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私たちは妊娠している

ある日、夫がこのBlog面白いよ!と、あるBlogを勧めてくれた。

それは、学びの仲間であるアースカンパニーのTomoさんと奥さまが綴られているこちらのBlog。

その中のVol.4の記事の中にある、この言葉を興奮気味に語ってくれた。

“My wife is pregnant”ではなく、“We are pregnant”と言うべし!

とますか日記より

【"私の妻は妊娠している"ではなく"我々は夫婦として妊娠している"と言うべし!】

この言葉を聞いて、まず思ったのは…

「当たり前だよーー!」だった。

しかし、冷静になってみると、これは全くもって当たり前ではない感覚なのだとも思った。

私は、"夫婦や家族として「妊娠」がある" "そうあってほしい!"と思っているけれど、相手はそうではないこともある。
(少なくとも前の結婚では、この認識はズレていた)

第一子の妊娠出産時は、どこか"それは女の役割"である、さらには"他人事"と思われているような感覚さえあった。

妊娠を振り返ってみたいと思う。


想い出の一枚

初めての妊娠

私が娘(長女)を出産したのは、29歳の時である。

当時、私は前の夫と結婚をしていたものの、夫婦仲には課題があった。

これからなんとか関係性を修復していけるかどうかの狭間というタイミングで妊娠が判明した。

妊娠検査薬で陽性反応が出たタイミングで彼に伝えたところ、このようなコメントが返ってきた。

「え?俺の子?」

まず、この言葉を聞いて唖然とした。不倫の事実も疑いも無い中で、何故この発言が出るのかが、私には理解出来なかった。

さらに元夫から「あなたが妊娠出産したら稼げなくなり、生活していけなくなると思うから堕胎するのが現実的なのではないかな」という発言まで飛び出した。(当時、私は大黒柱だった)

うーむ…。

元夫には全く悪気はなく、ただ本音を言っただけなのだが、想定を超える展開に私は絶望・脱力した。この世界観・環境で、妊娠を継続することは、まずは"危険"であると感じた。
(元夫の発言に関しては色々思うところがあるが、世の中にはそういうタイプの人もいるという勉強になった)

悲しい気持ちとやるせない気持ちの中1人でマタニティクリニックに向かった。

正常かつ順調な妊娠であることを確認してもらい、先生から「おめでとうございます!」と言われた時、言葉に詰まった。

様子のおかしい私に先生が色々と声をかけてくれたように記憶している。具体的にどのようなやりとりだったのかは覚えていないのだけれど、先生の関わりのおかげで、「私は堕胎したくない」と思っていることに気づいた。

夫婦仲に課題があり、妊娠出産に適さない世界観と環境がある中でも、不思議な事に私はこの妊娠が嬉しかった。

私を取り巻く環境は絶望的ではあったのだが、小さな命を大切にしたい想いはとても強いものだった。

色々考えを巡らせた結果、私は離婚をしてシングルマザーとして生きていくことを決めた。

この決断に至るには、背景がある。
もともと夫婦仲の課題の中核にあったのは、元夫によるモラハラDVであった。具体的な内容を記すことは控えるが、キーワード検索していただくと出てくる内容のようなことが家庭内で起こっていた。

離婚という意思決定に至るまで、私なりに課題と全力で向き合い、稚拙ながら出来ることは可能な限り実践した。

そのタイミングでの妊娠だった。

離婚という決断は、私にとっても(元夫にとっても)痛みのあることだったが、同時に、私にとって譲れないものを明確にしてくれたキッカケにもなった。

・私はお腹の子の命を尊重したい
・私が元夫の人生を背負い続けることは、お互いのためにならない
・私も元夫も各々の人生のハンドルを握り直すタイミングにきている

妊娠が後押ししてくれた大切な選択

※離婚後、心の勉強をして理解したことだが、モラハラDVは非常に根深い問題で、当事者だけで解決することは難しい。
特に、加害者は自覚が無いことがほとんどであるため、向き合う際は被害者の負担が大きくなる。
また、専門家の力を借りたとしても改善には長い時間を要する。

温かい家庭

私はもともと、自分は子どもを産まない方が良いタイプの人間であると考えていた。

まず、地球環境の不安定さや教育システムに対する疑問、そして自分自身の未熟さを感じていたことから、このような感覚を持っている自分には子育ては向かないと判断していたのだった。

