オリジナル掌編小説「スーツ」

昨年、あるプロの作家さんに添削していただける、という機会に書いたショートショートです。有難いことに、その他の応募作の中から、優秀賞を頂くことができました。
「スーツ」「仕事」「貯金」という3つの課題に沿って書いたものです。
短い掌編小説なので、すぐに読めると思います。
自粛生活のお供として、暇つぶしがてらに読んでみてください!


『山崎、お前本当に来られないのか』
「申し訳ないです」
『もう少し考えてくれても良いんじゃねぇか』
「すいません、多田さん。本当に、外せないんです」
『チッ……俺は今日帰れるか分かんねんだぞ――』
 電話は、相手のささやかな恨み節と共に切れた。折角の休日だというのに、緊急で呼び出されたのだが、まあ勘弁して頂くしかない。夕陽が沈みそうな時間だというのに、今から四十キロ先の現場まで行くのは体力的にも精神的にも無理だ。
 勿論、普段ならば緊急の仕事が入ったら際には、休日を返上してでも現場に向かうだろう。現にこれまで同じような事案が何度も発生しており、俺はその度に職場へと走った。
 勤続五年。これまで上司や仲間から信用を勝ち取り、頼りにされるような働きをしてきた。仕事にはやりがいを感じていて、今も本当だったらすぐにでも駆け付けたい。俺が居ないことで困っている人も沢山居るだろう。
 しかし、お生憎様だが俺にはこれから大事な予定がある。絶対に外せない大事な用事だ。
 ネットで買った商品が、宅配便が届くのである。
 そんな事かと思うなかれ。俺がこの荷物を、仕事を放ってまで待っているのには、ちゃんとした理由がある。
 本来、荷物が届くのは本当は一昨日だったのだ。
 しかし、一昨日はうっかりお届け時間を昼間に設定してしまい、仕事で受け取れなかった。そして昨日、早番だった俺は、再配達を確実に自分が家にいるであろう、比較的遅い時間に設定して頼んでおいた。だが、片付けなければいけない相手が中々に手強く、終業時間が大幅に遅れたために、またもマンションの郵便受けに不在票が入れられていた。
 宅配便が荷物を預かってくれる期間は決まっているし、そう何度も配達させては宅配便の人にも申し訳ない。
 兎にも角にも、俺は今日その荷物を受け取ると決めたのだ。天変地異が起きようが、テロが起きようが、街を大怪獣が襲おうが、俺はここで荷物を受け取る。
 そう固く決意をすると、俺は多少の罪悪感が残留しているスマートフォンを、ソファの上に投げ置いた。
 惰性でテレビを付けると、ニュース番組のキャスターがやけに深刻な顔で、忙しなく原稿を読み上げていた。
『……は、未だ勢いを留める事無く、北上を続けていま――』
 俺は容赦なくリモコンの入力切替を押し、録り貯めておいた深夜アニメをつけた。
 最近よくあるヒーローものだ。テレビの番組は良くも悪くも、今の世相を表している。昨今の不穏な情勢の中、人々はヒーローを求めているのだ。しかし、現実にアニメのようなヒーローは居らず、居るのはピンチをほっぽりだして家で宅配便を待っているケチな男だ。
 子どもの頃に憧れた、本物のヒーローとやらになるのは、アニメの展開ほど簡単じゃない。
 しばらくアニメを見ていると、スマホに通知が来た。
 宅配便のお知らせだ。もうすぐ来るらしい。
 今思えば、本当に思い切った買い物だった、とつくづく思う。俺はこれから届くはずの荷物に、思いを馳せた。
 事の始まりは半年前。大きな仕事を終えた後、同僚と話していた時の事だ。
「お前のスーツ、もうボロボロだな」
 同僚の何気ない一言、俺は自分の着ていたスーツを見た。確かに、仕事で各地を駆けずり回り、数多の戦場を一緒に潜り抜けてきた俺の戦闘服は、事あるごとに直しながら騙しだまし着てはいたが、五年間の酷使により各所がボロボロになっていた。
