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選ばなかった方の人生

私が「これはもう別居しかない」という決心をしてから、夫にそう告げるまで、私は1人で行動していたけれど、決して孤独ではなかった。

それは、私が普段から「親子共々の健康を見守っていただく」という意味で、地域支援とか児童相談所とか子供家庭センターとか、そういうところにお世話になっているから。

だから、その人達にはありのままを話したし、転校という選択肢があったので、学校にもそのままお伝えした。

そして、誰一人「それはお子さんのためにはならないのでは」という人は居なくて、むしろ背中を押してくれる人も居たくらいだった。長年我が家の家庭環境を知っていると、他人から見ても別居は「致し方なし」というものだったのかもな、と想像している。

行政というものは、他人の人生にどうこうと言うものではないと思うけれど、こどもを守るという役割はあるはずなので、私が無謀な事をしていれば、それはやんわりとでも止めるはずだろう。

当時、私は行政の人を試金石にしていたわけではないし、止められるかな?などと考えもしなかった。いつも通り、包み隠さず、ありのままをお話する、という方針に則っていただけで、でも別居が始まった今振り返ると「そういえば、誰も止めなかったな」という感想が残った。

私が引越し先にしようと思っていた地域でも同じだった。そこではさすがに初対面ということもあって、夫婦のいざこざの詳細まではお話しなかったけれど、「夫と別居してこちらに転居してきたい。こどもには障害がある」という見ず知らずの人間の話を真剣に聞いてくれ、いつでもどうぞと、力強い返事をしてくれた。

あまりにも親身になってくれたので、「やはり夫が出ていくことになったので、転居は取り止めになった」というお知らせをするのが申し訳ないくらいだった。

更には、いくつかの保育園に申し込んだところ、第一希望の園から入園許可が出た。「おめでとうございます!」という言葉と共に告げられたので、辞退するのがもったいないとさえ思った。今の保育園もとても良い保育園だけれど、あちらの園も、泥だらけになって遊ぶ、別のタイプの良い保育園だったので。

転校の手続きや保育園の申込みなど、山のような作業があって、それが全部無駄になったと言えばそうなのだけれど、私はやってみて本当に良かった。

取り止めにはなったものの、転居先の教育委員会や学校の果たしてくれた役割はとても大きい。転居先で歓迎して頂けたので、私は「出ていく」と夫に自信を持って告げることが出来たし、そうでなかったら、夫が自ら「出ていく」という結論に辿り着けなかったかもしれない。

行く場所があるということが、私に勇気をくれたし、もし今後何かあったら、いつでもあそこへ行こう、と思っている。

そして、良かったことのもう一つが、「行政の人がみんな慣れている」と思ったこと。

人は引っ越すし、別居もするし、離婚もする。窓口に言って事情を話すと「オッケー!この書類とこの書類書いてね!」くらいの軽さで説明をしてくれる。

私は普通とか人並みとか、そういうものに囚われている人間なので、こんな夫婦の話、そのへんにゴロゴロ転がっているんだなあ、と思うことで、とても気持ちが軽くなった。

そもそも、そういうつまらないことを気にする私がどうなんだという事は、わかってはいるけれども。私はそういう小さい人間なので。

転校という選択肢は、こどもたちを大きな環境の変化にさらすことになる。でも、そちらでも必ずこどもを幸せにできるという自信があったから、私に迷いはなかった。

今回は選ばなかったけれど、そっちだって楽しかっただろうよ、と私はこっそり思っている。

ただし、こどもたち本人はどう思うだろう。将来「あの時、最初はみんなを転校させよう思ってたんだけどさ…」と打ち明け話をしたら、「相談もせずに勝手な事を!」…と怒られるかもしれない。或いは、「あっちに住んでみたかったな」と言われるかもしれない。

障害のある2番目の子は、学校に面通しする必要があったので、転居先の小学校に行って先生達とお話もしている。とても楽しかったらしく、「早く新しい学校に行きたいな〜」と言われたときには、本当にこれで良かったのかと、迷いのような気持ちも生じた。

でも、選ばなかった方の道は、どうしたって手に取ることができない。怒られても、もったいないと言われても。

そこにどんな暮らしがあったのか、思いを馳せるだけ。水平線の向こうに揺らぐ蜃気楼のようなもので、今の私には、感謝と共に遠くに霞んで見える。



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