の紹介は、いつにも増して、ぎこちなくなってしまったのですが、それは、それほど厚くない書籍ですが、その内容の密度が高く、多面的なため、私自身が、見逃していたり、理解していない点が多いせいだと思います。

 それだけに、この紹介で、少しでも興味を持っていただいたのであれば、全体を読んでもらえれば、さらに深い理解をしてもらえるのではないでしょうか。そう思い、まずは、未完成な紹介の文章しか書けないとしても、お伝えしようと思いました。

 また、これからの思想のようなものに興味がある方も、今はないものを作り出すよりも、まずは「ケアの倫理」を、もう一度、振り返った方が、近道かもしれません。

 それに、この著作自体が、一種のブックガイドにもなっていますので、「ケア」という思想を考え直したい人にも、おすすめしたいと思います。




(他にも、いろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでいただければ、うれしいです)。



#推薦図書    #読書の秋2021       #ケアの倫理とエンパワメント

#小川公代    #ケア   #介護   #ラジオ番組

#ケアの倫理   #コロナ禍   








この記事が参加している募集

推薦図書

記事を読んでいただき、ありがとうございました。もし、面白かったり、役に立ったのであれば、サポートをお願いできたら、有り難く思います。より良い文章を書こうとする試みを、続けるための力になります。