西から東へ,いつも旅の途上
思い立ってベルリンへ来ている。
一週間前は、まだ神戸にいたというのに...この振り幅。
ドイツ人が嫌う spontan(思い立って予定外のことを突然する)な行動もここに極まり...という感じだ。
以前、午前中に思い立ってケルンに行く記事を書いたが、ベルリンはケルンと違ってなかなか遠い。
誰にも、家族にも言ってないので私が遠いベルリンに居るというのを知っている人はいない。
子供達は昨日の夕方から金曜日まで父親の家に行っている。金曜日の朝に息子の先生と会わなければならない用事があるので、一泊だけ。
少しまだボォーっとしているこの状態で、日常の少し遠くに行きたいなぁと思った。
ブリュッセルやパリの方が近いが、今回はドイツにいたいと思った。
私はまた少しずつこの国に馴染んでいかなければ...という想いがあったから。
◇
長い夏休みをほとんどべったり一緒にいたので、一人になって正直少しホッとした。
神戸にいると親であるだけでなく、娘でもあり、ダメ出しばかりされる娘でいるのにもちょっと疲れた。
実家に置き去りにしていた荷物の片付けもしたし。。
今回のドイツ⇄日本の往復は、ちょっとここには書けない様な、馬鹿な苦労というか、体験もして、まだどこか呆然としている感がある。
じゃあ家でゆっくりしてれば?と、思うのだが
今回はあまり緩めない予感がした。
元々、今の家で心安らかに寛ぐのがいまだに少し苦手だ。子供達がいない家に居ると色々考えてしまう時もある。
特に今みたいに心がまだ中東辺りでウロウロして、身体だけ到着してる様なときはことさら...
家に子供がいなくても猫達がいるが、彼らはボヘミアンのように自由で、不在が多い。
そうそう寂しい時に都合よく側にいて撫でることが出来ない。
飼い主よりもよほど自由な心で生活を満喫しているリアジュウキャッツだ。
私の早朝の出発を知ってか知らずか、手土産か激励か、今週2度目のイキの良い野ネズミを連れ帰ってくれた。
(救出するまで一手間で、出発時間がぁ...と泣きそうになる)。
◇
在独13年を超えるがベルリンは2度目だ。
1度目は多分2016年、いや2017年だったろうか。
「ドイツに8年もいるのにこの国の首都に行った事がない!」
と、当時の夫 Dに訴えてベルリンの地を踏んだ。
彼が大都会は嫌いなことと、当時は子供達がまだ幼児だったため「子供はみてるから独りで行って来たら?」との言葉に甘えることにした。
彼は育児も家事も上手に出来る人だったので不安はなかった。
だけど心の何処かで別々に行動するのではなく、大変でも一緒に行けたらなぁ...とも思っていた。
このベルリン訪が、最初の彼の不倫発覚前だったか後だったか、よく思い出せない。
私にとって2016年9月は衝撃で、前と後では世界観が変わったため、ついその前か後か...?
というのは気になってしまう。
たぶん“後”だったと思う。記憶に残るベルリンの景色が少し寂しい色をしている。
でもこういう時系列をバッチリ憶えているより、曖昧な方が良いのだろうなぁと思うようになった。
と、考えていたら、、
ベルリン到着早々乗った観光バスで KaDeWe というデパートの前を通った時に唐突に思い出した。このデパートで少し値の張るペアのお皿を2枚買い求めたことを。
不倫関係を清算して“やり直したい”と言った彼を信じて修復しようと決め、一緒に食べる朝食用のお皿を買った。
厚手の重いお皿だったが大切に持って帰って使っていた。
そのお皿を数年後、私は自分の手で壊した。
まさしく叩き割った。
そのときDが投げつけた言葉が私の心臓を貫くような瞬間に耐えられず、食洗機の中、目の前にあったそのお皿を反射的にしかし、ちゃんと認識して床に叩きつけた。
自分が大事にしているものを叩き割った経験は、後にも先にもこの一度きりだ。
この出来事をすぐに結びつけて思い出さなかったんだなぁ...と少し驚いた。
“忘れる”ということ。
どれほどこの忘却する力に助けられてきたか。
昔は「忘れる」ことは勿体無いと思っていたものだが、人間は忘れることが出来るから生きていけるのだ。
良いことも、悪いことも、しんどかったことも、幸せなことも、きっといつか夢のように遠ざかり自分自身がこの世に別れを告げる日が来るのだと思う。
その時はその意味があまりピンと来なかった。
記憶に残る鮮やかな幸せもそうなるのかな?
流石にそういうことは別なんじゃない?って。
でも何となくだけど、今はその言葉の意味が解る気がする。
人生は儚い。
その中で起こる愛憎も、いつかは泡のように消えていく、その人の存在と共に。
存在の儚さや脆さ。
長かったはずの人生が一夜の夢のように感じる。
それでも、残っていくものがあるとしたら、
やはりその方が言った様なことなのかもしれない。
個人の枠を超えて、それは他者の心に残り、またバトンの様に渡されていくものなのかな...と。
人生は儚いけれど、生きている限り自分の精一杯で歩んでいくものだろうと思う。
私がこの国にいるのも何か理由があるのだろう。
末っ子が学校を卒業するまであと10年...
その期間はドイツに留まろうと決めた。
決心してもしきれないところがあったが、今回の里帰りのあと、やはりそう思った。
今まで何度も熟考して出した答えだから。
たぶん今までは、覚悟が定まってなかったのだろう。覚悟なんてねぇ、そんな簡単にきまらないよね...。
だから焦らないで、ゆっくりと歩いていきたい。
いつか「精一杯やったやん!」って言いたくて...
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