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今日のネコの香りは、

ネコは自由だ。

ドイツの田舎にある我が家はネコにとって環境が抜群でいつも出歩いている。

今日帰ってきて抱き上げたら良い香りが漂ってきた。
ウッド系のような、松のような針葉樹のような、何とも言えない芳香が立ち昇る。
ネコの頭や首筋から。

こういう香りが欲しくって、いろいろ香水を探して試してみるものの、どうもどれも違う。
最初はコレかも!?と思うけどその匂いは長続きしない。

外出から戻っても、いつも良い匂いがするわけではない。
ごく稀なんだけど、時々あって一体どこを通って来たらあんなに良い香りを纏うことができるのだろう...と考える。

自然のどんな場所で時間を過ごしていたのだろう?何をしていたのかな?

しばし彼らの世界を想って愉しくなる。

「スディはネコの美容院に行って来たんだよね。お金はネズミ三匹かな」

「そこでスペシャルなシャンプーで頭洗ってもらったんだね!」

そんな会話を11歳の息子とした。

前々から、ドイツで育つ子供は日本の子供よりもあどけない気がしていたが、やはりそうみたいだ。
夏に奈良の小学校時代の担任の先生も同じように仰られていた。

東京の渋谷のTSUTAYAに行ったときに、フロアー全体が漫画で溢れ、その階が全て漫画コーナーだと知って、彼が実感を込めてしみじみ呟いた一言、

「世界って、ひろいんだねぇ〜...」

世界で最も大きな都市といわれる東京。

ドイツで育っているこの子達にはどの様に映っているのだろうか...とふっと思った。


ドイツと日本を行き来していると、どちらかの現実が夢だったのではないか...と思うのだ。
静かな田舎に体が馴染んでくるに連れ、東京のある世界が非現実に思える。
逆も然りで、日本に帰るとドイツのことはぜーんぶ夢だった気がする。


足元にやって来るネコが不在を埋めるよう甘えてくれると、彼等の重さと温もりに自分の重心を感じ気付かされる。

“私はまたこちらの世界にいるのだ”

...と。

ネコが連れて帰ってくれるのかも知れない。

自由で夢の様な世界に住む不思議な生き物のいるこの現実に。

レッドタビーのメインクーン
家猫最大種だが気性は穏やかで
“ジェントル・ジャイアント”の異名がある
ずっと抱いて匂いを嗅いでいたいけど
重くって無理だよ
庭の花梨が大きく実り始めた
秋になったら、また今年も花梨のジャムを作ろうか

自分を何処かに繋ぎ留めるには、
その地で採れたものを料理する時間が良いと
分かるようになってきた

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