映画『はだかのゆめ』生と死の境を夢のように・・・青山真治が認めた才能。


夢と現実のあわいのような生と死が共存している四国の高知の四万十川周辺の土地と空間が描かれている。はっきりとした物語はない。ダイアローグはないのだ。モノローグのようなつぶやきとさまざまな音、そして静かな音楽。

まず森の中の木が映し出され、画面が暗転し、夏のような蝉の声、そして波の音が聴こえてくる。さらに列車の音と走っている息遣い。画面はいきなり夜になって走っている青年ノロが映し出され、闇と懐中電灯の小さな光が揺れている。

設定としては病気で余命宣告を受けた母が暮らしている高知の実家に、急いでやってきた青年ノロ。母と、祖父、もう一人、酔っぱらいの奇妙な男が登場する。登場人物はこの4人だけ。ドラマは何も起きない。このノロは、死んでいるのか生きているのかよくわからない。ひょっとしたら川の事故か何かで、もう死んでいるのかもしれない。四万十川は昔から水難事故もよくあるらしい。母の死に間に合わなかったノロマな幽霊ノロの戸惑い。

闇夜に松明の火を焚いてアユ漁をする「火振り漁」が何度か描かれる。夜の川と火の光は、死んだ者たちが彷徨う魂のようだ。先祖の魂を弔うために火は死者たちを誘う。

母は残り少ない日々を自然の移り変わりとともに大切に生きている。ノロはうろうろと母のまわりをうろつくばかりだ。母もまたすでに死んでいるのかもしれない。その母の思い出が描かれているだけなのかも。

「生きているものが死んでいて、死んでいるものが生きているような」

死者たちは、この風土とともにある。家とともにある。祖父は、畑仕事をしたり、鰹を炙ったり。この土地に根付いて生活している。実在の甫木元監督のおじいさんが演じている。ラストの方でこの映画では唯一のクローズアップがある。それは生者の祖父の顔を映像で残しておきたい甫木元監督の思いかもしれない。

闇を走る列車が美しい。幻想の銀河鉄道のようだ。その列車の音も突然カットアウトする。
カメラは、家の外から、中から、視点を自在に変えながら、この世とあの世を行き来するように写し取る。編集も自在に時空間を飛び越える。酔っぱらいの奇妙な男も、生きているのか死んでいるのかわからない。あの世のように何もない「すすきの原」も印象的だ。

箒で庭を掃く音、シャッターをガラガラと上げる音、水の音、風の音、虫の声。音ばかりが魂とともにそこにある。四万十川の川辺の田舎の風景とそこで暮らしていた人々の姿。時を超えて、生きている者も死んでいる者も境目なくいるのだ。そして死者と視線が交錯する。

もう一度じっくり見直したい映画だ。それぐらい自由度の高い映画であり、逆に言えばよくわからない映画だ。
青山真治が死ぬ前に見出した若き才能「最後の映画作家」の今後に注目したい。
Bialystocksというバンド活動もしているミュージシャン甫木元空。彼の声も美しい。

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