ユ(FFT)

YU of the YU, by the YU, for the YU.

ユ(FFT)

YU of the YU, by the YU, for the YU.

最近の記事

嬉しいの記念碑と、絶対に許さないの石碑

アンパンマンのタイトル風に読み上げてほしい。 意味は文字の通りである。心にな、 貴方の心には無数の石碑がある。なにかある度に建てがちで。石なので無くならない。忘れないという決意と意思である。私は見た。そうか、なるほど、2020年にそんなことがあったんだね。21年にはそんなことが。それはもう二度と起きてほしくないね。それは忘れたくないね。 今貴方が居なくなってもずっと残るんだってね。それは良いこと?やめとく?

    • インプットとアウトプットのバランス

      が、とても悪い。 最近は社会学や組織論みたいなまあなんかそのへんの勉強をしているけど、インプットがあんまり上手くない。 本が読めない側の人間なのに文字や文書で語られる学問を入れようとしてるもんだから、目も当てられないわけよ。 ずっと同じ行を目で追ってたり、ぜんぜん違うこと考え出してしまってページだけめくっててなにこれ?ってなったり、ほんとに本を読むの向いてない。 たぶんこれは本を読むための基礎体力や筋力みたいなのが無いのではと思う。どうすりゃいいんだ。あとあれだな、フォントと

      • 言語の奴隷であること、他

        言葉で伝わらないとき(もしくは相手の反応から、伝わっていないのかな?と察したとき)、これはこういう意味で、こういう意図なんだと説明を重ねてしまう。 それでうまく伝わるときもある。なるほどね、と。 その言葉たちの意味中身は果たして共通認識だろうか。 そうでなかったとき(なるほど!となってても厳密には共通認識化はできない)言葉を重ねても余計に遠くに行ってしまう、もしくは突き放す行為になる。 なるほど!と言いながら溝を掘っている可能性すらある。 それでも伝えるためには言語を媒介し

        • お高く安売り

          お試しまでいかなくても、端々で人生のテイスティングをしたい。 初回無料にしてくれ。紹介で安くしてくれ。 何年か前に職場の研修で他部門のおじさん達と一緒になった。(ほぼ男性しかいない職場で、その研修も女は私ひとり) そのうちの一人が、三人目のお子さんが生まれたばかりで可愛くて仕方ないと目を細めて仰ってて 私はその場しのぎその場限りの会話がすこぶる苦手なのだけど、その時はなぜか話してみようと思った。 もうすぐ姪っ子が生まれるのだけど、どんな名前が良いかなって家族で話してるんです

        嬉しいの記念碑と、絶対に許さないの石碑

          多めにおめおめと

          大切にしている自信があるだけに、相互に違和感を覚えると、悲しいというか悔しい気持ちになる。 私は言葉を大切にしているし、貴方のことも大切にしている(そうしたいという願望も含まれる)。 人よりもずっと考えている自負があったし、どうすれば心穏やかでいられるだろうかと思っている。 言葉にも貴方にも常に私の味方でいてほしいと思っている。 誰かのための言葉で誰かが傷つくのは嫌だよな。 私のための言葉で私が傷つくのも嫌なんだよ。これは最近気付いた。言葉の盾って言葉の槍から守ってくれるんか

          多めにおめおめと

          ひとまずのこんにちは

          やることとか考えることが多くってねえ あとで

          ひとまずのこんにちは

          夜のつまる

          なんと形容したら良いのか分からない。 こんなにも楽しく、美しく、キラキラなのに 転職よりも自死の方が容易い、みたいな感 どうも足掻いてない こんなにも楽しく生きているし 例えば叶わない願いや望みを携えているわけでもない 恐らく。 今日は会社の偉い人のプレゼンの録音を聞いてた。 わざとに良いことや過度に鼓舞するわけでもないのに、聴いてて心地よくて二回も聴いた。BGMにした。同僚がこんなプレゼンできる人になりたいと言っていた。 私はなにをやっているのか分からないんだよ。 やる

          夜のつまる

          05/26_眠い

          夜眠る前に考えていたことがあって 起きたら書こうと思って眠りに就いたが、起きてみて全く覚えてない。 ということが何度もある。 寝る前は、結構面白いぞと思っているもんだからちょっと悔しい。でも起き上がってメモする気力は無いしなあ。 最近は23時には布団をかぶるようにしていて、遅くとも24時までには寝ている。7時45分くらいに目が覚めて在宅勤務なら在宅勤務、出社なら出社なりの準備をする。 出社の場合、今の起床時間では間に合わないのでフレックス制度をバンバン使う。前日までに事前申

