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いっしょにスーパーマーケット

子どもと一緒のスーパーは、ちょっとした戦場だ。

娘は5歳10か月。乳児の頃とくらべれば、たいへん「イージーモード」だが、カートをぐいんと押したり、あれ買ってこれ買ってと横入りしてきたり、わりと気をつかう。

その点、夫とふたりの買い物は楽だ。夫がたまに平日休みの日は、近所のスーパーマーケットへ行く。面倒な買い出しが、ちょっとした楽しみでさえある。

ずらっと並ぶヨーグルトを前にして、どのフレーバーがいいか相談する。

「やっぱりイチゴがいいかな」「娘ちゃんはこっちが好きじゃない?」

もし娘がいたならば、「チョコプリンがいい!」と激甘そうなキャラクターの描かれたパックを指さすだろう。

「ゆっくり考える」は許されず、即・決・断をもとめられるのが、子どもとの買い物だ。

夫とふたりで出かける時間。この穏やかさは、いまは心のオアシスであるが、かつては寂しく感じるときもあった。

2010年にニュージーランドに二人でやってきて、バイトや仕事探しに明け暮れ、無事に永住権をとれたのが2012年。生活が落ち着いて、移住独自の新鮮さからくる興奮がおさまると、「ふたりって、なんとなくつまらない」という感情が頭をかすめるようになった。

人生において、「子どもを産む」をそれまで考えたことがなかった。嫌いでも好きでもない。ただ、「未知のもの」という感じ。

ある日スーパーマーケットで、一組の親子が目に入った。お父さんとお母さんの間に挟まれて、小さい子どもが歩いている。

私のとなりには、夫がいる。ふむ。もしこの間に、なにもないような空間に、もう一人あらわれたらどうなるだろう? それが、はじめて「子どもを持つ」ことを意識した瞬間だった。

どんな子かなあと思った。その想像をしたときの気持ちは、悪くない、あたたかなものだった。

それから2年後、私は女の子を抱っこ紐に入れ、スーパーで買い物するようになる。

以前書いたけれど、赤ちゃんとの暮らしは言葉にしづらいほど大変さと幸せが嵐のように混ざり合っていた。二人きりの静かな生活は、どこかに吹っ飛んでしまった。

娘が大きくなり、5歳ともなるとさすがに負担も減ってくる。それでも、「みてみてみて」にイライラしてしまうときもある。

こうやって考えてみると、大人って勝手だ。子どもの成長で見えなくなる姿を嘆きつつ、疲れると「もうちょっと一人にして…」と願ってしまうのだから。

大人都合の身勝手さを自覚しつつ、親という巨大な力で子どもを傷つけないためには、どうすればいいだろう?


娘は成長した。スーパーにいくと、私や夫が好きな商品を覚えている。大人が好むようなソフトチーズも、「娘ちゃんも好きかもしれないよ?」と果敢に挑戦してくる。

そうだね、おなじスキをわけあえたら、きっと楽しいよね。

こんど娘とスーパーにいくときは、チョコプリンを買ってみよう。あたらしい楽しみを、娘と一緒に見つけられるかもしれない。


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