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読書感想 『「ほとんどない」ことにされている側から見た社会の話を。』 小川たまか   「切り捨てないためのガイドブック」

 ラジオのポッドキャストを聴いていて、ふと、今の社会の状況が、これからしばらく先の進むべき方向が、イメージできた気がした。

 2020年12月1日。ゲストの深澤真紀氏(コラムニスト、獨協大学特任教授)は、「アウティング」の裁判について話をしていた。そして、そういうことも含めて、これからの多様性社会というのは、お花畑になるのではなく、とても気を遣うことが多くなり、面倒臭い社会になっていくことだけど、でも、それは当然の手間と考えて、やっていくしかない、といった内容だった。

 それは、これまでイメージとして形になりにくかった「これから」を考える時に、納得がいく話だった。ただ、同時に、その面倒臭いことをきちんとやっていくために、それが本当には分かっていない私のような人間にも、これからの社会の「ガイドブック」が必要ではないか、とも感じていた。

「ほとんどない」ことにされている側から見た社会の話を。 小川たまか 

ほとんどない」ことにされている側という言葉が強く目を引いた。

 性暴力やジェンダーにまつわる問題を取材し、声をあげ続ける気鋭のライター・小川たまか初の著書。性暴力被害、痴漢犯罪、年齢差別、ジェンダー格差、女性蔑視CM、#metoo...多くの人がフタをする問題を取材し、発信し、声をあげ続けるライター・小川たまか初の著書。2016年から2018年に起きた、性犯罪やそれにまつわる世論、性犯罪刑法改正、ジェンダー炎上案件などを取り上げ、発信してきた記録です。

 この本の話題は、あちこちにいっているように思えて、読み進めると、『「ほとんどない」ことにされている側』から見えている光景だと、少しずつ分かってくる。

 あらゆる場面での違和感や被害も、「ほとんどない」ことにされてしまえば気がつきにくい。だけど、こうして「声をあげ続ける人」がいてこそ、実は、今までも注意深くしていれば、見ることができたし、聞き取ることもできたのではないか、といったことに思いが至る。

 それに気づくこと自体に、後ろめたさはある。だけど、見なかったこと、聞かなかったこと。さらには、見えないようにされていたこと。聞こえないようにされていたことが、こんなに多かったのか、と改めて気がつく。

男女平等参画という言葉

 「男女共同参画社会基本法」が、1999年に施行された。男女平等というシンプルな言葉よりも、男女共同参画という微妙でわかりにくい表現がされているところから、政策として本気でないのではないか、というような疑いは今でもあるが、それから20年たっても、その男女共同参画を実現するための「5本の柱」が、実現したような印象はあまりない。

 だからずっと、ジェンダー格差に関しても、「ほんどない」ことにされている側の声は聞こえにくいし、聞こうとしてこなかったままだと思うのだけど、著者は、「ほとんどない」ことにされている側から、社会が、とてもよく見えている印象を受ける。

「ほとんど見えにくい」光景

 たとえば、女性の人権に関わるシンポジウムのはずなのに、そこに登壇したベテランの男性産婦人科医が、自分が思い込んでいる「女らしさ」を押し付けるような言葉を連発し、それまでの流れを壊すような発言をしたことも記録されている。それに対しての著者の怒りや呆れもあるだろうけど、そこだけでなく、そのあとに、その男性産婦人科医の周りに、女性が集まり、その発言に対し、持ち上げているような姿まで描写されている。

 それは、そうした女性たちの「男性社会」への過剰適応かもしれないし、その女性たちが、誰かを『「ほとんどない」ことにしている側』にいるだけかもしれないが、どちらにしても、複雑で根深い構造が障害となり、時代が進みにくいことも、示してくれている。

 さらには、特に年齢の高い人は、若い頃にいったん身につけたさまざまな価値観で現在を築いているとすれば、その成功体験によって、価値観を変えられないのかもしれない、といったことまで考えさせられる。同じ時代に生きていても、残酷なまでに時代の進み方は違うのかもしれない、とも思う。

 今回の、緊急避妊薬に関して、産婦人科医が、女性の状況に対してあまりにも想像がないような発言をしているように思うのだけど、それは、この本に出てくる男性産婦人科医の姿と結びつけると、そんなに不思議ではなく思えた。

「ほんどない」ことにされている側の視点

 たぶん、私自身が、「ほとんどない」ことにされている側、ということを、本当の意味で、わかっていないから、このようにたどたどしい書き方になっているのだと思う。

 それでも、その視点だからこそ、見えにくいものが見え、聞こえにくいことが聞こえているのだと思う言葉も、いくつもあった。

 なぜか「女性が権利を口にする」ことをひどく嫌う人たちがいる。
「女性が」というよりも、「弱者が」と言った方が正しいかもしれない。 
(モデルと並行して複数の仕事をしている女性の言葉)
 モデルが一番、人間扱いされない。 
 美人は男性からも嫉妬される。美という、持って生まれた「才能」への嫉妬だ。

「ほとんどない」ことにされている側、を切り捨ててきた歴史

 もしかしたら『「ほとんどない」ことにされている側』を作り、切り捨てるようなことをしてきたような側に、悪意はなかったかもしれない。

 この是枝氏の著書の「主役」である自殺をしてしまった官僚の方も、水俣病という企業に責任がある「公害病」に関しての補償で、国側と被害者側の板挟みになる構造に苦しめられていた。

 そんなことが起こるのは、大雑把にいえば、社会全体にも、企業をかばうような流れがあったからだと思う。もう少し詳細にいえば、日本の経済成長という「大義」のために、今は被害者には我慢してもらって、十分に経済成長してから補償すればいい、というような「切り捨てる思考」は確実にあったし、それは(自分が被害者でなければ)、どちかかといえば、多数派だったと思う。

 これは、あまりにも雑な分析で、個人的な見方に偏っているかもしれないが、こうしたことは、ここ何十年もずっと言われ続けてきて、そして、社会のいろいろな場所で、「ほとんどない」ことにされてきた側が、きちんと報われた、というようなことは、私が無知なだけかもしれないが、ほぼ聞いたことがないまま、昭和から平成になり、21世紀に入って、令和にまで来た。

 だから、「欅坂46」が、電車内で、スカートを切られても悲鳴をあげない、という「月曜日の朝、スカートを切られた」の歌詞に対して、こういう指摘をしなければいけない時代が、今も続いているのだと思う。

 欅坂のあの曲が「悲鳴なんか上げない」じゃなくて、「声を聞いてくれる人がいるまで叫び続ける」とか「悲鳴を受け止めない社会を私は許さない」だったら、どんなにかよかったか。でも現実は、秋元康さんという、構造的に絶対的な立場にいる人が、少女たちに「悲鳴なんか上げない」と歌わせた。曲の一部とはいえ、それはグロテスクだよ……。


『「ほとんどない」ことにされている側から見た社会の話を。』という本を、これからの社会を生きていくための「ガイドブック」として、さらには、理不尽な不幸をなるべく減らす社会にするための提言としても、読んだ。それは、コロナ禍によって、「切り捨てること」を続けさせないためにも、知っておくべきことのように思う。

 だけど、ここまでの文章自体が、実は、理解できてなかったり、見落としてしまっていることが多い可能性もあるので、少しでも興味を持った人には、ぜひ、全部を読んで、確かめてほしいと思います。



(他にもいろいろなことを書いています↓。読んでいただけたら、うれしいです)。

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