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#Day092 日々の生きづらさ〜圧倒的マジョリティ向け社会〜

この社会は圧倒的にマジョリティのために作られている。

そう感じることが、大学生の時にメンタル疾患に罹ってから多くなった気がする。

満員電車に毎日揺られること前提だし、授業や仕事は朝早くから始まるし、校舎やオフィスのバリアフリー化なんて不完全だと思うし、評価の基準も心身ともに健康な人に合わせられている。

メンタル疾患を抱えながら“普通”に働くことが難しいと思い、意を決して会社を辞めたけれど、メンタル疾患には働き口がない。

あったとしても、簡単な事務作業を押し付けられる仕事ばかりだし、給与は安いし、都心まで満員電車で通勤、は変わらない。

これでも昭和、平成ときて、だいぶ改善されてきているはずだ。

それでも拭えない生きづらさ。

それは教室に入ったら自分の椅子がないかのような感覚だ。

マイノリティの存在が徐々に明るみに出てきているためか、マジョリティたちの教室には入れてもらえるが、そこにはマイノリティの机と椅子がない。

これはメンタルだけでなく、様々なマイノリティにも当てはまるだろう。

そして、最近唇を噛む思いをしているのが「障害年金」について。

なんと、申請から受給まで約半年かかるらしい。

弱者であり、毎月の生活費を捻出するのも必死の思いで生活しているのに、そんなに待たされるのか…と落胆してしまった。

マジョリティからしてみれば、マイノリティは蚊帳の外なのかもしれない。

ただし、それを「多様性だ」の一言でまとめたくはない。

「そうそう、こういうのも“多様性”なんでしょう?」と軽く使われてしまう恐れがあるから。

実際「LGBT」という言葉が広まった現在、「君もその“LGBT”なんでしょ」と「LGBT」で一括りにされ、理解しているように見せかける万能な言葉になってきてしまっている感がある。

なので、僕のできることと言えば、生きづらさを抱えている人の体験記を残していくこと。そして、マジョリティの世界の中で、わずかな隙間を見つけて生きていくことだと思う。

それでは、今回はこの辺で。

自分の生み出したもので生きていきたい。幼い頃からそう想って今も生きています。これからも創ることが喜びでいられるように、いただいたお金を使おうと思います。