しかし、私は妊娠をして変化した。

産む・産まない理由とか、自信がある・ないとか、そのようなことではなく、それを超越した"生命の流れ"のようなものを感じたのだ。

命が【もの】として扱われる世界ではなく、どんな命も【かけがえのないもの】として尊重される世界があるはず。

社会適応のために夢中で走った20代。私は社会・世間・他者から認められるコツを掴み、自力で生き抜いていく力を養うことが出来たように思っていた。

しかし、子どもを産み、育てていくにあたり、それまで培ってきたビジネスセンスやスキルは1mmも役に立たないことがわかった。

私は子どもを「温かい家庭」で育てたいという想いを持っていたのだが、 ”ビジネス” と違い、何をどうすれば良いのかが感覚的に全くわからなかった。

まず、ロールモデルが…ない。

「温かい家庭」はHowの話ではないのであった。

「温かい家庭プロジェクト」をぶち上げ、前例を洗い出し、タスクとプロセスを整理し、戦略的にゴールに向かうという世界観では、まったくもって創造できない世界。

これは、100%自分のあり方の話であると同時に、ハートの話であり、私一人ではどうしようもないテーマでもあった。

私は当時 ”我々は夫婦として妊娠している”とか”我々は家族として妊娠している”とは対極にある場所 ”孤独” の中にいたように思う。

「温かい家庭」は非常に難しいテーマだが、生まれてくる命のためにも、真摯に向き合いたいと思った。

家族は見えないシステムでつながっている

戦場のような道

第一子を妊娠中、働くことが出来ない私は、自分の貯金を切り崩したり、投資をしたりして家庭を回していた。

私が妊娠を継続することを決めたことで、元夫との関係性はさらに悪化した。

私の実家に状況を相談してみたものの、共感をしてもらえる雰囲気ではなかった。

私の抱えていた問題が複雑すぎて、友達にも相談することも出来ず、悶々とする日々が続いた。

鬱々と思考を巡らせながら1人でいると、お腹の中の赤ちゃんに対して、申し訳ない気持ちが溢れた。

母親である私が、こんなにストレスを感じていて…あなたに影響がないわけないよね。お腹の中が、居心地が悪かったらごめんね…。

私が自己犠牲的に生きれば、多分、元夫も元義理の両親も、私の実家も、私以外のみんながハッピー。

私が稼いで、元夫の夢を叶えて、良い嫁を演じて、期待に応えるような親孝行をして、空気を読んで皆のご機嫌をとって…死んでいく。
これが私の人生?

それが”女”の正しい生き方なのだと、結婚前に諭され、疑問を抱きつつも全力で実践してみたが、やはりこんな人生は嫌だと思った。

自分を大切にして生きること、お腹の赤ちゃんの命を尊重することは「傲慢」「ワガママ」「自分勝手」なのだろうか。

社会適応、環境に過剰適応し過ぎた私は、そのフェーズから抜け出すことの難しさを痛感した。

それまでの生き方を横に置き、自分の信じる道を歩むことは、それまでの仲間たちから「裏切り者」と呼ばれライフル銃を構えられる中、身一つで前進するような感覚であった。

そんな中、娘は生まれた。
妊娠中、過酷な環境であったにもかかわらず、娘は元気いっぱいに輝いていた。

色々あるけれど、自分も娘も健康。
それまでの人間関係もお金も何もかも全部なくなってしまう感じがしたけれど、健康だけはある。

それだけで、十分ありがたいなと思った。

戦場のような環境に身を置いてみると、自然と【平和の祈り】のようなものが内に芽生えてくる。

もし、願いが叶うなら、ハートのあるパートナーと温かい家庭で娘を育てたい。
さらに、もし叶うのなら、いつか安心して穏やかな状態で妊娠期間を過ごしてみたい。

しかし、それは当時の私にとっては夢物語。早々に不可能なことと諦め、私はシングルマザーとしての人生をスタートさせた。

新しい家族

シングルマザーとして歩んだ10年は、想像以上に楽しかった。
大変なこともたくさんあったが、人生前半戦がハードすぎて、それと比べると随分と幸せなものだった。

そんなある日、突然家族が増えた。

仕事でミーティングをしていた際、海外にいる同僚(今の夫)から「帰国の際、コロナの対策のため自主隔離できる場所を見つける必要があるのだが、なかなか場所が見つからない」という話を聞いた。

我が家は一軒家であり、部屋が余っていたことと、信頼できる同僚であったこと、私自身がコロナに対して過剰に気にするタイプでもなかったことから「もしよかったら、どうぞ」と特に何も考えずに彼に伝えた。

