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読書感想 『人を動かすナラティブ なぜ、あの「語り」に惑わされるのか』       「気持ちを動かす技術の凄さと怖さ」

 陰謀論、という言葉をよく聞くようになった。

 さらには、親がネトウヨになってしまった、というエピソードも目にする頻度が増えてきたように思う。

 どうして、信じてしまうのだろう?と思ったりもするけれど、そこで、ここ10年ほどで「動画」という要素の重要性が急速に増していることに気づくし、同時に、人を信じさせる技術が想像以上に進歩しているのではないか、といったことも漠然と不安とともに感じていた。

 その方法の怖さや凄さを、今回、紹介する書籍によって改めて少し具体的に知ることができた。より怖さは増したけれど、それでも知って良かったとは思う。


『人を動かすナラティブ  なぜ、あの「語り」に惑わされるのか』  大治朋子

ナラティブ」という言葉は、心理学や社会学の分野で、よく聞いていた記憶がある。だから、どこか専門性の高い用語だと考えていた。

「さまざまな経験や事象を過去や現在、未来といった時間軸で並べ、意味づけをしたり、他者との関わりの中で社会性を含んだりする表現」 

(「人を動かすナラティブ」より)

 この書籍でも、こうして「ナラティブ」の定義↑がされ、これだと、どこか遠い出来事のようにも思えてしまうが、著者は、新聞記者であり、取材のプロであるので、専門家へインタビューをし、その成果を伝えてくれて、その過程を通すと、この「ナラティブ」も急速に日常的なことだと思えてくる。

 例えば、解剖学者・養老孟司氏のインタビューでは、こうした言葉が出てきている。

「ナラティブっていうのは、我々の脳が持っているほとんど唯一の形式じゃないかと思うんですね」

 そのナラティブに、さらに具体的な定義がされていく。

歴史書も教科書も、個々の出来事はどれも断片的で、そのままではなかなか頭に入らない。だがそれらをつないでひとつの「お話」としてのナラティブの形式にしていくと、受け取る者の脳にも収まりやすくなる。それが映画であり、授業であり、実習なのだという。

(「人を動かすナラティブ」より)

 そんなふうに語ってくれると、「ナラティブ」は日常にあふれているのがわかる。

 少し違うかもしれないけれど、箇条書きの文章は印象にも残りにくいし記憶も難しいが、魅力的なエピソードであれば、忘れにくくなることも、「ナラティブ」のせいではないだろうか。

 だが、現代は、そうした日常的なレベルではない「ナラティブ」が問題になっているようだった。

被害者ナラティブ

 例えば、陰謀論もナラティブと切り離せないようだし、トランプ政権も、ナラティブを無視して語れないようだ。

ダニエル・ケーラー博士から聞いた。ケーラー博士は暴力的過激主義の研究者として世界的に知られ、ドイツのほか米国など欧米諸国の治安当局者とも連携して過激思想に染まった人々への支援を続けている。

(「人を動かすナラティブ」より)

 このケーラー博士は、近年、問題になっている「インセル」に関しても、こう語っている。

女性や、女性を「不当に優遇する社会」を一方的に敵視し、自分たち男性を絶対的な被害者だと位置づける点で「典型的な陰謀論ナラティブだ」と。

(「人を動かすナラティブ」より)


インセルのコミュニティは、メディアや研究者によって「女性蔑視主義者であり、暴力を助長し、過激な思想を流布して参加者を扇情している」として批判されている。インセルであると自称または推定されている人物が起こした無差別殺傷事件も複数回起こっている。 

(「フォーブズ・ジャパン」より)


 それだけに、「インセル」は無視できない存在になっているのだが、どうして、こうした「陰謀論ナラティブ」に惹かれるかと言えば、それによって、脳内に報酬がある可能性も、前述のケーラー博士は指摘している。

「社会的に孤立した状態、状況的に心理的な意味で孤独な状態だと、ドーパミンも不足するしセロトニンも不足するしオキシトンも、全部不足するんですよ。だからそういう意味では動物的に、本能的に報酬を求める可能性はありますね」

(「人を動かすナラティブ」より)

 それは、当事者にとってはメリットでもあるが、同時に「被害者ナラティブ」でもある。

人間は「おまえは被害者だ」と言われるとそう思い込んでしまう傾向があり、また、そう語った人を信奉してしまいがちなようだ。 

 そのことは、政治の世界でも大規模に起こっていた。

トランプ氏の演説は常に「被害者物語」であり、支持者はそこに自分自身を重ねて魅せられるのではないかと指摘している。 

 あのあおるような語りは、確かに「ナラティブ」だったと改めて思う。

ナラティブ下剋上

 ナラティブには、大小がある、という。

 個人のナラティブを「小ナラティブ」とすれば、社会の常識とも言えるようなものが「大ナラティブ」で、これまでは「大ナラティブ」の影響力は圧倒的に強かったのだけれど、この何年かでは「小ナラティブ」が「大ナラティブ」を動かすような例も出てきている。

