親として、自分自身として。
昨晩、元夫のDと話し合いをした。
詳細は割愛するが、生活に密着した話で本当なら昨年のうちに話しておかないといけない類のものだったのだが、話し合い嫌さに何かと理由をつけて延ばし延ばしになっていた。
今年だってうかうかしていたら時は駆け足で過ぎ去って行く。精神衛生上ちゃんと話した方がいい。
1時間以上に渡った話し合いで、ヒートアップして大きな声も出てしまったので彼が帰った後、心配顔の娘(14歳)が部屋に入って来て私に尋ねた。
「母上、大丈夫〜?」
(注:漫画とアニメ好きな娘は数年前にママ→
お母さん→母上、と呼び方をアップグレードさせた)
私はと言えば、自分の部屋から彼の気配を消したくて浄化アイテムであるセージの葉とお香をモクモク焚いている...最中で、「別に大丈夫だよ」と努めて平気なフリを装った。
家庭内で一番事情を知っている娘は、この話し合いのことを知りたそうにしているので手短に説明すると、
「この状況はパパがどうしたって悪いんだからさぁ」
と初めてハッキリ父親を非難する発言をしたので驚いた。過去に経緯を話した時は無言だったし、好きなパパのことを否定的に話すことはしたくなさそうだった。
夫婦間での修羅場が始まった時から一貫して子供には事情を話さない、なるべく笑顔でいようと決めていたし、今まで父親の悪口的なことは極力言わない様にして来た。
子供達を巻き込むことは長い目で見ても悪影響しかないし、彼等にとっては唯一無二の父親である。そう思えば、たとえそれが難しい時にも自分で課したこの約束は守り通した。
「母上、あの漫画家の人みたいにならないよね?」
と冗談っぽくも少し不安気な様子で言う娘の言葉に二度びっくりした。
ニュースで知ったある漫画家の訃報を、数日前に娘に話したところだった。
その漫画家さんの描いた漫画を数年前に娘にプレゼントし、私も珍しく全巻読んでいたのでこの訃報は衝撃だった。
「母上、みんなが大きくなったら日本に帰ればいいよ。私も日本に行きたいなぁー。」
娘は今年か来年に日本への留学を希望している。こちらは10年生か11年生の年に半年間の留学であれば帰国後、留年することなく元のクラスに戻れるシステムになっている。
「私はね、あなた達が大きくなったらアフリカへ行くよ。死ぬ時は呼ぶからアフリカまで来てね」
「えっ?!アフリカで死ぬの?死ぬなんて言わないでよ!」
「それはずっと先ね。お婆さんになるまで看護師と助産師として働いて、死んだら大きな木の下に埋めてくれたらいいから!」
「そんな先か...そしたらもう私にも孫ができてるかもね?」
「そうそう。だったら私の曾孫だね。私は曾孫を見れるチャンスはあるけど、パパは絶対無いね!」
二人でウッシシ...と笑い合った。
◇
遠い、遠い、先の話。
それは実現するかどうか考えなくても良い夢の中のような話。
それでもいつか遥か先でこの話を二人、別々の場所で思い出す日もあるかも知れない。
親子が一緒に暮らす時間は長いようで短い。
私が親と暮らしたのは18年、その後すでに長い長い時間が経っている。
未だに自分が三人もの子の親だと信じられない。母親然として子供の目に映りながら、いつまでも信じられないままに、いつかこの生活が夢だったように感じる日が訪れるのだろう。
私をこの国に運んだものはアフリカへの夢だった。その夢は10歳の頃から変わらず、永遠の恋人を想うみたいに私の心の中にある。
自分がなぜこれほどアフリカへ惹かれるのかは分からない。それでも変わらない想いを持てること、それは私にとって紛れもない幸福だと感じる。
夢の先にあったこの国に、覚悟して来た時に思い描いた姿とはずいぶん違うけれど、そんなことはお構いなしに人生は進んで行く。
娘にとって“父親が悪い”と思うような環境が将来にどう影響するのか不安を感じることもある。
彼女が大きくなって人を好きになるときに、それを恐れたり、結婚へのイメージが損なわれないだろうか...?
今考えても仕方ないことだとは思うけれど、ギュッと抱きしめて “こんな風でごめんね” って謝った。なにがどうなってこうなっちゃったのか、どこから間違ってしまったのかもう分からないし、後戻りもできない。
ただ母として子には申しわけなかったと思う。
時の狭間に溺れてしまわないように、見失ってしまわないように...ゆっくり今できることをやって行こう。
そう...一つずつだ。
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