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悪魔?仙人? ―新ビジネスか異端信仰か―

2023年8月、タイ、バンコクのラチャダー通りとラプラオ通りの交差点に、突如巨大な像が設置され、マスメディアやSNSで物議をかもすという出来事がありました。
 この交差点にあるホテル、ザ・バザール・ホテル・バンコク(The Bazaar Hotel Bangkok)が敷地内に設置した像で、一見ヒトのような姿ですが、人間のものではない羽と牙があり、全身が真っ黒で目と手足の爪は赤く、二本の牙は金色に塗られています。この姿を、ヒマパンの森(Himavanta)に住まう聖獣のようだと言う人もいれば、キリスト教圏の宗教芸術に見られる悪魔やガーゴイルのようだと言う人も。像は「クルー・カーイケオウ(ครูกายแก้ว/Kru Kai Kaew)」と呼ばれています。

参考:BBC News Thai 2023年8月17日“ธุรกิจหรืองมงาย ? มองกระแสบูชา “ครูกายแก้ว” ในมุมศาสนวิทยาและพระพุทธศาสนา”


チェンマイのバスターミナルに設置されている別のクルー・カーイケオウ像(2018年に撮影したもの)。バンコクに新たに設置されたものは巨大で翼がありますが、この像はほぼヒトと同じ大きさで、翼はなし。


 高さ4メートルものクルー・カーイケオウ像は、この場所で塑像されたものではなく、2023年8月9日に突如車で運びこまれました。その際には大きな交通渋滞が発生。テレビニュースでも報道され、良くも悪くも、たちまちタイ全土に知れ渡る存在に。
 さらに8月13日はこの新しい像を祀る儀礼が行われ、搬入時の騒ぎも宣伝になったのか大勢の人が参加。その様子がSNSに投稿されるなかで、犬や猫の供犠を行った人がいるとの噂が広がり、炎上騒ぎとなります。

 公共の場に仏教に由来しない信仰対象物が設置されるのは不適切であるとして、撤去を求めてバンコク都知事に申し立てを提出した市民団体もあるとのことですが、像があるのは公道ではなくホテル敷地内であることが確認され、訴えは退けられたようです。


 バンコクの街なかには、様々な神仏像が設置されています。「エラワン廟」として有名なグランド・ハイアット・エラワン・ホテル(Grand Hyatt Erawan Bangkok)前のブラフマー像をはじめ、旧伊勢丹跡地前のガネーシャ像にトリムルティ像、アマリンプラザ敷地内のインドラ像などなど、商業施設の敷地内に像が設置され、金運や恋愛運などそれぞれのご利益があるとされ参拝者を集めています。バンコクの繁華街に限らず、タイ全土において、商業施設、学校、寺院境内、至る所で様々な神々や精霊が祀られていることは珍しくありません。

「エラワン廟」として知られるブラフマーを祀った廟。バンコクの繁華街にあり、学生、ビジネスパーソン、観光客等、常に多くの参拝者があります。祈願成就の暁にはお礼参りが重要とされており、伝統舞踊の奉納も有名。多額の奉納がよせられるため、それを財源として慈善活動をおこなう基金が設立されています。


 多くは古代インド神話に起源を持ち仏教に取り入れられた天部像ですが、精霊信仰によるものや、祖先崇拝によるもの、民話や怪談に由来するものもあります。以前ご紹介した、寺憑き少年霊のアイ・カイ・デック・ワットや、四つ耳五つ目獣のシー・フー・ハー・ターも、神や仏ではありませんが最近人々の間で信仰を集めるようになったものです。
 アイ・カイ・デック・ワットは、伝説上の高僧と関係があったとするエピソードが語られ、シー・フー・ハー・ターは、耳は四諦を目は五戒を表すと説明され、いずれも大きく注目されるようになって以降は仏教と結びつけた解釈がされています。こういった傾向は古くからあり、仏教と関わりのない俗信が発生した際には、僧侶の祈祷が霊力の根源であるといわれたり、木や蟻塚など霊が宿るとされた対象物は寺院に奉納されるなど、最終的には仏教と結び付けられることにより、神聖性や正当性が補強されています。

 クルー・カーイケオウについても、苦行によって神通力を得た隠者で、アンコール朝のジャヤヴァルマン7世(在位1181〜1220年頃)を導いた師であるとの主張があります。クルー・カーイケオウ像は、元々はカンボジアのアンコール遺跡を訪れたタイの僧侶が持ち帰った小さなお守りが原型だといわれており、そのことから、熱烈な仏教徒でありアンコール・トムを建設したことで知られる王、ジャヤヴァルマン7世と結びつける解釈が展開されていったようです。これを根拠に欠けるこじつけであるとする歴史学者もいますが、仏教との関連が示され、信仰の大義が得られたととらえる流れも見られます。
参考:แม่หมีอุมา2018年8月16日”ประวัติครูกายแก้ว”<https://www.chill-gang.com/ประวัติครูกายแก้ว/>

