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エッセイNo.19「許すこと、許されること」

高校生によるエッセイ
ΠΡΟΔΟΣΙΑ
No.19
「許すこと、許されること」


サムネイルがこんななのは、ちょっと今回泥臭い話題すぎて洒落にならないからです。

 僕は嫌いな人が多いので、その分沢山の人に嫌われていると思っている。

 三月ももう末。あと一週間もしないうちに引っ越しをして大学生活が始まる。一人暮らしという大きな自由の手前で足をぶらぶらさせながら腰かけている今の時期は、一番メンタルに来ることを考えてしまう。

 先日、地元でKing Gnuのドームツアーのファイナル公演のライブビューイングが行われた。ファンクラブに入会しているものの、今まで丁度いろんな行事や受験と重なってライブに行ったことが無かったため、なかなか楽しみにしていた。

 入場して席に着いてからしばらくして、隣に同年代らしき装いの男子とその母親らしき二人組が座った。ライブが始まる前から男子の方は明らかに退屈そうな仕草で、こっちまでイライラするほど貧乏ゆすりをしたりスマホを見たりと、なかなかにうざったい人だなあと思っていた。ライブが始まってからもその態度は変わらず、目の前のライブに集中したいのに視野の中にスマホを見るその人が入り込んでくるとめちゃくちゃイライラする。

「あーっもうこの人うぜえなぁ。いっぺん注意がてらガンを飛ばそう。」そう思って例の男子のほうを向いてみた。

 結果から言ってガンを飛ばされたときに受ける恐怖や驚きのような感覚を味わったのは僕の方であった。とはいってもガンを飛ばし返されたのではない。その衝撃の正体は、最悪のタイミングで最悪の腐れ縁に遭遇してしまったことに対する仰天と怒りであった。

 彼と友人になったのは小学校高学年で、互いに特撮の趣味が合うのでよく遊ぶようになって、中学になっても同じクラスや塾だったりとその縁は続いた。勝手な思い込みかもしれないが、彼は紛れもなく僕の親友であった。しかし中三になり、その彼と別のクラスになったり塾を変えたりしてあまり関わらなくなってから、ある事件が起きた。

 そのある事件というのはここでは伏せるが、簡単に言うと、彼は僕に噓をついて、一時の人気欲しさに僕のことを貶めた、という感じだ。それがきっかけで同学年の知らない連中たちから目を付けられ、そこから言われもない噂が広まっていき、挙げ句の果てにはクラスの中心に立ちたがる、いけ好かない野蛮なグループから陰湿ないじめを受ける羽目になった。

 幸いにも中二からの友人や新たにできた友達に支えられ、いじめを仕掛けてくる野蛮な連中に細やかな抵抗を繰り返しながらコロナ渦で抑圧された2020年を乗り越えた。とはいえ、彼に貶められたことへの衝撃は心の中で大きな傷となり、それがきっかけで僕は新たに友人を作ることができなくなってしまった。今なお続く人間不信の元凶となった出来事である。

 その、事の重大さに気付いていない様子の彼はそれからも時たま僕の近くを通りがかっては、ここにいるよ、とでも言わんような素振りで飄々としていて、見るたびにイライラしていたのを覚えている。そのまま二度と会話することなく卒業式を迎えたため、彼とは音信不通のままであった。ずっとそのままであるように願っていた。


 それが今こうして隣に座っているのだ。幸いこちらに気付いていないようだが、もう僕の意識はライブよりも彼の方へ行っていた。

 こうも近くにいるとその挙止動作一つとっても、頭のどこか奥に封じ込めて置いた記憶を無理やり一つずつ取り出されていくもので、ああ、確かにこいつは興味のない話が続くと鼻息が荒くなっていたな、とか、家に遊びに行ったときにこのにおいがしていたな、とか、一緒にちょっと遠くのリサイクルショップまで自転車を走らせて、中学生にとってはレアな仮面ライダーの高価なベルトを買ったりしたな、とかそういった思い出が溢れ出てきた。

 「この際、何事もなかったかの様に話しかけたら、また仲良くなれるんじゃないか?」ふと脳内にそんな考えが過った。事実、今スクリーンで映し出されているKing Gnuのパフォーマンスで歌われている「BOY」に乗って、彼との楽しかった思い出がまるで走馬灯のように脳裏を駆け巡っている。ライブの効果による気持ちのバフなのかもしれないが、今話しかけなければ、僕は何というか一生後悔するような気持ちに駆られた。しかし、アンコールを待つ間とか、話しかけるチャンスはいくらでもあったというのに、僕の勇気が爆発することはなかった。

 ライブが終わり、客席内が明るくなって隣の席の二人が立ち上がる。ああ、今か?今話しかけるか?でも僕は彼を許せるか?そもそも彼の母親はどこまで知っているんだ?僕だけが悪人みたいに扱われるんじゃないか?いや、そんなひどい人じゃないのは僕が一番解ってるだろう。彼は意地の悪い人じゃないだろ。意地悪なのはどっちだよ。お前だろ?あ、お前って僕か?彼か?

