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拝啓、かつての相棒だった君へ

僕の脳みその中に住まう、記憶を必要なものと不要なものとに仕分ける仕事をしているであろう住人は、どうやら僕本体に似て、ものを捨てられない性分らしい。
くだらない忘れていいようなことも、何時か何かの役に立つかもしれない!とばかりに押し入れにそっと仕舞い込んでいるようだ。
すぐ使うような、例えば授業で習った事などを入れておく箱とは別に、膨大な数の記憶を収納できる押し入れが存在しているらしく、何かのきっかけでその押し入れの扉が開かれると堰を切ったようにドバドバと思い出と呼ばれる記憶たちが流れ出して、懐かしいなぁ、なんて物思いに耽けってしまう。

今日も友人との会話をきっかけに小学生の頃の記憶が流れ出してきてしまったので、押し入れに仕舞い直すためにも少し書き出してみようと思う。

小学生の低学年から仲の良い男の子がいた。
彼とは当時同じクラスで、初めの頃彼は僕の家から徒歩3分ほどのアパートに住んでいた。
そのせいもあってかよく登下校を共にしたし、クラスでもよく話していたのを覚えている。
元々僕が通っていた小学校は男女仲がよかったし(小学校低学年なんてどこも同じかもしれないが)、当時の僕は活発でプリキュアよりも仮面ライダーが好きな男の子みたいな女の子だったというのもあって、女の子より男の子の友達の方が多かったと記憶している。

当時流行っていたことといえば、怪談レストランやDSなどのゲーム、それから先にも書いた仮面ライダー、少し歳を重ねてからはカードゲームも流行っていた。確か、、デュエルマスターズと遊戯王とバトルスピリッツとバディファイト、そしてポケモン。
酷く懐かしい。
大体どれもカードを集めていたし実際に対戦したこともあったはずだ(もちろん男の子と。そして女の子の友達でカードゲームをしてる子は一人もいなかった)。

あの頃は自転車で何処にでも行ける気がしていたし、自転車で行ける範囲が僕の世界だった。
DS、怪談レストラン、変身ベルト、40枚ほどで組まれたデッキが必需品だった。
学校の後、家に帰るなりランドセルを放って自転車に跨ると、決まって集まるのは地域の催し物の時に使われる小さいホールのような建物の入口だった。
数台並んだ自転車は日によって台数も変わるがやっぱりどれも黒や青や赤の男の子用の自転車ばかりで、僕の水色の自転車だけが仲間外れだった。
でもそれも色違いのポケモンみたいでちょっぴり嬉しかった。
そこで行われるのはカード交換や対戦。
決まった手順にそって決まった掛け声を叫んで、笑って、対戦後はカードを交換し合う。
レアカードと色違いのポケモンは宝物で、同時に勇者の勲章みたいなものだった。
男の子の世界は単純で、カードゲームでも携帯ゲームでも1番強い人がヒーローだったし、ヒーローはレアカードや色違いのポケモンを持っていた。
分かりやすくて好きだった。

だからよく男の子とばかり遊んでいたが、中でも先に述べた彼とはよく2人で遊んでいたと思う。
親同士も仲がよかったのもあり、お互いの家によく遊びに行ったりもしていた。
遠出もした。
もちろん自転車でだけれど、彼となら何処まででもいける気がした。
現に、隣町の僕のおばあちゃんの家まで自転車で行ったこともあった。
片道2時間かけて。
今になって考えると、とんでもないなと思う。
本当になんでも出来たんじゃないかな。

彼に恋愛感情を持ったことは無かった。
彼の方はどうだったのだろう。
分からないけれど多分彼の方も僕にそんな感情を抱いてはいなかったと思う。
特別な友達、ただそれだけだった。
相棒だと思っていたのだ。
今ではそんな純粋な関係がとても眩しく、愛おしく思える。
それから今まで彼の後にそんなふうに呼べるような男の人は現れなかったし、きっとこの先も現れないと思う。

いつ頃だったか忘れてしまったけれど、河原に綺麗な石を探しに行ったことがあった。
僕のでたらめがきっかけだったと記憶している。
何故かは分からないが彼が唐突に「宝石が欲しい」と言い出して、これまた何故かは分からないが僕が「河原にあるよ!」とでたらめを言ったのだった。
何を思ってそう言ったのかさっぱり思い出せないのだが、結果として河原には宝石とは呼べないかもしれないが本当に綺麗な石は在った。
当時は分からなかったけど恐らく水晶の類いだと思う。
綺麗だった。
日に透かすと反射してピカピカ光る半透明の石と何処にでもありそうなただの石が合体したような石が沢山在った。
二人で夢中になって拾い集めて、中でも綺麗なものを選りすぐって持ち帰った。
しかし、家に帰るやいなや母に見つかり「捨てて来なさい」と叱られ部屋の窓から放り投げられてしまった。
母は綺麗好きな人だから今になっては当たり前だなと理解できるが当時は酷く腹を立てた。
彼との絆の証のようなものだったのに。
これは今でも変わっていないのだが、その頃から僕は「○○だけ」という言葉に執着したり、「特別」な存在を求めたりする節があって、その「特別」な存在の彼と「僕と彼だけ」が知っている「特別」な場所である河原、それらを象徴し、形として目に見えるものがピカピカ光る石であった。
当時の僕にとっては宝石なんかよりも価値のあるものだったのだ。
翌日家の周りを探してみてもピカピカの石は見つけられなかった。
悔しくて、母とは口ききたくないと思うほどだった。

中学にあがってすぐくらいに彼は家の都合というやつで引越してしまった。
隣の隣くらいの市だったと思う。
それからもう一度もあっていない。
スマートフォンは買い与えられていなかったし、連絡手段が無いまま時が流れてしまった。
彼は元気にしてるだろうか。
僕のことなんか忘れてしまっただろうか。

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長々と思い出話に付き合っていただきありがとうございました。
オチは特にありません。
ただ、あの頃の単純で純粋な日々が、些細なことに一喜一憂してくだらないことで笑っていられたあの日々が今になって輝いて見えると言うだけの話です。
今は住む街もお互いに変わって、顔を合わせることはもしかしたらもう二度とないかもしれない。
それでもお互い気づかないうちに偶然街や何処かですれ違った時には元気でいてくれればいいな、と願うばかりです。

相変わらずごちゃごちゃしてますが(文末にすら気を配らないとはどういうことだ)深夜の戯言だと読み流してください。
良い一日を。