その後、彼は帰国し、本当に我が家に来た。

娘には「同僚が一時的に滞在するからね〜」と海外留学生を迎え入れるようなノリで説明し、バタバタと3人での暮らしが始まった。

当時、私は子育てと仕事に100%リソースを割いており、同僚(現夫)に対して特別な感情はなかった。

しかし、一緒に暮らしてみると、一時的な滞在とはいえ仕事以外の話をする時間が沢山あった。

自然とお互いの話をするようになっていき、職業柄学びの領域も近く専門的な話も通じやすく、色々と共通点も多く、気がつけば…同僚から家族になっていた。笑

流産してしまった子がまだお腹にいた時期の奇跡的な家族ショット

しかし、私たちは、すぐに家族になっていったわけではなく、沢山の葛藤と衝突を繰り返しながら、それでもお互いに「何だか大切な存在だね」と感じあえる関係性が自然と出来上がっていった。

そのプロセスの中で、自然妊娠があり、流産があった。そのことで家族の絆がグッと深まっていった。

流産してしまったものの、娘が意外にも妊娠を喜んでくれていたのが嬉しかった。私と娘の中にあった潜在的かつ無意識的な【男性への諦め】も、彼と過ごす中で、少しずつ変化していった。

また、彼が持っていた個人的なテーマも、私と娘との生活を通して涵養されていったように思う。

家族になろうと思ってもなれなくて、目の前の人のことを大切にしていたら、自然と家族になっていた。そんな感覚。

ステップファミリーには課題も沢山あるけれど、今思い返すと、大変だったことも懐かしく愛しい。

不妊治療

そう。

ステップファミリーには課題が沢山ある。

厳密に言うと、ステップファミリーだからというだけではなく、私と今の夫には共通の課題があった。

それが影響して、一緒に暮らし始めてからの2年間、様々なトラブルが私たちを襲った。

我々夫婦の共通のテーマ。
それは【家族】だ。

家族連鎖といって、それぞれの家系から無意識に引っ張ってきている課題があるという考え方がある。

我々はまさに、その家族連鎖をお互いに今の家庭に無自覚に持ち込んだ。

家族連鎖があること、それを持ち込むこと自体に良い・悪いはない。
ポイントは、それとどう向き合うかだ。

それに向き合わない限り、不本意な現実が繰り返し起こるというパターンにハマる。

我々夫婦はプロの対人支援者でありながら、その不本意な現実が繰り返し起こるパターンに見事に綺麗にずっぽりとハマった。

私は心理学の知識があったのと、前の結婚からの学びで半分ほど自覚的にハマった部分があったが、彼の方は訳の分からないままハマった感じだったと思う。

その結果、お互いに尋常ではないレベルでストレスを感じ、2人とも具合が悪くなった。

結婚は最高のシャドウワークと言われるが、改めてそうだ…と思った。

誤解のないように記しておきたいのだが、夫婦のベースには愛と信頼がある。
さらに、お互いにある程度成熟した大人であり、スマートなコミュニケーションはとれている状態で、対話をする意思も能力もある。

しかし、気がつくと【言動の不一致】【推測による認知の歪み】【お互いに矛先を向ける】などという現象が起こった。
(まさにシャドウ案件!)

職業柄、当事者として家族連鎖や大きなシャドウを体験することは学びになるしリソースにもなり素晴らしいことなのだが、ガチテーマであるだけに本気で向き合うと冗談抜きで満身創痍になる…

私はその影響で婦人科系の不調が出てしまい、念のためと思い病院に行った。

気軽に受診したつもりであったが、私の身体は想像以上にダメージを受けていたことが判明した。

「もし、子どもを望んでいるのだとしたら、現状で妊娠できる可能性はゼロに近いです…。一刻も早く治療を…」

病院でそう告げられた時、色々なことが頭をよぎった。

私は子どもが産めないかもしれない。彼は私と別れて、別の人と一緒になった方が良いのではなかろうか。

家族連鎖と向き合うことにも疲れ、体調も崩し、満身創痍な中、彼に自分の上記の気持ちを伝えてみた。

すると、彼からはっきりと怒りの表明があり「子どもができる・できないの可能性は重要ではない。我々はパートナーでしょう?」「一番大切なのは、そこでしょう!?」と問われ、自分の中でハッとした。

そうだ。
お互いにパートナーとして存在しているということが、我々の人生において大切にしたいことなのだ。

大事なことだね!

「2人の子ども」というテーマについて、何もしない選択をすることも出来たけれど、不妊治療というものにチャレンジしてみようと思った。

不妊治療を開始してみると、検査やらデータやら基礎体温の計測や排卵日のチェックやら、さまざまなことに気を配る日々が始まった。

さらに、受診する度に、胸をグサっと刺されるようなフィードバック!

