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「ささやかで小さくて、だけど」------『具ささ』。2024.3.2~3.24。青山|目黒。


 この展覧会のタイトルは「つぶさささ」と読むと、ギャラリーのサイトで初めて知った。

 もし、文章で使うとすれば、「具に」ということになるらしいし、それは「細かくて、詳しいさま」になるから、「具ささ」という表現が正確かどうかはわからないけれど、おそらくは、細かさ。だけど、その細かさだけではなく、詳しさ、とかも含めた表現なのではないか、といったことを考えてしまう。


キュレーション

 最初に目に入ったのはキュレーションした人の名前だった。

 遠藤水城。

 2017年に栃木県での展覧会をキュレーションし、そのことを書いた記事を読んで、どうしても行きたくなって、まだ介護中だったけれど、妻と相談して、家から片道2時間以上かけて、知らない街の駅に降りて見に行った。

 それは、意外なほど派手な印象のある「戦争柄」と言われる着物や、地元の中学校の合唱コンクールの映像や、それに最も見たかったのが、東日本大震災にショックを受けて制作した「水中エンジン」だった。
 その展示室には一酸化炭素の探知機があるような場所で、だから、場合によってはリスクのある作品だけど、それが作動し、クルマのエンジンが水の中で動いているだけなのに、どこか怖さとか不思議さとか、いろいろな感情が起こったのを覚えている。

 その展覧会のテーマは、おそらくは重いものでもあるのだろうけれど、作品は多様で、もちろん「水中エンジン」もそうだけど、視覚的な刺激も新鮮で、自分にとっては遠出でもあったのだけど、行ってよかったと思えた。

 これは、やはりキュレーションの力を強めに感じた。それから、年月が経っていても、キュレーターの名前を覚えていたくらいだった。

HAPS

 美術界のシステムなどは、よく知らないのだけど、今回の展覧会は、HAPSという団体が開催しているらしい。

HAPSは2011年に東山 アーティスツ・プレイスメント・サービス(HAPS)として設立され、2019年より一般社団法人HAPSとして活動するアート・インスティテューション。HAPS Office、HAPS Studio、HAPS Houseと京都市内に3ヶ所の拠点を持ち、若手芸術家の居住・制作・発表支援、文化芸術による共生社会実現など、現代美術に関わる多様なプログラムを展開。

HAPS KYOTOではHAPS監修のもと、京都出身、京都を拠点として活動するアーティストを紹介。今後の飛躍が期待される若手や商業ベースに乗りにくい作家、京都のアートシーンに確かな足跡を残してきた作家をHAPS独自の視点でセレクト、その収益を作家本人ならびに今後の作家支援に還元する。

(「OIL」より)

 こうした活動が本当に正常に機能していたら、それはアーティストにとってとてもありがたい団体だと思う。

今回の展覧会「具ささ」は、「HAPS KYOTO」出展作家である武内ももと、大田黒衣美・黒田岳・斎藤玲児・千葉雅也といった、ジャンルや年齢にとらわれない表現者が一堂に会します。多様な作家それぞれの方法が積み重ねられた作品を、会場に配された「具」ととらえ、作品同士の相互作用とそれらを包摂する部屋の様相を「具に」ご覧いただくことを通じ、手法やメディウム、空間を超えた共鳴が直感されることでしょう。

(「HAPS-KYOTO」より)

 やや分かりにくい文章だけど、その空間が、あまり経験のないような気配になっているかも、などと期待を高めてしまった。見る前に、あまりハードルを上げるのは良くないのだけど、楽しみにしてしまったのは、キュレーター・遠藤水城の展覧会の記憶があったせいだと思う。

『具ささ』

 今回の展覧会の会場となったギャラリーの青山|目黒は、東横線の中目黒と祐天寺の、ちょうど真ん中くらいの位置で、だから、どちらの駅からも10分くらい歩くから、ちょっと行きづらい場所でもあった。

 そのせいもあるのかもしれないが、ギャラリーができたのは2010年のはずだったけれど、ここの展覧会を見に行ったのは、それから何年も経ってからだった。 そのとき、この便利とは言えない場所でも道路(駒沢通り)の向こう側にブルーボトルコーヒーがあるから、それだけでちょっとおしゃれに思ってしまうのは、自分がおしゃれとは縁遠いせいかもしれない。

 今回は中目黒から歩いた。

 区役所を通り過ぎ、さらに歩いて、かなり遠くまで来たのでは、と思う頃に急にギャラリーは現れる。入り口は、鉄でできていて、一見、ドアのように見えないが、そこを開けると、中に入れる。

 思ったよりも、ガランとしていた。

 それは、壁に設置されている作品のサイズがどれも小さめだったからだ。

 陶器や紙やキャンバスのようなものだったり、とその素材は様々なのは分かったけれど、どれもA4サイズに収まる大きさだった。

 さらには、その形も色も一見主張が強くないので、白い壁になじんでいる上に、展示されている作品も、どれも「自分が前に出る感じ」ではないから、刺激も少なく思えた。

 それで、その空間には「具」があるのに、そして、それなりの数の作品も存在しているのに、鑑賞者に迫ってくるような気配は薄かった。

 だから、空間が広く感じたのだと思う。

日常

 その奥のスペースでは、映像作品が流れている。

 人やものや風景が断片的に、つながりもそれほどなく、それもブレたりピントが合っていなかったりする画面が変わっていく。何が起こるわけでもなく、そして時々、静止画(たぶん、写真なのだろうけど)になる。

