うつ状態でも仕事頑張ってる人へ
「僕が休んでしまったら、他の人に迷惑をかけてしまう」
「仕事がしんどいから休むなんて甘えてる」
そんなふうに思って、僕は休日でもずーっと仕事のことを考えていました。
気になりすぎるとじっとしていられず、休日でも夜でも職場に足を運んでいました。
結果を出さなければならない!
手本を示さなければならない!
認められなければならない!
僕が支えているんだ!
そんなふうに自分を奮い立たせて…
僕はいったい誰のためにがんばっていたんでしょう?
会社のためだったんでしょうか?
お客さんのためだったんでしょうか?
社会のためだったんでしょうか?
家族のためだったんでしょうか?
今となっては、よくわかりません。
目に見えない「責任感」という勲章だけを引っ提げて、ただひたすらに誰のためか明確にわからず、がんばっていました。
やがて…
泣いたり、喜んだりする感情が、あまり理性でコントロールできなくなってきたときに、
「あれ?これちょっとヤバいかも」
と思うようになりましたが、「休もう」などとは思いませんでしたし、休んだら余計にしんどくなると思っていました。
なにせ、支えているものは「責任感」でしたから。
その責任を放棄すれば、後に残るのは「罪悪感」だけなんです。
みなさんのなかにも、こう思う方、いると思います。
簡単には休めないよ…
ましてや、会社の中で責任のある立場なら尚更だよ…
分かります。
めっちゃわかります!
でももし、あなたが肝硬変だったとしたら?
劇症肝炎だったら?
肺炎だったら?
ガンだったら?
コロナ感染症だったら?
38度以上の発熱があったら?
そんな状態で仕事をする人をだれも「カッコええなぁ」とか「頑張ってるなぁ」とは言ってくれませんよ。
心がしんどいのも病気なんです。
病気は休むべきなんです。
休むと、初めは激しい罪悪感に苛まれます。
最初の1か月は地獄かもしれません。
でもね。
僕はその時、気づいたんです。
「自分がいなくても会社まわってるんやな」 って。
僕は本気で自分がいないとまわらないと思っていました。
自分一人で会社を支えてるんだと思っていました。
いなくても大丈夫なんや…
次に思ったのは、寂しさ
もしかして、僕は必要ない人間?
僕は独りよがりをずっとしていて、結局僕なんかいなくても会社はやっていけている…
僕は必要な人間じゃなかったんだ…
僕はダメ人間だ。
メンタルでリタイヤした弱い人間だ。
自己否定が始まる…
これが2か月目のフェーズでした。
やがて…
第3フェーズ
人間は時間とともに”記憶”が薄らいでいくものなんですね。
あれだけしんどかった心境の記憶が薄らいでいくのが自覚できるんです。
ただし、会社に近づくことができません。
毎朝の勤務ルートを車で走るだけでも心がザワザワしましたね。
完全に職場から離れた生活をしていると、思考に広がりを感じることができてきます。
そして…
「仕事だけが人生のすべてじゃない…」
ということを少しづつ気づくようになってきました。
人生の選択肢に気づくフェーズです。
僕はそもそも何がやりたかったんだっけ?
僕の若かりし頃の夢ってなんだっけ?
僕は今、なんのために働いているんだっけ?
こうしたことを考えるようになり、せっかく考えた自分の思考を忘れたくないと思うようになりました。
そこで、このころから、自分が思ったこと、考えていたことなど、心の声を言語化し、文字にするこをはじめました。
文字にすると、頭の中が整理され、思考がアーカイブされる気がしたんです。
当時は、ワードでPCに保存していってて、他人に公開はしていませんでしたが、今のブログの継続はその延長線上です。
書き始めたころと、ずいぶんとものの見方や考え方、思想までもが変化してきているのがわかります。
これまさに「わが成長の記録」になっています。
このころには、もはやしんどかった気持ちは消えていました。
そっか、
精神科の先生が、初診の時に
「しばらく休んだら、今の気分が嘘みたいにラクになりますよ」
って言ったのを聞いたとき、
”ぜったい、そんなわけない!”
って、マジで思いました。
でも、正しかった。
ストレッサーを排除して、休息すれば確実に良くなるって実感できました。
だからみなさん…
「うつ」や「適応障害」「不安症」の症状があるならば、
休みましょう。
休めないのなら休まないで、投薬しながら治療していきましょう…という精神科医がたまにいます。
はっきり言います。
治りません!
休めば絶対によくなります。でもそれにも時が必要です。
まだまだメンタルの病気は理解されていない。
軽く考えないでください。
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