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心の落ち着く場所

フランクフルトのシュテーデル美術館へ行ってきました。

在独10年を軽く超えるというのに、自宅から150キロに位置するフランクフルトの街を知りませんでした。空港には何十回も行ってるけれど、改めてフランクフルトの市街を訪ねるのはこれが初めてのことです。

シュテーデル美術館についての予備知識はほとんどなく、唯一フェルメールの絵があるのをガイドブックで読んだくらい。
平日の午前中ということもありますが、かなり広い館内に人もまばらで静かに見て周ることができました。

パリのオルセー美術館などは有名過ぎていつ行っても観光客でごった返しており(自分もその一人ですが...)、騒めきが大き過ぎて集中して絵を見て行くのが難しいことがあります。
二昔前くらいは、美術館は静かに見て周るという暗黙のルールがあったように思いますが、一定数を超えると難しいのか、マナーを知らない人が多過ぎるのか...
美術館が観光地化されているのだろうなぁと思います。

ゆったりとした空間と落ち着いた壁の色


さてシュテーデル美術館、どの絵も平等に置かれるべき所に収まっており、特に特別感を演出することもなくさりげなく飾られています。
そのため、ウッカリ有名な作品を見落としていきそうになりましす。

ただこちらが、おざなりではなく集中して見ていくと、ハッと光彩を放つ作品があることに気がつきました。

嫉妬:1913年

ノルウェー出身のムンクの作で、左側の男の表情が不気味でした。
嫉妬....自分もかつてこんな顔をしていたことがあったのだろうか...と自問が一瞬よぎりしばらく佇んで見てしまいました(苦笑)。

ラビ:1912年

この絵は色彩感が渋い緑や黄土色系で統一されていて、美しくもインパクトのある絵でした。
見覚えがあるなぁと、すぐにシャガールだと気がつきました。
幻想的なモチーフの馬が飛んでるシャガールの作品とは、また印象が異なりました。

喪に服す聖ヨハネ:1300-1310年頃

14世紀初頭にイタリアで活躍したオルランディ作。

およそ700年前に描かれたことが信じられない。
表情から悼む心が伝わってきました。
写真では伝わりにくいですが、色が鮮やかでとても力強い色使いで驚きました。

地理学者:1669年

たぶんこの美術館の目玉のフェルメールの作品でしょうが、これもさりげなく飾られていました。

場所が分からなくてフロアにいたスタッフに、
「フェルメールはどこですか?」とガイドブックの写真を指差すも、「うーんあんまり知らないんだよね」と案内されましたが全然違う絵でした。

“コレじゃない”と告げても、やっぱりあやふやな場所を教えてくる。

「所蔵のフェルメールの場所知らないって、
この美術館の目玉作品なんじゃあ...?」とびっくり。

年配のスタッフに聞き直すとキビキビとした足取りで、速攻連れて行ってくれました。
眼光厳しいおじさまだったので、
「スタッフ教育した方がいいですよ〜」とか何とか軽口が言える雰囲気ではなく、残念。

大きな部屋の横に小部屋が続いており、そこの絵を見ていると一際目を惹く絵がありました。

小さな絵ですが纏わるオーラにハッとするものがあり、また何処かで見た印象もありました。

理想的な女性の肖像:1480-1485年頃

ボッティチェリ作。

フィレンツェ一の美女と謳われ「ヴィーナスの誕生」のモデルにもなったと云われるシモネッタは23歳の若さで肺結核で亡くなっています。

緻密な絵の中に強い眼差しを感じる絵で、今回一番心に残りました。

ルッカマドンナ:1437年

ヤン・ファン・エイクは、15世紀北ヨーロッパで、もっとも重要な画家の一人といわれ、ルッカの聖母のモデルは、ファン・エイクの妻マルフリートとも。

ルッカはオペラ「蝶々夫人 」の作曲家プッチーニが生まれた町でもあります。

メディチマドンナ:1453-1460年頃

フィレンツェのメディチ家から依頼されたウェイデンの作品。下段の中央に描かれた赤いユリ(実際はアヤメ/アイリス)はフィレンツェの紋章。

勉強不足で驚いたのですが、聖母マリアの授乳姿がこんなに堂々と描かれている事を知りませんでした。
気になったので少し調べてみました。

「授乳の聖母」はレオナルド・ダ・ヴィンチによっても描かれています。

聖母が胸を露わにする表現は、
神と人を取りなす乳母」「全人類の乳母」として神との取りなし役である聖母の役割を暗示したもの、ということです。

授乳する聖母のテーマは後期中世以降非常に好まれた。
親密な母と子の愛情のこもった触れ合いが、見るものを惹きつけたのである。

それと同時に、このように愛情深く授乳するマリアに対し、信者にも同様の愛情を向けてくれることが期待されたのである。
現に、神の怒りを鎮めるため聖母マリアが自らの胸をあらわにし、この乳でもってキリストを育てたのでそれに免じて人類の罪を許すよう懇願するという絵画テーマさえ存在する。

musey.net

しかし、16世紀半ば以降は「肌をさらけ出すことは聖なる人に相応しくない」とされ授乳の聖母は描かれなくなったそうです。

※写真を撮り損ないましたが、聖母らしき女性が母乳を男性めがけて噴射している、「母乳ビーム」の絵もありました(汗)....えっ!?って引いちゃったんですが撮ればよかった....


モネの絵を場所を変えながらずっと見ていた若いカップル


今回美術館を訪れて、とても癒される感覚がありました。

偉大な画家が全霊をかけて描き残したかったもの、それは遥かな時を超え、現代に生きる我々に時間を超えた普遍的なものを示しているようにも思えました。
「個人の人生」という有限性の中で生きていると、不安や焦燥感に陥るときがあります。

しかし絵画の前に立つと、そこに時やエネルギーが凝縮して留まっているように感じました。
それが遥か時を超えても強いエネルギーを放っている。

そのような絵を残した画家、人間が存在したこと。それらの作品が今、自分の目の前にあることで時間の縛りから解き放たれたような安寧を覚えるのかもしれません。

美術館は自分と向き合え、遥かな時の存在に気がつくことが出来る場所。

また訪れたいと思います。

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