アンコール・トムの中心に位置するバイヨン寺院の壮麗さは、建設したジャヤヴァルマン7世の信仰の深さを表しているともいわれます。

 その後クルー・カイケーオ像の周囲には、次々と他の像も運び込まれました。2023年11月3日には、ブラフマー神(พระพรหม)、ドゥルガー神 (พระแม่ทุรคา)、孫悟空(เห้งเจีย)、九尾狐の像(นางพญาจิ้งจอกเก้าหาง)が、クルーカーイケオウ像の左右に配置されました。

クルー・カーイケオウ像は一方で批判を受けながらも、他方ではすでに支持者を集めており、外国からのツアー客も見込めるようになっていました。像を増設することでさらに話題性を高め、一帯をパワースポットとして強化することが狙いだったようです。 このうち、九尾狐は、中国に伝わる伝説上の獣として東アジアではよく知られた存在ですが、タイでは像が祀られるのは珍しい例であったため再び話題となりました。九尾狐は信仰にたる聖獣なのか、人を騙す邪悪な存在なのではないか、という議論も。韓国ドラマの影響もあり、設置された九尾狐の像は、女性の姿で表現されていました。 

参考:AmarinTV 2023年11月4日มาอีกองค์! ครูกายแก้วต้องหลบ เตรียมพบกับ "นางพญาจิ้งจอกเก้าหาง"

日本で狐は神使として信仰される一方、人を化かすいたずら好きの動物として描かれることも。九尾狐も善玉と悪玉、いずれの伝説も存在します。


 しかし、クルーカーイケオウ像と九尾狐像を含むこの一帯の像は、その後2023年12月28日にホテルの正面から一斉に撤去されました。タイの国有鉄道(State Railway of Thailand:SRT)から、像の祀られた場所は建設禁止区域にあたるとしてホテルに対して撤去命令が出されたためです。像は一時的にホテル裏に保管されているそうですが、他の場所を見つけ、再安置されるといわれています。撤去を求める声があった一方、すでに信仰を集めており、参拝者が見込まれる観光資源にもなっていたからです。移動に際しては僧侶が招かれ、儀礼が行われました。

参考:2023年12月28日Thairath"เบื้องหลังย้ายครูกายแก้ว แยกรัชดา แค่ 4 เดือนกว่า ปิดฉาก เตรียมย้ายไปที่ใหม่"



こういった次々に台頭するお守りやおまじない、様々な信仰物の流行を、タイ語では「ムーテールー(มูเตลู)」といいます。1979年に公開されたインドネシアの映画のなかで唱えられる呪文に由来し、映画の流行と共にタイの若者たちの間で俗語化した言葉です。レンタルビデオ店でオカルトホラー系のジャンルを示すような使われ方だったのが、最近では呪術的な現象全般を指す言葉として広く使われており、パンデミック以降、商業においても関心を向けられるキーワードです。

 新たな信仰対象が話題になると、参拝に訪れる人々によって観光業が活気づき、供物や像を模ったお守りの販売などでも、地元に大きな経済効果がもたらされます。実はこうした「ムーテールー」は近隣諸国、とりわけ中国からも熱い注目を集めており、外国からも参拝者ツアーがあるだけでなく、オンラインで寄付が寄せられたり、お守りが高値で輸出されたりと、地方にも外貨が得られる一大ビジネスにもなっているのです。
 タイではお守りや信仰対象が突然流行したり、激しく移り変わったりということは古くからあり、珍しいことではありません。しかし、こうした外国からの関心や、それを意識したマーケティングがなされるのは、パンデミック以降の特徴といえるかもしれません。
 クルー・カーイケオウについても、参拝を目的とした中国からのムーテールーツアー客の宿泊を見込んでいたため、ホテルでは中国の旅行会社からも支援を受け、早急に移転地を探しているともいわれています。

 マスメディアやSNSでは、クルー・カーイケオウ像を含めた昨今のムーテールーの勃興について、様々な議論があります。「政界が不安定ななかで現実に失望した国民たちが黒魔術に魅了されてしまうのだ」という論調もあれば、「タイの魅力的文化を他国に発信しソフトパワーとしておおいに活用するべきだ」という声、「政党の活動資金のための収入源になっているのでは?」という憶測まで。
 Thai PBS News2023年8月18日”Soft Power สาย "มูเตลู" ดันเศรษฐกิจไทยกระฉูด 10,800 ล้าน” <https://www.thaipbs.or.th/news/content/330701

 次々と発生するムーテールーの流行。一時の流行に終わるのか、定着していくのか。その背景にはなにがあるのか。政局の行方とともに謎に包まれています。

本記事は、
2023年発行『日・タイパートナーシップ (178)』掲載 「2023わたしの事情、タイの事情(59)「ムーテールー」事情 : 新ビジネスか異端信仰か」pp.45-47をもとに、加筆修正したものです。

スミセイ女性研究者奨励賞による研究助成を受けた研究成果が含まれています。記して御礼申し上げます。



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