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夫の言葉に、ついカッチーンときてしまう

夫婦を10年やっていると、相手の一言にカッチーンとくることがある(あるよね?)。

夫と二人で暮らしていたころは、平穏に生きてこれたけれど、娘が産まれてから衝突することが増えた。

とりわけ、産後3年間ぐらい(長い…)がひどかった。余裕がなくて、睡眠不足で疲れていたのも、相手の言葉にとげを感じてしまう原因だったと思う。

けれど、先週ひさびさにムカチーンときてしまったので、そのことを書いておこう。

娘が習い事に行きたくないと泣いた。教室まできて、さあお稽古はじまるよという段階になり、「いやだ~」と私から離れない。

「どうして?」「みんな楽しそうだよ?」と話しかけても、「いや~」と言うばかり。先生が手をつなぎに来ても、顔を背けてガン無視している。

やれやれ、困ったなと思った。せっかく払っているお月謝が無駄になる気もした。けど、焦ってもしょうがない。娘の気持ちが落ち着くまで待とうか…と後ろで教室を見学しようとしたとき、付き添いの夫がやってきて言った。

「見てるだけなら、ここにいる意味なくない?」

ムカチーン!!!

久々にムカッときた。いま娘泣いてるじゃん。意味ないって、無理やり参加させても意味ないでしょ。こっちは娘の気持ちが落ち着くまで待とうとしているのに!

0.01秒の間に、怒りの感情が目のあたりまでほとばしったけど、冷静になった。

娘は、お母さんのほうに甘える。私よりも、夫のほうがうまい具合に娘の気持ちを引き出してくれるのではないか。言葉はむかつくが、夫も喧嘩を売りにきたわけではない。この事態をどうにか解決しようとしている。

一歩引いて、その場を夫に任せることにした。

母親の姿が目に入ると、娘の気持ちが揺らぐので、私はドアの陰に身を隠す。

覗くと、夫と娘はなにやら話をしている。あ、先生がまた来た。笑顔で接してるけど…ダメだな。まだ娘が泣いている。

どうだろう。お稽古に参加できるかなあ。お、顔を上げて先生たちのほうを向いたぞ。

(夫が娘のイヤイヤに切れ出したり、無理強いして参加させようものならただじゃおかないぞ…)という気持ちも抱きつつ、見守ること3分。娘は笑顔でお稽古に参加した。

「娘ちゃん、なんだって?」

戻ってきた夫に尋ねる。

「あのね、お祭り行きたかったんだって」

お祭り。その日は、午後から街のお祭りに行こうねと話をしていた。娘は、お稽古に参加したらお祭りが終わっちゃう!楽しくておいしいものが食べられるお祭りなのに!と、パニックになったらしい。

それで出た「いや~!」だったのか。夫と顔を見合わせて、思わず笑ってしまった。

産後クライシスといわれる夫婦の問題で、ときたま母の門番効果という言葉を耳にする。(心理学的なソースを探したけれど、見つからなかった)

子どもの世話を夫がしようとしても、母である妻が細かくダメ出ししてくる、夫にやらせないで「いいから」と取り上げる、どうしても夫にまかせられないといったものだ。

育児は、通常であれば主担当と副担当といった具合に、夫婦間でお世話のバランスに偏りがでる。メインで担当するほうは、サブの手際を危なっかしく思う。お手伝いをする子どもに指示するように、つい口を出したくなってしまう。

スキルの偏りだけでなく、「疲れている夫に育児を任せたら、ますます疲れてしまうのでは」という気遣いに似た心理的負い目もある。私はまさにこれで、「家事もままならないのに、育児もちゃんとできなんて…」と、ドはまりした。夫になにかを任せることが、残り少ない自尊心を削ってしまうようだった

いまから思えば、睡眠不足だったのだなと片付けられる。けれど、当時は深刻な問題で、「子どもが泣く」→「夫が世話を申し出る」→「妻が拒否する」→「妻、疲れて不機嫌に」→「夫は俺にどうしろと!」という無限悪循環ループだった。

あのとき、今回みたいに役割を手放して夫に任せられたら、ずいぶんと違ったのだろうなあと思う。まあ、本当に産後はボロボロだったから、どうやっても難しかったのだけれど。

ただ、私がかたくなになってしまった原因は、睡眠不足だけではなく、あまりにも「理想の家族」を描いていたせいもあるんじゃないかと思っている。

赤ちゃんが生まれて、幸せそうに微笑む家族。夫も優しくて、家もきれいに片付いている……みたいな。

これはベタな幸せ像だけれど、心のどこかで理想像を追い求めていたふしがある。嵐みたいな産後は、何一つ理想がかなわず、ぼろ雑巾みたいな現実と理想のギャップに苦しんだ。

子どもの誕生日になると、「パパ・ママも〇年生」という言い方があるけれど、たしかにそうだなあと思う。

家族って、変わる。子どもの成長に合わせて、親の関わり方や考え方、育児スキルも伸びてくる。おぎゃあと赤ちゃんが生まれてから、完璧に喧嘩せずうまくやっていくほうが実は少数なのではないか。

意見の食い違いがあり、衝突があり、喧嘩もして。そのなかで、夫婦の接し方や家族の形が変わっていく。子どもだって「いや~」だけじゃなく、「〇〇だからいやなの」と言葉で表現できるように成長していくものね。

そしてなにより、自分の心理状態で夫の言葉にトゲを感じてしまっても、夫は敵ではなく育児を共におこなうパートナーなのだ。彼は、きみの味方だよ。

「意味なくない?」という言い方には(もっとほかにあるでしょーが)と腹立つ気持ちはあるけれど、夫の言葉にカッチーンときても、彼がなにをしようとしているのか、冷静になろう…と思った出来事でした。

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