 全く知らない人や、見たことがない場所のはずなのに、なんとなく懐かしい、という感じがするのは、誰かの日常の映像でも、それも、例えばドラマのようなフィクションや、バラエティ番組で耳にする「撮れ高」とは全く真逆の、だけど、見ていて感じる退屈さや親近感は、生きている時間の大部分が、こうしたことなのではないか、といったことを思ってしまうせいだろう。

 そんなことを考えたのは、ここに来る前に「具ささ」のことについて、どうしても考えてしまっていたせいかもしれない。

 その映像は、斎藤玲児の作品だった。

 しばらく少し暗い中で、その映像を見て、また明るい展示室へ戻る。

つぶさに

 それぞれの作品は、やはり小さく、さりげなく、だけど、「つぶさに」見ていくと、当然だけど違いがある。

 その中で、最も日常的な素材と制作方法だと思ったのは、紙にテープを貼り、そこに何かを描き加えただけの平面だった。

 千葉雅也。

立命館大学大学院先端総合学術研究科教授。20世紀の哲学思想を起点とし、芸術、文化、社会について幅広く考察している。小説家としても活動する。以前行っていた美術制作を2020年に再開した。本展がその最初の展示となる。

(「HAPS-KYOTO」より)

 そのときは、失礼なことだけど作者を「千葉正也」と思い込んでいて、いつもの作風と違うなどと勝手に感じていたが、専門の哲学の分野だけでなく、小説などでも重要な作品を発表している「千葉雅也」だったことに後になって気づいた。

 ギャラリーで見ているときは、この誰でもできそうな行為で、だけど、それを最低限な行為で、作品として成り立たせていることに、しばらく見ていると、少し感心するような気持ちになった。

 やっぱり、「具ささ」といったことを、どこまで分かっているかは自信がないけれど、これが「つぶさささ」なのだろうか、と思っていた。

 他にも制作方法としては、伝統的な焼き物としての作品もあって、かなりオーソドックスに見えるものと、ただ焼いただけではなく、それを方法として選択しただけで立体作品のように思えるものがあった。

 それぞれ、黒田岳と、武内ももの作品だった。

1946年長野県生まれ。萩陶芸家協会正会員。南地工房にて作陶。一度焼いた上からさらに焼成を重ねる「鬼萩」と呼ばれる手法を用い、通常の萩焼より強度が高く、力強い表情と質感の器を生み出している。

(「HAPS-KYOTO」より)

 これ↑は黒田岳のプロフィールだけど、このギャラリーに並んでいるせいか、その「強度」が目立たなかった。

1997 年生まれ。2021年京都精華大学芸術学部陶芸コース卒業。陶芸と人、その周辺で同時に起こりうる複数の時間や身体のあり方について関心を持ち、暮らしにまつわる人やもの、風景や現象を起点に、陶芸の素材に由来する特性や焼成による変化を重ね合わせた作品を制作・発表する。

(「HAPS-KYOTO」より)

 これ↑は武内もものプロフィールで、この作品にまつわるあれこれに関しては、その立体は小さいとはいえ、素材も含めて複雑さは感じるし、作品名のキャプションが、その要素が表されているように長い文章だった。

こちらから見に行くこと

 そして、絵画のような作品もあった。

 それも、あいまいな仕上がりだから、オーソドックスとは言えないけれど、このギャラリーにあると、変な表現だけど基本的な美術作品に見えたが、ただ、その表面は半透明な紙のようなもので覆われていて、よく見えない。

 大田黒衣美の作品。

 だから、近づいてよく見ても、その全体をつかめない感じは変わらなくて、それでも、最初にギャラリーに入ったときのように、ただ見まわしただけだったら、その感じは、味わえなかったと思う。

 やはり、こちらから見に行く感じがないと、より分からなかったかもしれない。

ウズラの卵やチューイングガム、ティッシュペーパーなどを素材として、絵画、写真、映像、インスタレーションなど、さまざまな手法を用いて不安定な心に潜む原始的な知覚や思念を顕現させる作品を制作している。

(「HAPS-KYOTO」より)

 これ↑は大田黒衣美のプロフィールで、正直、ここまでの感覚は分からなかったけれど、それでも見ようと思って見たから、この感じには少しだけど近づけたかもしれない。

 だから、ギャラリーに、こうした小さい作品が並んでいて、その前に「具ささ」といった言葉や、どういった経緯で、この展覧会が開かれているかを知らなかったら、おそらく、ただ空間が広すぎるといった印象で、こちらから見に行かないと、分からない部分が多い作品が多かったと思う。

 だとすれば、やはり、こうした展覧会は、そこにまつわる言葉に触れた方が、より豊かになったし、それこそ「つぶさに」見ることができたのは、そうした言葉のおかげだったと思う。


 もし、鑑賞するときは、こうしたステートメントのような文章に触れたり、もしくは、作品を見て、なんだかな、と思った後に、こうした「説明」に触れると、その時間の意味が違ってくるのだと思いました。






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