詳細は忘れてしまったが、私はありとあらゆる検査で、あまり良くない結果が出た。
また、先生が早口で診断結果を伝えるものだから、何がどのように良くないのかを理解するのも大変だった。
(理解出来たところで無力なのだが…)

受診する度にホルモン注射を打たれ、その度に身体の感覚が鈍くなるのを感じ、徐々に「このまま続けるの、しんどいなぁ」という気持ちになった。

私の仕事(コーチングや組織開発)は感覚が商売道具としては欠かせない要素。不妊治療により、その感覚が鈍っていくような気がして危機感を感じた。

そして、不妊治療を開始したタイミングで彼の出張頻度が爆上がりしたこともあり、3ヶ月間の治療を経て「やめた方がいい」という結論に至った。

シンプルに治療が【私には合わない】と思った。
私のリソースである感覚が鈍っていくことに抵抗を感じたことと、排卵サイクルを気にしながら出張スケジュールを組むことも、とてもストレスのかかることだった。

「治療をやめたいと思っている」

彼に伝えた際、私の想いを尊重してくれ、ホッとした。
短いチャレンジだったけれど、体験出来て良かったなと思う。やってみてわかったことが沢山あった。

不妊治療が大変だったという話はちらほら聞いたことがあったが、聞くのと体験するのでは雲泥の差である。

リズムを取り戻す

不妊治療をやめた時、自然と「2人の子ども」というテーマも手放せた感覚があった。

再婚して、私と彼と娘と共に新しい人生を創造していくフェーズだったこともあり、改めて【私たちはどう生きるか】に向き合うことのプライオリティを上げた。

私は、不妊治療の影響で感覚が鈍ってしまった気がしていたので、環境や食事などに気を配り、自分自身が喜ぶ選択をするよう心がけた。

彼は、これまでの経験を生かしつつ、さらに可能性を広げるため新しい領域にチャレンジした。

そして、夫婦セラピーを受け始めた。自分たちでは言語化が難しい事象をテーマに根気よく受け続けた。ディープなテーマを扱うのだが、毎度毎度のセラピーの時間がすごく楽しかった。

お互いに毎回痛いところに気づくのだが、それが、なんだかよかった。お互いにプロの対人支援者なのに、当事者となると本質を突けない部分があるのだ。そんな時、第三者の関わりは非常に助けになる。

そして、お互いのリズムが整い、仕事の流れもいい感じになり「さあ、いよいよ仕事に対してアクセル踏むか〜🚗」と意気込んでいた中、なんと妊娠していることが判明した。

仕事に対してアクセルを踏み込もうとしても、なんだかムカムカして集中力も散漫になり、なぜか「グッ」と行けない。

妊娠検査薬の陽性反応を見て、納得した。
同時に、あんなに妊娠の可能性は低いって言われていたのに…!と驚いた。改めて、人智を超えた生命の流れを感じた。

1年前に流産していることもあったので、嬉しいけれど、ドキドキする部分もあった。

私たちは妊娠している

1日1日が愛しい

妊婦検診はなるべく夫婦一緒に。
土曜日は娘も一緒に。
お腹の中のベイビーの成長を皆で見守った。

我々夫婦の仕事は半年先、1年先までスケジュールが埋まることは珍しくない。不妊治療をやめたタイミングで、思い切りスケジュールを開放して仕事モードになったため、妊娠初期から後期にかけて「激務」な状態になってしまった。

特に妊娠初期~中期にかけては、尋常じゃないほど仕事をしてしまった。出張も行きまくった。

そんな中、隙間時間を縫って「ベイビーが生まれたらどうしようね?」と相談しながら、家の中を整理したり、仕事についての話をした。
そのプロセスの中で、私は ”私たちは夫婦として妊娠と向き合っている”ことを感じた。

この時間は私がかつて絶望のどん底にいた際に夢見たものだった。
それに気づくと、なんとも言えず幸せな気持ちになった。

妊娠に限らず、夫婦・チーム・グループで何かに取り組むとき「私たち」と言えるかどうかは本当に大切だと思う。

”私の妻は妊娠しているが、私は違います”
”私の仲間は○○を担当していますが、私は違います”

そういう世界観は、なんだか寂しい。

今は、健康で良質な父性・母性とは何かが探求テーマ。
性別に関係なく、誰の中にもある「父性と母性」を健康的な形で発揮していくことがとても大切であるような気がする。

今、妊娠9か月の後半に入り、いよいよという感じになってきている。2度目の出産だからか、41歳という年齢のおかげなのか、余裕をもってこの妊娠期間を楽しむことができている。

学びが多すぎて、書きたいことが沢山あるのだが、産休を前に仕事が山のように積みあがっておりnoteにリソースが割けない。

家族3人の時間も、あと少し。
楽しんでいきたい。

うっかり長文になってしまった。
これにて、この話はおしまい!



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