「早く買い替えた方が良いぞ。相手になめられる」
 言い分は尤もだと思ったが、俺は正直気乗りしなかった。このスーツは、自分への就職祝いとして、当時の最新モデルを背伸びして買ったものだ。しかも、五年物間一緒に戦ってきたスーツなので、言い表せないほどの愛着があった。
「良いんだよ、別に困ってないし」
「ボーナス出たんだろ? 思い切って買っちゃえよ。今、良いの出てるみたいだぜ」
 確かに、人類の技術の向上は目覚ましく、五年前よりもスーツの質は信じられないほど上がっている。しかし、仕事に必要なのはスーツの出来ではなく、その人の能力だ。外側だけが良くても、どうしようもない。
 と、同僚を相手に言い訳を並べつつも、頭の奥では自分の欲望が買えと訴えていた。
 五年と言う歳月は人間の体型を変えるのに十分すぎるほどの時間で、最近になってまた体重が増えてきた俺の体に、ただでさえ痛んできているスーツが悲鳴を上げていたのだ。どう繕っても、限界が来ているのは目に見えていた。
 結局その同僚に言い負かされる形で、新しいスーツの購入を決めた。
 どうせなら一番良い物をと思い、貯金の半分を費やして最新式のスーツを注文した。完全オーダーメイドで、この世に一つしかない自分専用のスーツ。届くのが楽しみで仕方がない。
 俺はアニメのヒーローを見ながら、子どもの様にワクワクしていた。
 再びスマホが鳴る。 
 宅配便が来たのかと覗いてみると、上司からのメッセージが来ていた。いよいよ手が足りないから、どうにか来てくれないだろうかという事だった。
 わざわざ位置情報も添付されているが、ここから二十キロも離れた場所だ。今から行って、宅配便が来るまでに帰ってくるのは、いくらなんでも不可能だろう。心苦しいが、改めて断りのメッセージを入れる。既読は付かなかった。
 間を置かず電話の着信が来た。今度は上司からではなく、会社に居るオペレーターからだ。
「もしもし」
『あ、山崎さん。良かった、繋がった』
 安堵した声が受話器越しに聞こえる。
「どうしたの、美緒ちゃん」
『折角の休日に電話してすいません。今、人が足りてなくて、現場に出てもらう事って出来ませんか? ご自宅から、五キロほどの所なんですけど』
 やっぱりか。恐る恐る聞いてくる彼女の声に、心の中で舌打ちをした。
「申し訳ないけど、これから外せない用事があるんだ。多田さんにも言ったんだけど」
『ですよね、すいません……』
 言葉を探しているのか、受話器の向こうに沈黙が落ちる。まだ引き下がる気は無いらしい。上に何か言われているんだろう。
「……そんなヤバいの?」
『そうなんですよ。今日居る人はほぼ全員行ってもらってるんですけど、とてもじゃないですけど間に合わないというか』
「他の奴には連絡したの?」
『はい、もう何人か行ってもらってます。でも……』
「でも?」
『や、山崎さんじゃないと、手に負えないと思って』
「いや、俺が居て何か変わるようなもんじゃないでしょ」
『でも、山崎さんが一番優秀ですし』
「皆優秀だよ。それに、今俺スーツ持ってないんだ」
 古いスーツは今日の朝に下取りに出してしまって、手元には無い。流石にスーツ無しで仕事に行くのは出来ない。
『会社のスーツは貸せますけど』
「無理無理、入んないって」
『そうですか』
「申し訳ないけど、どうにか頑張ってよ」
『はい……すいませんでした。あの、休みなのに電話してしまって』
「いや、全然。じゃあね」
 電話を切ると、罪悪感が湧き上がってくる。
 テレビにはヒーローが敵にヒロインを人質に取られ、ピンチに陥っていた。敵は強大で、流石のヒーローも手も足も出ない。そのまま次回予告に入ってしまった。録り貯めしていたのも全て消化してしまったので、続きが見られるのはまた来週だ。でも大丈夫、この後彼は大逆転を果たし、ハッピーエンドを迎えるはずだ。古今東西、ほとんどのヒーローは最後に立ち上がり、敵を倒す。