 その具体例の一人として挙げられているのが、伊藤詩織さんだ。

彼女は性被害を小ナラティブのレベルから発信し、一部海外メディアがそれを取り上げ、裁判所が動き、米国で始まった性暴力告発キャンペーン「#MeToo(私も被害者)」や日本でも拡大した性暴力に抗議する「フラワーデモ」ともあいまって、大ナラティブを揺るがすほどの巨大なうねりになった。

 闘った相手は加害者やそのナラティブだけではなかった。「性被害を訴えるのは難しい」「被害者なら被害者らしく振る舞え」。そんな日本社会を覆う大ナラティブとの格闘でもあった。厚い壁に風穴を開けた伊藤さんを米『タイム』誌は2020年9月、「世界で最も影響力のある100人」に選んだ。

(「人を動かすナラティブ」より)

 そんな伊藤さんに、数多くの理不尽な非難が向けられた。

いわれなき誹謗中傷は「私たちの世代で終わらせる」。伊藤さんは会見でそう語った。

 この伊藤さんの言葉自体も「ナラティブ」の強さでもあると考えられるが、さらに、自衛隊在籍時に受けた性暴力に対して、声を上げた人もいた。

2022年6月末、五ノ井さんは自衛隊内で受けた性暴力を動画投稿サイト「YouTube」で顔と実名を出して告発した。

(「人を動かすナラティブ」より)

 こうした動きを、著者は「ナラティブ下剋上」の時代と名づけている。それは、ここに登場した個別の人たちの、おそらくは信じられないほどの過酷さを乗り越えての結果だとも思うけれど、本当は、こうした「小ナラティブ」が下剋上ではなく、正当な声として広く伝わっていく社会になった方がいいと思う。

 それでも、こうしたモデルケースがあることが、確実に今後に影響は出るはずだ。

心理操作

 そして、こうした「ナラティブ」への注目や研究の成果に関わることで怖いのが、これだけ人の心に働きかけることができる機能を、素朴すぎる言い方になるけれど、「悪用」されることだ。そして、それは、薄々と気がついていながら、はっきりとは見えていなかった。

かつてはカルト教団の教祖や稀代の詐欺師が「天賦の才」を生かして「人を動かすナラティブ」を創ったが、今はアルゴリズムがすべてを代行するので、誰でもある程度の資金と技術があれば、多数の人々の心を簡単に操作できる時代になっている。

(「人を動かすナラティブ」より)

 実際に「事件」として明らかになったことまであった。

ケンブリッジ・アナリティカは英国に拠点を置く軍事下請け会社で、軍事心理戦(PSYOPS=サイオプス)を得意とするデータ分析企業。同社は独自に開発したアルゴリズム(コンピューターがデータ処理をする際の計算手順、計算式)を駆使し、2016年の米大統領選や英国のEU(欧州連合)離脱(いわゆるブレグジット)で、SNSを通じた世界最大規模の世論工作をしたことがワイリーさんの告発などで明らかになっている。

(「人を動かすナラティブ」より)

 それは「ケンブリッジ・アナリティカ事件」という名前もついて、その告発者に、著者はインタビューを行なっている。

「ケンブリッジ・アナリティカで開発した心理操作の技術は、今ではもはや特殊なものでも特別なものでもなく、誰もが使える。

若い人より年配の人々の方が偽情報にだまされやすいことはさまざまなデータで分かっている。なぜか。年配の人々は既存メディアによってチェックされ、編集された情報を受け取る時代に生きてきた。ニュース=事実、という強い固定観念を持った人々で、その認識のままこのSNS社会に生きている。これは大きな脆弱性だ。

 それに、不安が強くなっている状態の人間の心理操作はよりやすくなる、という。

しかも日本人は民族的な傾向として、不安感情が強い傾向があるとされる。

(「人を動かすナラティブ」より)

 噂では、いろいろと聞いているものの、情報操作よりもさらに程度の高いと思われる心理操作も、実は知らないうちに、かなり行われていると思った方が良さそうだ。

国家権力がSNSを通じた心理操作をしたければ、政府の傀儡的なSNSを設け、そこを舞台に操作するのが手っ取り早い。 

(「人を動かすナラティブ」より)

「ナラティブ」は思った以上に強力で、だからこそ、こうして心理操作などにも利用されてしまうけれど、その反面、「ナラティブ」によって、『何とか「正気のふち」にとどまる』人のことも紹介されていて、その凄さと、怖さについて、知っておいた方がいいと思えた。


 著者は、新聞記者であって、最初は当然ながら「ナラティブ」に特別詳しいわけではないのだけど、そこから様々な「専門家」に会い、インタビューを繰り返すことで、「ナラティブ」とは何か?に迫っていくようにも感じる書籍なので、これから知っておこうと思う方にも適していると思いました。


(こちらは、電子書籍版です↓)。


(他にも、いろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでもらえたら、うれしいです)。




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