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べつに星に願わなくても

「ネコちゃんがほしいの」

昨日の夕食後、娘と七夕だし短冊でも書こうかねという話になった。

ネコちゃんは私も好きだが、あいにく夫がネコちゃんアレルギーである。その願い事は叶えられない。

「七夕は、ほしいものじゃなくて、なりたいお願いを書くんだよ」

夫が教えると、娘はうーんと悩んだ後、「うたがじょうずになりたい」と口に出した。習得途中の平仮名を一字ずつ確認して紙に書き、それを庭の竹にくくりつけた。

「Wish(お願い事)、かなったかなあ」

翌朝、起きてきた娘に質問された。願い事は、一日でかなうものではない。クリスマスのサンタさんへのリクエストとも違う。どうやって説明しようかなあと考えつつ、ひとまず

「娘ちゃんが、いっぱい練習したら上手になるのよ」

と伝えた。

すると、iPadを持ち出しSpotifyで曲を選び始める娘。

5歳10か月の娘の歌の練習方法は、耳コピである。英語や平仮名がある程度は読めるといっても、歌詞を読むにはまだ遠い。音楽を流しながら、不完全でも口を動かし何回でも繰り返し聞く。

かくして、朝食はマイケルジャクソンの『Man in the mirror』と、ディズニー映画『シュガーラッシュオンライン』のサントラから『When Can I see you again』が延々と流れていた。

途中で、「おかあさん、これ好きだよね」とPerfumeの『FLASH』を流しながら娘が躍ってくれた。うまい下手の問題ではなく、可愛いから拍手をしてしまう。

歯磨きのときも着替えのときも音楽を流し続け、一通り熱唱がおわると娘が言った。

娘ちゃん、お願いしなくても上手だよねえ

おお、そうきたか。その通りだ。小さな娘は願掛けをしなくても、自分を信じる心は無敵であった。

娘の歌や踊りは、客観的にみて優れた才能を秘めている――とはいいがたい。

傍らからみて、「もっとこうやって練習すればうまくなるのでは?」と思う部分ばかりだ(各段の可愛さはさておき)。

しかし、わが身に置き換えても「できない」を突き付けられるのはしんどい。ちょっと心削られてしまう。

もちろん、出来なさ加減を認識するのは大切だ。文章にしても、客観と主観を行き来しなければ書く力は伸びないし、学ばなければいけないスキルがある。

けれども、好きなことを続けられるのは、やはり己の成果物を信じる気持ち―いいかえると、「自分の歌や踊りが大好き!」というゆるぎない思いがベースになる気がする。

私自身、毎日文章を書きながら、「ダメだ」と思ったり「最高だ!」と思ったりする。その両方がありつつ、なんだかんだ言って自分の文章が私は好きだ。


星は、なにも叶えてくれない。それでも願いをかけるのは、きっと言葉にすることで想いをもう一度確認したいから。

娘は、うまい下手関係なく、歌って踊るその時間がただ好きなのだろう。好きという気持ちがあれば、どこまでも遠くにいける。遠くにいかなかったとしても、心のなかにある「好き」は、日々の生活と人生を豊かにしてくれる。

その気持ちを大切にねと、娘に伝えたいのだけれど、どうやってもお節介な親になりそう。だから、楽しく歌って踊る姿をにこにこ黙って見ることにしよう。

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