 色々なことを考えた。心臓はその反動と緊張からバクバクと震え上がっている。…あれ。今こっち見てる!

 彼の方から物凄い視線を感じる。目を合わせないように、必死にスマホをいじる。このスマホはライブのちょっと前に落として背面ガラスが粉々になっているのでみすぼらしい。いや今そんなことどうでもいいだろうが!

 見るな見るな見るな見るな!!!!!今アンタは何を考えてるんだよ!!!!!もうこれくらいに必死であった。額には冷や汗が浮かんでいたことだろう。

 彼はしばらく(ほんの数秒だったと思うが、もう何時間も見つめられている気がしていた)して隣の母とともに階段を下りて行った。

 「助かった。」

 思わず声に出してしまった。幸いにも場内に残っているのはSNSで知り合って今日リアルで初めて会った人同士らしき二人組だけだったのでそんなに目立たなかったと思う。だが、口に出した「助かった」に、自分ながら違和感を覚えた。僕は一体、何から助かったんだ?

 劇場からロビーまでは大行列ができていて、さっき上の方で書いた、僕をいじめていたグループの張本人が僕の背後にいた。ロビーまでの間、そいつが隣の男友達と話している声が本当にうざったかった。いや、これに関しては本当に、紛れもなくあいつらだけが悪いので、左手をポケットに突っ込んで後ろに向かって中指を立てていた。お前は許さないからな。

 そんなもんで、なんだかKing Gnuのライブを純粋に楽しめなかったので、帰りがけに配信のチケットを買ってまた見返すことにした。帰路についてイヤホンを耳にはめてから、King Gnuの曲をシャッフル再生した。一番最初の曲は「BOY」だった。これも因果か。

 家に帰って夕飯の支度をする母に、その日の顛末を話した。母はただ耳を傾けてブリカマの調理をしていたのだけれど、それをいいことに僕は饒舌に今日の感想を語っていく。しかし口から出てきたのは「冗談じゃない。あの子と話なんかもう一生しないわ。」という言葉だった。

 あれ、そんな風に思ってないだろ。何を言ってるんだ僕は。話したくてうずうずしていたのは誰だよ。お前だろ。

 そもそも、人間不信は後輩たちのおかげでだんだん治ってきているし、僕には現に帰り道でいじめっ子の愚痴をLINEでご報告して茶化された、小学一年生からの付き合いの友達がいるだろ。今の僕が、何をそんなに憤ることがある?

 寝る前に母が「きっとA君(件の彼のこと)とちゃんと話せるようになっていたら、お前は大人になれてたんだろうな」とこぼした。それが今日までずっと頭の中でグルグルしている。ずっと悶々と考えに耽っていたいが、引っ越しの準備で忙しいので夜寝る前に思い出しては苦しくなる。

 大人になったらあいつを許せるのか?、なんて、中学時代当時の日記に書いてあったが、大人になったらそんな「許す」なんてことに固執しなくなるんじゃないか。今までの経験上、誰かを許すには、それ相応の心の器の広さと、そこまで広げるために身につける経験と、それと何よりも相応の時間が要る。大人にならなくたって許せたはずだ。許せなかったのは、僕の器が小さいからだ。

 色んな感情を淘汰して最後に残ったのは後悔だった。「また仲良くなれるんじゃないか」というあの時の僕の考えを実行していたら、今もこれだけ悩まずに済んだだろうに。

 どのみち、法令での成人にはなったし僕のここはもう大人になったけども、未だに過去のごたごたを因縁の様に練り続けている自分は本当の大人になれていないのだと思う。
 あと二年で成人式がある。そのころには心に余裕ができて、あの頃みたく純粋に、彼と話ができるようになれていたらいいのになと強く思う。


 
 なんだか子供っぽい内容なのに暗い話になってしまった。せめてタイトルだけでも笑って読んでほしいので「うんち!」という題にしよう。うん、そうしよう。

追記:うんちというタイトルがフィルターにかかったみたいで上手いこと公開できなかったのでタイトルは変えました。これでいいですか?

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