20240321_対人で上手くいかなかった夜に眠る方法 

  なぜこんな事を書いているかというと、昨日は対人で上手くいかなかったが、寝れたからである。なぜ寝れたのだろうということをこの際だから言語化しておく。僕は、人に相談するという事をめったにしない。自分が納得いく理屈を自分が作らなければ、納得できないめんどくさい性格なのだ。逆に言うと、そのやり方で生きてこれてしまったから、相談をしない面もあるのだと思う。

 昨日の状況としては、対人で上手くいかず、家に帰りながらその出来事を頭の中で反芻し、その事しか考えれなくなった。そして、かなりイラついていたのだと思う。

 まず、家に帰ってきてやったのは、考え事を自分の外に出すという事だ。大きい用紙に、極太のマーカーペンで考えている事を書きなぐった。別に役に立つようなことを書いているのではなくて、相手の事なんて考えずただ一方的な不満を書く。字は別に読むことはないので、もちろん汚い。この描きだす行為の最後の方にさしかかると、自分の思考が偏っている事に気づく。そうなのだ、だいたい自分の思考は被害妄想なのだ。ただ、それが妄想だとしても思考は止まらないので、書いている時点では、納得はしないが書きだすことにしている。紙の余白がなくなると、だいぶスッキリしている。納得いく意見が出てくるというよりかは、言いたい事を吐き出したというスッキリ感だ。あとはそれをグチャグチャにして、ゴミ箱に思いっきり放り投げる。「もうこの事は考えません」という言葉を添えて。まぁ、考えるのだけど。

 次に、スマホアプリのオセロをした。思い出す・反芻という事をするから、それが自分にとって大事な事のように思える。けど、よくよく考えれば本当にどうでもよいことだ。別に、自分の人生最大の汚点になる訳でもないのだし。仮に、今日の出来事が人生を180度変えるのであれば、それは寝ずに気にした方がよいのだろうけど。
 オセロをしたのは、何か別のモノに集中すればいいのではと思い、入れてみた。30分くらいやってみたが、気分は落ち着いた。ただ負ける事が嫌いなので、勝ったときは気分がいいが、その逆はという感じ。けれど、別の事にピントを合わせることで、忘れるというより遠ざけるというのは、よい方法なのだろう。

 次に、風呂に入った。風呂はリラックスタイムになる事が多いが、この日のような時のはあんまり効果はない。少し過敏気味になっているので、些細なことにイライラしてしまう。なんでこんなに天井狭いんだよとか、いつもの我慢している別の部分に怒りが横ずれしてしまうようだ。ただわたしの場合、この負の力が行動を起こす動機(やる気のようなもの)になるので、見た目は良くないが後に効く薬にはなるので、あえてほっておいている。その事が分かっているから、もっと怒れと心のどこかでは思っているのだろう。

 次に、好きな人のラジオを聴きながら本を読んだ。ラジオにしているのは、直接スマホを見ないようにするためだ。見たい気持ちはあるけれど、目が覚醒して寝れなくなるので。あと、こーいう日に無音だと、その空白の部分に思考を埋めようとする(自分の心の声で)をしてしまうので、出来る限り思考が入らないようにラジオや音楽をかける。
 本も、出来る限り情緒が関わらないようなものを選ぶ。また、文章を口に出して、音読する。なんとなく、思考より行動が優先されるのではないかと思っているので、そのような事をする。その文脈で言うと、今回やってはいないが、ストレッチも効果的だった。思考は嫌な事では無くて、体を伸ばすことに意識が行く。また痛みがあるので、より思考がそちらに優先されるのではないかと思う。

 最後に、布団にはいる。この時重要なのは、すぐに寝ころばないという所だ。寝る体勢になって寝れない事が、おそらくイライラに繋がっているように思うので、とりあえず座って足元だけ布団で覆うようにして、先ほどの読書を続けてみた。
 で、ここで昨日はまた反芻が始まった。そこから、思考し続けてなんとなく今日を落ち着かせる言葉を思いついた。「これは、自分一人では解決しない。その相手と認識を確認しあわないといけないことだ。何か今から思考を続けたとしても、不満が増幅するか、同じ思考を反芻するかのどちらかだ。無駄な時間だ。相手に自分の考えを伝えてないのだから、相手も何を思っているのかは理解できない。なので、ただの妄想しかできない。自分の損だ、寝よう」という感じだったと思う。
 要は、人間関係の場合、1人で悩むことはまず無駄な時間なのだろう。おそらく自分を変えて他人を受け入れるという心優しい人間ではない限り。自分を変えて受け入れていたこともしばらくあるけれど、とても疲れる。相手を優先しすぎてしまうのだ。そんな、大した付き合いになる訳でもないのに。優しさは、自分が好きな人か、自分を好いている人だけでいい。自分の優しさを、そもそも優しさだと認識できない人間が多い事を忘れてはならない。自分の視点で、相手の事を考えすぎない事。

 朝起きてこれを書いている。その理由は、起きた瞬間に反芻しかけたからだ。やっぱり、すぐにはおさまらないようなと思いつつ、どんどん思考を緩めながら、受け入れていこうと思う。自分が受け入れられるところまで、緩めるというのは書いていていいなと思った。どうせ、こーいう事を忘れる事は基本ないのだから。これも書きだす事の効能なのかもしれない。

 よし、今日も頑張ろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?