          05/26_眠い

          so yeah

          そういや、私は学生ではあるけど立派に社会人でもある。社会人10年目くらい、うっかり30歳も越えている。 私が投稿したときのハッシュタグのせいやと思うけど、おすすめユーザーに現役大学生や高校生が出てくる。ふふん、おすすめ?と思って眺めることがたまにある。彼ら彼女らの確立されつつある途中のアイデンティティや思想みたいなものが見えるような。大人の私は見てはいけないものだったような。これは今までに味わったことのない胸騒ぎだ。 とても個人的なようで他人事のようで、彼ら彼女らなりの愛や恋

          388

          今日は気乗りしなくて泣きながら働いていた。 気乗りしないことへの感涙なのか、否。 なにをやってるのか分からなくなってとりあえず猫を撫でる。 …… という下書きがあったのだけどいつどんな気持ちで書いたのかが分からないし思い出せない。 曖昧なもんだなぁ 抽象的な表現をしてしまうのは癖みたいなもので。 最近はけっこう具体的になってる、なってしまった? 自分の思ったことを発信する手段としてインターネッツが私の前に現れた(もしくは私が気付かないうちに侵入した)のが物心ついてしばらく経

          年は明けまして、課題に明け暮れて

          明け暮れてはいませんでしたね。 朝の10時に初日の出をチラ見。 M1は敗者復活の方が面白かったなぁ 年末年始の笑ってはいけないやら格付けやらは何が面白いのかは分からないが、不快にもならない。 延々と漫才やコントだけをひたすらしてくれる番組はねえか、と毎年言っておりますが、よくよく考えたらそんなむしの良い話あるかよって感じ?タダで?寄席が??タダでー?? 私は一生消費者なので、受けとるに当たり、「◯◯円やったら買うなぁ」とか「タダでも要らんなぁ」とか「交通費出るなら買いに行く

          年は明けまして、課題に明け暮れて

          満たされる退屈

          流行りのタイミングはあると思うのだけど、このところの少年マンガの主人公は生まれ持った特殊な環境や時代背景、偶発的、必然的に備わる能力がありその前提で物語が進む。 貴方は、彼ら彼女らの無敵感への純粋な憧れや渇望があり、そこには「自分には無いんだもの、だから絶対、"こう"はなれない」という絶望も付随している。これに気付くのはたぶん少し大人になってから。 一方、仮面ライダーやガンダムは どうやら地球で起こっているし、貴方が想像しうる時代(平成令和あるいは大正など)と、環境(場合に

          満たされる退屈

          誤嚥性ご縁

          運命とか積極的な意味付けはとても苦手で、あれは後づけだと思うなぁ。 良いことがあったからって日頃の行いのお陰とも思わないし、悪いことがあったからってバチが当たったとも思わない。 「なるべくしてなったんだ!不可抗力!」 これでやり過ごしてる。そして否定しないという形で受け入れてもいる。良いことも、悪いことも。 定められたものなどは無くて、縁は可能な限り大切にしている。 責めたって責められたって覆水はお盆には返らないし、お盆に帰ってくるとも思わない。 後悔したってしゃあねえよ。

          誤嚥性ご縁

          20/10/20

          自分の年齢を実感するのは、美容院で施術前に机に置かれる雑誌の種類だ。 年相応に順当に生きてきてますね。 劣るでも遅れるでもなく、優れるでも性急すぎでもなく。 私はほとんど女性しかいない学科で芸大生をしている。ふだんはほとんど男性しかいないメーカでOLをしている。 大学では 瞬間的長期的な意味で、助け合わない/手を差し伸べないことに罪悪感に似た歯切れの悪い感情がある。そうするべき、そうあるべき、なのになぜしないの?と何かに迫られている感触がある。 会社にはわざわざ秩序が求めら

          霞を食べて過ごす

          とくにきっかけがあったわけでもないけど。ふと。 チック症で口元が動いてしまう人が、都度「いま霞を食べてます」と持ちネタのように話していたことを思い出した。そこに至るまでにいろいろあったんだろうなぁとか考えてしまう。 最近、優しいと言われることが増えた。 それに伴い、優しいってなんだろうなと考えることが増えた。 貴方が優しいと感じ、それを伝えるとき、言われて嬉しいときはきっと その人との諸々の需要と供給のバランスが取れてるときなんだろうな。 「意外と優しいとこあるよね」が私に

          霞を食べて過ごす

          なんでもない日

          幾許かの強さを備えたつもりだったし、実際に私は屈強である。身も心も。 たまに、いっそ殺してくれと言いたくなる頭痛に襲われる。それが昨晩だった。前回は学生の頃だったから12年ほど前か。 頭痛に、吐き気、嘔吐、下痢を伴うのでトイレでくたばっている。翌朝見ると普段ほとんど飲まない鎮痛剤を飲んだあとがいくつかあった。 何事も無かったような今朝だ。よくできている。 何年か前に愛する家族を見送った。 通夜はせず連休中日の葬式に200人以上が参列してくださった。 たくさんの知らない人が

          なんでもない日