 しかしそれはあくまで物語の中だけの話。現実はそう簡単に上手く行かない。
 俺はビデオの電源を切り、テレビの入力切替を押した。まだニュースは騒がしい。名前も知らないコメンテーターが、深刻な顔をしたアナウンサーに何やら話している。
『もう首都圏に入ってますから、このまま何も対処出来ないとなると、被害は計り知れません』
『はあ、では我々はどうしたらいいですか?』
『そうですね。進行経路にお住いの皆さんは、すぐに避難場所に行くことをお勧めします。今も進むスピードを増しているわけですから、避難指示が出ていない地域でも、自分の判断で早め早めの避難をする必要があると思います』
『はい、ありがとうございます。追って最新情報をお届けします――』
 ピンポーン
 インターホンが鳴った。
「はい」
『宅配でーす』
「はい、上がってください」
 荷物を持って二十階建てマンションの最上階まで上がってくるのは、さぞかし大変だろう。俺は玄関の鍵を開けて待つ。
 しばらくすると、青いボーダーのTシャツを着たお兄さんが重そうな荷物を持ってきた。
「山崎さんですね」
「はい」
「良かった。もう避難して、もう居ないかと思ってました」
「あれ、もうそんな来てますか」
「ええ、外はもう酷いもんですよ。車と人でぐちゃぐちゃです」
「そうですか、配達ご苦労様です」
「あはは、ありがとうございます。すいません、ここにサインを」
 サインをして、荷物を受け取る。ズシリと重いそれを両手に持った瞬間に、得体の知れない興奮が身体を駆け巡った。これが、これが貯金半分の重みか!
「はい、ありがとうございます。じゃあ」
「あ、お気を付けて」
 俺がそう言うと、お兄さんは会釈を返して去っていった。
 外の様子が気になるが、それよりも今届いた荷物の方が大事だ。もう台風が来ようが、地震が来ようが、怪獣が来ようが俺はこの荷物を開けるぞ。
 まるでクリスマスのプレゼントを開ける子どもの様に、丁寧に梱包された段ボールを開けると、銀色のケースが姿を見せた。ケースを開くと、光沢のある灰色のスーツが顔を見せる。あまりの神々しさに息を呑んだ。
 遠くでけたたましくサイレンが聞こえる。
 スーツを取り出して、手触りを確かめる。明らかに今まで着ていた旧型とは、質感から何からすべてが違う。どうしようもなく心が躍った。
『次の地域にお住いの方は、すぐに指定の避難所に避難してください。○○地区、〇▽地区、△?地区、?□地区……』
 ズシリと重いスーツを取り出し、早速身に着ける。手に持った時はあんなに重かったのに、実際に着てみると驚くほど身体が軽い。我慢できずに、俺は姿見の前に立った。
 家が大きく縦に揺れ、窓枠がガタガタと音を立てる。棚の食器が床に落ちて砕けた。
 灰色の装甲に身を包んだ自分の姿が、部屋の揺れと共に歪んで映っている。
「いいね、とってもクールだ」
 刹那、黒い影が視界を横切ったかと思うと、轟音と共に天井が吹き飛んだ。マンションの屋上が消え去り、綺麗な青い空が見える。瓦礫が部屋に落ちるのに少しイラっとして、犯人を睨みつける。そいつは黒い岩のような皮膚を持ち、俺の身長ほどの牙がギラリとグロテスクに光っている。そいつの巨大な瞳も生意気に俺を睨み返し、耳を劈くような雄叫びを上げた。
 まさか怪獣がこの地域まで到達するとは予想外だった。同僚達では仕留め切れなかったのか。
「丁度いい、性能を試すのに絶好のチャンスだ」
 俺は背中に収納された頭部のギアを装着した。
「パワードスーツ、起動」


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